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2017年12月10日 パブリック・プログラム

レポート|オープンディスカッション「2017年、国内芸術祭を振り返る」

今年は開催年が重なったこともあり、いつになく様々な芸術祭が日本各地で開催されました。海外のトリエンナーレ、ビエンナーレなどについて意見交換をした前回に続き、今回は国内の芸術祭を振り返るオープンディスカッションをおこないました。

スピーカーに、あいちトリエンナーレ2010からアーキテクトとして関わってきた建築家の武藤隆さんと、キュレーターとしてあいちトリエンナーレ2013や札幌国際芸術祭に関わってきた飯田志保子さんを招き、アートラボあいちディレクターの服部浩之をモデレーターに、芸術祭を振り返りました。

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まずは、武藤さんが今年訪れた芸術祭の紹介からはじまりました。

武藤さんは2010年のあいちトリエンナーレからアーキテクトとして関わることになりましたが、その準備として2008年ごろから他の芸術祭に行くようになり、今年も主要な芸術祭のほとんどを訪れているそう。

「北アルプス国際芸術祭」(6月4日〜7月30日)は、長野県大町市の街中で展開され、駅前の商店街での展示、街中や軒下などを流れる清流や、ダムなどの街の特徴にそった作品の展開があり、また森のなかでの展示では興味をそそられるものもあったそうです。ただ、飯田さんや服部さんからは、作品のクオリティの差についての指摘もあり、作家選定に対して改めて考えが巡りました。

続いて、ちょっと違ったタイプの芸術祭として、「REBORN ART FESTIVAL」(7月22日〜9月10日)が紹介されました。3.11で甚大な被害を受けた宮城県石巻市で開催され、音楽家の小林武史(一般社団法人APバンク 代表理事)が中心になっていました。武藤さんの考案した芸術祭の分類マトリックス(詳しくは批評雑誌REAR 40号)のなかでは、アート文化活動と地域振興に関わる部分に分類されるものの、復興活動に関わっていることもあり、実際には、はっきりと分類されない特異な存在であるという話もでました。その点については飯田さんも同意見ということで、被災地という土地が持つ強い特性に負けない、真摯に向き合った結果として作品が成立していたことに好感が持てたそうです。例えば、参加アーティスト"目"の作品は、工事現場のようなところから部屋に案内され、しばらく待つと部屋が動き街中をめぐる体験型作品で、トレーラーの荷台に設えられた部屋のなかから、復興途中の街の様子をみるというものでした。また、アーティストさわひらきは、ほかの芸術祭にも出品している作家ですが、同じ作家が違う場所の芸術祭でどのような作品を展開するか、その差異やつながりをみるのも複数の芸術祭をまわるときの楽しみの一つだそう。

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「ヨコハマトリエンナーレ」(8月4日〜11月5日)は、今年で6回目を迎え、飯田さんの意見では、同じディレクターが続いていることからも、安定期に入ってきたと言えそうです。横浜美術館での展示を中心に、赤レンガ倉庫でも展示が行われましたが、今回は特に作家ごとに空間を仕切ってみせるなど、真面目に展示、キュレーションをしている点が際立ちました。そうした部分が、美術館で行っている芸術祭としていい特徴となっているという話も出ました。武藤さんからは、それが逆につまらない、収束した感じにもみえるのでは、という話もありました。

武藤さんいわく、あいちトリエンナーレと一番類似点があるという、「札幌芸術祭」(8月6日〜10月1日)は、今年2回目で、音楽家の大友良英(音楽家)がディレクターとなり、前回に比べ、街中展示が大幅に増えました。分類マトリックスでもあいちトリエンナーレ同様、都市型でアート文化活動タイプの芸術祭です。

群馬県で開催されている「中之条ビエンナーレ」(9月9日〜10月9日)は、統一テーマのもとに作家が選定されてキュレーションされているわけではなく、長期のレジデンスの成果を発表する、個展が集合したような内容ということでしたが、古くから温泉や養蚕で栄え、古く立派な建築が多く、アーティストへはいい影響を与えている土地です。行政主導の芸術祭ではなく、ボトムアップでアーティストが土地に根付き制作できる環境を整えることを目的にスタートした点で、ほかの多くの芸術祭とは違う特徴を持っていると言えます。

「奥能登芸術祭」(9月3日〜10月22日)は、今年初回で、マトリックスでは地域展開、ツーリズム型に分類されますが、魅力や資源を新たに発掘するのではなく、すでにある資源などを改めて見直す、魅力的に発信する、より地域を元気にするという方法での地域振興ではないかと紹介されました。船や海、漂着物などが作品のテーマになり、廃路線や旧駅舎なども取り上げられています。

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飯田さんからは、現在みられるさまざまな名称、「芸術祭」・「ビエンナーレ/トリエンナーレ」・「国際展」・「アートプロジェクト」という4つの言葉の差異について話があがりました。「芸術祭」は祭という字が入っている通り、アート文化活動だけではなく、ツーリズムなども混じった祝祭感があり、4つの言葉の中では現在もっとも市民権があると言えるかもしれません。「ビエンナーレ/トリエンナーレ」「国際展」は、キュレーターをたてて、しっかりとキュレーションがされた展覧会として位置づけられますが、周期的に開催されるという点で一般的な展覧会とは異なります。飯田さんの中では、こうした言葉の使い分けは厳密にしているそうで、その意味では「中之条ビエンナーレ」などは、キュレーションをされているわけではなく、レジデンスによる公開制作の色が強く、観客を意識するビエンナーレといった方式ではなく、むしろアートプロジェクトのほうが、しっくりくるのでは、という提案もありました。

