開催概要
みどころ
灰と薔薇の「あいま」で、「来るべき世界」を考える
今回の芸術祭のテーマである「灰と薔薇のあいまに」は、現代アラブ世界を代表する詩人・アドニスの詩の一節からとったものです。戦争の惨禍を目の当たりにしたアドニスは、そのことによる環境破壊を嘆きましたが、同時に破壊の先に希望をも見出しました。私たちが今生きているこの世界では、人間と環境のあいだに深刻な問題が浮上しており、両者の溝はますます深まる一方です。こうした複雑に絡み合う人間と環境との関係を、国家や領土、民族といった人間中心の視点からではなく、地質学的な時間軸から考察することで、本芸術祭は、両者が互いに信頼し、育み、補い合うための道を探ります。そしてまた、灰(終末論)か薔薇(楽観論)かという極端な二項対立の議論を中心に据えることなく、その「あいま」にあるニュアンスに富んだ思考で世界を解きほぐそうと試みます。
多様化・多角化するアーティストの制作背景
「あいち2025」のテーマに共鳴する61組の参加アーティストは、多様なバックグラウンドを持っています。国内出身26組を含むアジアのアーティストに加え、中東、アフリカ、中南米など非欧米圏のアーティストを多数紹介するのも大きな特徴です。また、先住民族にルーツを持つアーティストや、さまざまな理由で出身地域とは異なる場所で活動しているアーティストのように、自らの社会的・文化的アイデンティティを見つめ直しながら表現を模索するアーティストも数多く含まれます。アートといってもその表現方法は実に多様であり、社会で起こっているさまざまな事柄と密接に結びついています。こうしたアーティストたちの多様な実践は、これまで欧米中心に紡がれてきた歴史を解きほぐし、複雑化していく世の中を新たな角度から見る・考える多くのきっかけを作ります。
千年続く「やきもの」の伝統を育む瀬戸の地域資源
「やきもの」のまちとして知られる瀬戸市は、陶土をはじめとする豊かな地域資源を持ち、それが人々の生活と密接に結び付いています。この地域ならではの素材や資源を用いた、千年もの歴史を刻む地場産業は、地域の誇りの源です。かつて陶磁製品の生産に伴い生み出された灰のように黒く染まった空や白く濁った川、木を失った里山は、環境の汚染や破壊である一方で、まちの繁栄の象徴でもありました。こうした産業のあり方は、人間と環境の関係についてさまざまな思考への道を開いてくれます。
開催概要
テーマ
灰と薔薇のあいまに
A Time Between Ashes and Roses
会期
2025年9月13日(土)から11月30日(日)[79日間]
主な会場
芸術監督
Hoor Al Qasimi(フール・アル・カシミ)
[シャルジャ美術財団理事長兼ディレクター、国際ビエンナーレ協会(IBA)会長]
主催
国際芸術祭「あいち」組織委員会
[会長 大林剛郎(株式会社大林組取締役会長 兼 取締役会議長)]
事業展開
現代美術
- 国内外のアーティストの作品展示などで、国際色豊かな現代美術を紹介します。
- 愛知県美術館を含む愛知芸術文化センターや、愛知県陶磁美術館、瀬戸市のまちなかでの作品展示など、県内での広域展開を図ります。
パフォーミングアーツ
- 国内外の先鋭的な演劇、ダンスなどの舞台芸術作品を、愛知芸術文化センターを中心に上演します。
ラーニング
- 幅広い層を対象とした様々な「ラーニング・プログラム」を実施します。
連携事業
- 県内の芸術大学を始め、多様な主体との連携による事業を展開します。
- 参加アーティストによる短期間の巡回展示を県内数か所で開催します。
テーマ/コンセプト
灰と薔薇のあいまに
枯れ木に花は咲くのか
灰と薔薇の間の時が来る
すべてが消え去り
すべてが再び始まるときに※1
モダニズムの詩人アドニスは、1967年の第3次中東戦争の後、アラブ世界を覆う灰の圧倒的な存在に疑問を投げかけ、自身を取り巻く環境破壊を嘆きました。アドニスの詩において、灰は自然分解の結果生じるものではなく、人間の活動による産物、つまり無分別な暴力、戦争、殺戮の結果なのです。環境に刻まれた痕跡を通して戦争を視覚化することで、アドニスは、直接的な因果関係や現代的な領土主義の理解ではなく、地質学的かつ永続的な時間軸を通して戦争の遺産を物語ります。したがって、アドニスにとってそれはただ暗いばかりではありません。消滅の後には開花が続くからです。
