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2018年7月13日 レビュー

展覧会レビュー|「素時 SOJI」(愛知県立芸術大学)

焦点の合わなさ、あるいは

 四人の若手作家による展覧会である。

 最初に目に入るのが伊賀文香によるインスタレーション。名古屋市市政資料館前の塀に置かれたサボテンを題材に、公的な施設への私的な趣味の侵入を作品化している。ただ伊賀は、それをめぐる考察をあえて深めることなく、茫漠とした絵画、華奢な橋状の塀、朴訥とした白いサボテンといった要素を呈示するのみだ。これら独特のとぼけた風味を持った構成要素に、彼女の表現の特質が現れているのではないか。
 続いて久留島咲の作品へ向かう。移動による身体的負荷と作品発表を控えた心的負荷。それらが自分自身に及ぼす影響について、無我夢中になりつつ映像化した作品のようだ。そして、この厳しい状況を生み出す要因は赤と青の巨大な造作物であり、この造作物に翻弄されることでさらに心身に負荷がかかっている。造作物と作者自身の負荷の関係を、その只中から描き出すのは困難だと想像するが、よりメタ的にその部分を捉えていればさらに面白かっただろう。
 そして一番奥の部屋に展示されていたのが、髙田実季の作品である。彼女は自分が生活するにあたって必要な要素、その一つ一つを自然環境との関わりまでさかのぼって確かめようとしている。今回は、その意識を箱庭のような造形物や防鳥網を編んだ衣服などで表現していた。しかしながら若干、可愛らしく整いすぎるところもあるので、次はより大胆な方法を試みてほしい。
 そして、この三者を空間的につなぐ位置に亀倉知恵の作品がある。彼女は力の均衡を扱っており、ロッカーを斜めに自立させた作品は緊張感に満ちていた。作品自体が壁、床といった周囲の環境を取り込んでいくため、展覧会の空間全体に対し重心あるいは蝶番のように機能している。本作は本展の要と言えるのではないか。
 以上、作品について駆け足でめぐった。作品を眺めているとたびたび、作家本人が言語化するものと、実際に空間に置かれた造形物の間に、乖離があることに気づく。けれども、それは必ずしもネガティブな事とも言い切れず、その空隙や焦点の合わなさにこそ、彼女たちの作家としての可能性があるのかもしれない。さて、次は焦点を合わせる工夫をするのか、それともそのずれを別の形へ増幅してゆくのだろうか。

中村史子(愛知県美術館 学芸員)

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撮影:谷澤陽佑/Photo by Tanizawa Yosuke