また、IBA(International Biennale Association)でドイツからの参加者が、国際展(ビエンナーレなど)にあっては、美術館や政府などの公的な組織から独立していることが重要で、独立しているからこそ変化に富んだ発信が可能であるという発言をしたそうです。日本はそれとは逆で、ほとんどの芸術祭において、政府など公的機関が資金源になり、主催になっています。そうした国による違いも認識し、自国の歴史や状況を自覚することも大切ではという話にも発展しました。

アートプロジェクトについては、加冶屋健司(美術史、表象文化論)の論文が参考になるということでしたが、ほかの3つとの違いとしては、公開したり、鑑賞者を意識するのではない、単発のイベントベースであり継続の可能性があるものという位置づけです。日本のアートプロジェクトの歴史としては、1950年代にまでさかのぼることができ、まだ美術館や博物館の建設ブーム以前で、インフラ整備がなかった頃からはじまり、1960年代の野外彫刻展や1990年代の北川フラムや南条史生らによるパブリックアート、と続いてきているそうです。

*加冶屋健司の論文については、「地域アート」(藤田直哉編、堀内出版、2016)やオンラインジャーナル「FIELD spring 2017」(英語)をご参考ください。

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言葉の持つ意味について改めて見直したところで、実はそれぞれの芸術祭のタイトルの変化も面白いという話になり、例えば「引込線」は当初はトリエンナーレとついていたところを、現在は「引込線 現代作家と批評家による」となっていて、トリエンナーレを外し、今年で6回目を迎えています。こうしたところに、主催者の自覚などが実は現れているのかもしれません。

さらに、芸術祭に対しての評価体制がまだ整っていないのではという視点も話題になりました。行政が関係していることが多く、内部評価としては来場者数や経済波及効果など、もっぱら数字で評価軸が示されていることがほとんどですが、外部からそうした数字以外の評価をどのように得るか、という点では評価者の立場や芸術祭の目的や目標などによって評価の仕方や内容は変わってくるという意見が主となりました。例えば、武藤さんからは、あいちトリエンナーレとの関わりが深いこともあり、建築家、トリエンナーレのアーキテクトとして会場サインや地図表記などが気になり、芸術祭の評価としては個々の作品よりも全体としてテーマが現れていたかも関係するし、芸術祭に訪れることで地域への評価も生まれるという意見がでました。飯田さんからは、どこまでを芸術祭あるいは作品体験とするかということで、空間をおとずれ作品を前にした時にスイッチが入るという意見で、そこに行く過程や食べ物や観光などの経験とは別物と捉えているという話に、共感する人、驚く人、さまざまでした。

ディスカッションの参加者からも、訪れた芸術祭について紹介がされました。「清流の国ぎふ芸術祭 Art Award IN CUBE 」(4月15日〜6月11日)は完全に公募作品のみで形成され、若手などは関係なく審査員によって作品が選定されています。もともと県展という公募展からスタートしたもので、芸術祭と銘打っていることへの疑問も出ました。「亀山トリエンナーレ」(9月24日〜10月15日)は、商店街の空き家を利用した街中展開のみで、公募枠もあり、規模感としては1日あれば全て回れるものだったということで、昨今注目されているInstagramでの発信がとても素敵でうまく活用されていたという話が印象的でした。

ディスカッションの締めくくりとして、今後の芸術祭について武藤さんからは、あいちトリエンナーレに言及し、今後さらに島や三河地方などを会場にした真に「あいち」トリエンナーレになる可能性があるのではないか、という話がでました。これまで続いている、愛知県美術館と名古屋市美術館に加えて、街中や地域展開するというパターン以外に、もっとさまざまなヴァリエーションに変化できる可能性があるということを受けて、飯田さんからは、やはり都市に拠点があることも重要ではないかという意見がでました。観客のことを考えると、自由鑑賞だけではなく、都市から地方の展示へ出かけるツアーなどを組めるとより良いかも、という話は興味深く聞いた人も多かったのではないでしょうか。

飯田さんは、あいちトリエンナーレ2016に対して、実は当時空中分解したと感じていて、ただ今になってじわじわとその成果を感じてきているそう。分野を横断した展開は、一般の展覧会ではなく、芸術祭のような特別な枠組みだからこそ可能なことの一つではないか、という話も聞けました。

ディスカッション終了後もコーヒーやお茶を片手に、武藤さんが持参された芸術祭の資料をみながら、参加者やスピーカーの間で、芸術祭談義が広がりました。

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すべての芸術祭について事細かに振り返ることはできませんでしたが、いくつか主要な芸術祭だけを見つめ直す中でも、芸術祭という言葉の持つ意味や日本で行われていることの歴史や特徴、課題や今後の展望など、考えを巡らす部分が多く見つかり、2019のあいちトリエンナーレ開催を前に準備がすすむあいちでも、もっと考える機会が増えることが期待されるのではと感じたディスカッションでした。(M)