この感情は、再生と復活のためには必ず破壊と死が先行するということ、そして人類の繁栄のためには、恐怖を耐え忍びながらその道を歩まなければならないという、一般的な心理的概念を表しています。アドニスは、希望と絶望の感情と闘いながら、新たな未来、現在と過去に結びつく恐怖から解放された未来を思い描きます。戦争を国家、民族、部族、人間中心的なものよりも、集合体としての環境という視点から理解しようとすることで、アドニスは戦争の多様な顔を強調します。すなわち、人類が引き起こした戦争、地球に対する戦争、私たち自身の内なる戦争、他者との戦争、ヒエラルキー・服従・抑圧・飢饉・飢餓・搾取をめぐる象徴としての戦争、資源とエネルギーをめぐる戦争、所有権や著作権をめぐる戦争、希望・夢・想像力をかけた戦争などです。
観察者、目撃者として戦争と破壊を経験したアドニスがこの詩を書いた政治的背景は、私たちの現在の経験にも根差しており、この芸術祭ではそれをさらに拡張しています。「灰と薔薇のあいまに」というテーマにおいて、私は人間が作り出した環境の複雑に絡み合った関係を考えるために、灰か薔薇かの極端な二項対立も、両者の間の究極の境界線も選ばないことにしました。むしろ、啓蒙思想の知識文化から受け継がれた両者の境に疑問を投げかけ、人間と環境が交わる状態、条件、度合いを想定します。今回の芸術祭では、戦争と希望という両極のいずれでもなく、その間にある私たちの環境の極端な状態を受け止めながら、人間と環境の間にあると思われている双方向の道を解体する可能性を探ります。
「灰と薔薇のあいまに」において、私は、人間と自然の関係についての規範的な枠組みとは異なる問いを投げかけます。すなわち、人間が自然を変質させているのでしょうか、それとも自然が人間を変質させているのでしょうか。人間とは単なる生体物質なのでしょうか。内面的で心理的な人間と、外面的で植物的な世界との間に明確な区別はあるのでしょうか。人間と環境の現代的な関係に取り組むとき、人新世から資本新世、プランテーション新世、クトゥルー新世※2といった規範的な概念を受け入れ、批判するしか方法はないのでしょうか。芸術作品や展覧会制作は、未知の場所としての環境にアプローチし、新たな物語を発掘し、別の視点を見つけることができるのでしょうか。
第6回となる国際芸術祭「あいち2025」では、人間と環境の関係を見つめ、これまでとは別の、その土地に根差した固有の組み合わせを掘り起こしたいと考えました。農業が機械化され領土が金融化される以前には、世界の至るところで共同体が自然を管理し、環境景観との相互関係を発展させていました。そうした共同体は、自然の権利や保護を意識し、それを取り巻く動植物の生息地との間に親近感を感じて、互いに信頼し、育み、補い合う道を築いていました。この芸術祭では、そのような枠組みを現代的な芸術実践の一部として歓迎します。
このキュレトリアルなアプローチは、人間の痕跡が上に刻まれた複合体としての環境という現代的な想像力とは異なる、環境と共にある想像力の上に成り立っており、またそれを育むものでもあります。農業、化石燃料の採掘、深海採掘、資源の略奪、原料となる天然資源の開発といった活動が、帝国主義的な構造から受け継がれた成長中心の考え方と同様に、人間が環境に対して絶えずダメージを与えるシステムを構築し、また人間が環境に依存する危険な構造を発展させてきたことは、周知のとおりです。加えて、環境に関する私たちの知識は人間中心的であり、自分たちの利益のために環境を変質・改造することができる存在として、人間を人間以外の生命体よりも優位に置いています。
人間は、原材料を収奪できる空間へと環境を均す専門技術を持ったエンジニアであるだけでなく、人類の間に存在する不平等を再強化してもいます。今日私たちが占有している環境は、ある共同体が他の共同体よりも恩恵を受け、その生活の質が高まるように、異質化され、細分化され、分類され、モデル化されています。現在のグリーンエネルギー化の言説もまた、片方の半球にいる人々のためのものであり、他方で環境回復のために欠かせない方策の恩恵を受けることのできない共同体が、世界中至るところに存在しているように思われます。このように、今日の人間と環境にまつわる実践の多くは、人種、社会、差別についての知識や考え方を何度も繰り返しているのです。
