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2017年10月5日 展覧会

展覧会レビュー「Children of men」2017.7.7-8.27

 人類の子供たち。

 ―大きな視野で、小さなことを積み重ねる。

 "人類の"子供たちというのがいい。異なる国家や民族、宗教間の軋轢が強まるばかりの今日、子供たちをこうした分け隔てを越えた、丸ごとの人間にとっての一つの存在と見なすこと。振り返ってみれば、山本は、早くから子供たちとのワークショップを基にした作品を制作してきたが、そこには同じく一貫した態度があったと言えるだろう。本展の期間中、入れ替えで上映された過去作品は改めてそのことを実感させるものである。カメラを前にした子供たちの様子は様々で、奇天烈な発想や緊張の裏返しから生まれる挙動が思わず笑いを誘うものもあれば、思わず感心せられるもの、もちろん、取り立てたところもないものあり、そこから浮かび上がるのは、山本が「子供らしさ」を特別に編集したり演出したりせず、むしろ等しく正面から向き合い、結果的に、子供たちから、自分さえも思ってもいなかったよな「素」がこぼれ出ているということである。

 本展のメインとなる《まばゆい気分で:未来の東北博覧会'87》はどうだろう。スクリーンには、舞台に整列した女子中学生たちが、同博覧会のテーマソング「まばゆい気分で」を合唱する姿が映し出されている。東日本大震災を経たいま、希望に満ちた当時の歌詞が虚しい響きを持つのは確かだが、とはいえそこに批判や皮肉めいたものが窺われる訳ではない。何人かの生徒の目に着く癖のある動き。合唱につきものの「いかにも」な笑顔。コンクールでもあるまい、考えてみればこの設定自体可笑しく、思わずくすっとなるのだが、しかし一方で女子学生たちの姿は、決して美しい訳でも何でもないにも拘らず、私にもかつてあった、大人になる前の二度と経験できない特別な時間への思慕を誘いもする。それは、今や何の有用性も持たなくなってしまった時代遅れの博覧会をモチーフにすることで、進歩史観に支えられた20世紀の虚しさと二重写しとなって、より一層強く立ち現れてもくる。

 今回、新たにスタートし、展覧会終了後も続けられる予定の「名古屋オリンピック」にまつわるリサーチ・プロジェクトにも同じような展開が生じるのだろうか。1988年の招致を目指しながら幻に終わった名古屋オリンピック。今回、途中経過として紹介された当時の新聞記事や物、そして聞き取りから掘り起こされた記録は、出来事としては興味を惹かれるものの、オリンピックに大した希望も抱けない今の時代から見れば、それ自体は感情移入を促されることもない事実の羅列、他人事でもある。昨今、ドキュメント、リサーチベースの作品がある種の流行となるなか、単なる歴史の振り返りではなく、作品である必然としてどのような形に落とし込むことができるのか。山本ならば、という期待と共に見守りたいと思う。

千葉真智子(豊田市美術館学芸員)

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掲載写真/撮影|冨田了平