この結果、地球上の多くの地域が、何世紀にもわたって資源を採掘してきた植民地帝国の名残を生き、多国籍の食料・エネルギー・農業企業によって身動きが取れない現状に直面しています。こうした共同体の多くは、西側世界の植民地の遺産が作り出した人間と環境の関係から不当に大きな影響を受けており、そのような現在の都市と市民の構造は、私たちが今目にしている地球規模の変化の不可避的な原因となっているのです。そうした変化は、絶え間なく続く先住民族の大量虐殺と領土の略奪、植民地化された領土での数十年にわたる核実験、そして生活環境の壊滅的な喪失と人々の屈辱をもたらした、プランテーションや鉱山での強制労働の暴力とトラウマといった遺産の上に存在しています。このことは、私たちの寿命よりも長いスパンで感じられるようなかたちでこの惑星の地質を変え、そして今もなお変え続けており、人類そのものの生存に深刻な影響を及ぼしています。
今回の芸術祭では、現在の人間と環境の関係に関する一筋縄ではいかない物語や研究を念頭に置きながらも、私たちが直面している極端な終末論も楽観論も中心としないことを目指しています。私は、環境正義※3に関する対話に複雑さを重ねることによってのみ、私たちが自らの責任に向き合い、その不正義への加担に気づくことができるのだと考えています。ヒエラルキーの押しつけや偏った読み方を避けるために、世界中からアーティストやコレクティブを招き、私たちが生きる環境について既に語られている、そしてまだ見ぬ物語を表現するのです。アドニスが想像したように、試練を乗り越えて死や破壊に耐えるからこそ自然は回復力を持つのでしょうか。それとも、生命を奪われ機械化された空疎な気候フィクション※4が表現するディストピア的で黙示録的な未来像が、今まさに私たちが生きる現実なのでしょうか。
愛知県に根差した今回の芸術祭には、灰と薔薇の間にある日本独自の環境に対する想像力も組み込まれます。愛知県は陶磁製品の産地として、瀬戸市は「せともの」の生産地として知られています。周囲の環境から得た素材や資源を用いるこれらの地場産業は、アーティストたちの新作の中にも立ち現れてくるでしょう。こうした産業は、地域の誇りの源であり、人間と環境の関係についての新たなモデルを模索する本芸術祭の支柱となります。たとえばこの地では、歴史的な写真や資料で目にする陶磁製品の生産によって作り出された灰のような黒い空は、環境の汚染や破壊よりも、むしろ繁栄を意味していました。このように普遍主義的な人新世という人間中心の批評の視点から脱却する時、技術、地域に根差した知識、帝国の歴史、環境に対する想像力について、どのような思考が浮かび上がってくるのでしょうか。地場産業や地域遺産は、人間と環境の複雑に絡み合った関係について、新たな、幅を持った思考への道を開くのでしょうか。
今回の芸術祭ではさらに、手塚治虫の『来るべき世界』を始め、日本の大衆文化、小説、映画、音楽のさまざまなシーンや事例もまた参照します。手塚の物語では、アメリカ合衆国とソビエト連邦になぞらえた国同士の緊迫した関係が原爆の開発競争──それは日本の現代化と環境の状態に深く絡んだ歴史でもあります──を招き、偶然にも「フウムーン」と呼ばれる突然変異の動物種を生み出してしまいます。フウムーンは人間を超える能力と知性を持ち、多くの動物と少数の人々を地球から避難させる作戦を考えます。自然と人間の副産物であるフウムーンが、窮地を救うためにやって来るわけです。
『来るべき世界』は、今回の芸術祭のテーマとアドニスの詩に共鳴しつつ、終末と開花の間を横断します。愛知県という地域性、アドニスや手塚といった作家への参照、そして参加アーティストたちが共に示すのは、「灰と薔薇のあいまに」を掲げるこの芸術祭が、幅を持った考え方、有限なもの、そして中間にある状態を採り入れることによって、当然視されてきた位置づけやヒエラルキーを解きほぐせるということなのです。
国際芸術祭「あいち2025」芸術監督
フール・アル・カシミ
- ※1Adonis, “An Introduction to the History of the Petty Kings,” A Time Between Ashes and Roses, 1970.
- ※2人新世とは、人類が地球の環境を激変させた近現代を、地質年代として指す言葉。それに対し、深刻な環境破壊を招いたのは人類全体ではなく資本主義やプランテーション化を伴う植民地主義だとする立場(資本新世、プランテーション新世)や、そもそも人類を中心に据えずに、あらゆる種類の生物や非生物から精霊や神話の登場人物までが、堆肥のように共に混じりながら「地下世界に(chthonic)」生きるべきだという立場(クトゥルー新世)がある。
- ※3出自や所得の多寡にかかわらず公平に安全な環境で暮らす権利を持つこと。
- ※4気候変動がもたらす悪影響にまつわるフィクション。
企画体制
芸術監督

フール・アル・カシミ
Hoor Al Qasimi[シャルジャ美術財団理事長兼ディレクター/国際ビエンナーレ協会(IBA)会長]SEBASTIAN BÖTTCHER
アラブ首長国連邦をはじめ中東、そして世界中のアートを繋ぐ支援者として、2009年にシャルジャ美術財団を設立し、現在は理事長兼ディレクターを務める。新たな試みやイノベーションの支援に情熱を注ぎ、国際巡回展をはじめ、レジデンス・プログラム、コミッション・ワークや制作助成、パフォーマンスや映画のフェスティバル、建築物の調査や保存、幅広い年齢層に向けた教育プログラムまで、同財団の活動領域を広げてきた。
第6回シャルジャ・ビエンナーレ(2003)の共同キュレーターとなって以来、同ビエンナーレのディレクターを務め、2023年の第15回シャルジャ・ビエンナーレのキュレーターに就任。また、2017年には国際ビエンナーレ協会会長に選出された他、シャルジャのアフリカ・インスティテュート会長や建築トリエンナーレ会長兼ディレクターとしても活動。過去にはMoMA PS1(ニューヨーク)やユーレンス現代美術センター(北京)などのボードメンバーも歴任。
学芸統括

飯田志保子
Iida Shihoko[キュレーター]ToLoLo studio
東京都生まれ。名古屋市在住。1998年の開館準備期から11年間東京オペラシティアートギャラリーに勤務。2009年から2011年までブリスベンのクイーンズランド州立美術館/現代美術館内の研究機関に客員キュレーターとして在籍。韓国国立現代美術館2011年度インターナショナル・フェローシップ・リサーチャー。アジア地域の現代美術、共同企画、芸術文化制度と社会の関係に関心を持ち、ソウル、豪州複数都市、ニューデリー、ジャカルタ、ミラノで共同企画を実践。第15回アジアン・アート・ビエンナーレ・バングラデシュ2012、あいちトリエンナーレ2013、札幌国際芸術祭2014キュレーター、あいちトリエンナーレ2019、国際芸術祭「あいち2022」チーフ・キュレーター(学芸統括)を務めた他、2014年から2018年まで東京藝術大学准教授。国際美術館会議(CIMAM)会員、国際ビエンナーレ協会(IBA)会員、美術評論家連盟(AICA)会員。
キュレーター(現代美術)

入澤聖明
Irizawa Masaaki[愛知県陶磁美術館学芸員]大阪府生まれ。京都市立芸術大学大学院修士課程芸術学領域修了。京都国立近代美術館キュレトリアル・インターンシップを経て、2015年から2017年までアサヒグループ(旧アサヒビール)大山崎山荘美術館で学芸員として勤務。2018年より現職。専門は日本の近・現代陶芸史。芸術表現としての陶芸だけでなく、産業的な視点も軸として展覧会を企画。近年の主な担当展に「異才 辻晉堂の陶彫—陶芸であらざるの造形から」(2020年)、「昭和レトロモダン―洋食器とデザイン画」(2022年)、「やきもの現代考—内⇄外—」(2022年)、「ホモ・ファーベルの断片」(2022年)。その他、西枝財団キュレーター助成事業として「Dividing Line – Connecting Line」(2013年/川井遊木 共同企画)に参画。
キュレーター(パフォーミングアーツ)

中村茜
Nakamura Akane[パフォーミングアーツ・プロデューサー]Takuya Matsumi
東京都生まれ。日本大学芸術学部在籍中より舞台芸術に関わる。2004年から2008年までSTスポット横浜プログラムディレクター、2006年株式会社precogの立ち上げに参画、2008年より同社代表取締役。2016年から2018年までアジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)のグランティとしてバンコクとニューヨークに滞在。現代演劇、コンテンポラリーダンスのアーティストやカンパニーの国内外の活動をプロデュースするとともに、サイトスペシフィックなフェスティバルや領域横断的な人材育成事業、動画作品をバリアフリーと多言語で配信するプラットフォーム事業などを手掛ける。海外ツアーや共同制作のプロデュース実績は30カ国70都市に及ぶ。2012年から2014年まで国東半島アートプロジェクト及び国東半島芸術祭(国東半島芸術祭実行委員会主催)パフォーミングアーツプログラム・ディレクター。2019年、True Colors Festival ~超ダイバーシティ芸術祭~(日本財団主催)アソシエイトディレクター兼副事務局長。2020年、アクセシビリティに特化したオンライン劇場「THEATRE for ALL」統括プロデュース。令和3年度(第72回)文化庁芸術選奨・文部科学大臣賞新人賞【芸術振興部門】受賞。
キュレーター(ラーニング)

辻琢磨
Tsuji Takuma[建築家]goitami
静岡県浜松市生まれ。横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA修了後、橋本健史、彌田徹とともに2011年に建築コレクティブ403architecture [dajiba](以下403)を設立。403として、2014年「富塚の天井」にて第30回吉岡賞受賞、2016年ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館にて審査員特別表彰、あいちトリエンナーレ2016出展等、国内外への出展多数。2017年に個人事務所となる辻琢磨建築企画事務所を設立後は、403と並行して、建物や空間の断続的でなめらかな変化をテーマに活動している。2019年には、あいちトリエンナーレ芸術大学連携プロジェクトの講師を、2020年から23年まで名古屋造形大学地域社会圏領域特任講師を歴任。現在は静岡県磐田市の建築設計事務所、渡辺隆建築設計事務所の特別顧問も務める。
キュレトリアルアドバイザー(現代美術)

石倉敏明
Toshiaki Ishikura[人類学者/秋田公立美術大学アーツ&ルーツ専攻准教授]シッキム、ダージリン、ネパール、東北日本等でのフィールド調査、環太平洋の比較神話学や複数種をめぐる芸術人類学の研究、アーティストとの協働制作や展覧会企画協力を行う。多摩美術大学芸術人類学研究所助手、明治大学野生の科学研究所研究員を経て現職。2019年、第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際芸術祭日本館展示「Cosmo-Eggs | 宇宙の卵」に参加。共著書に『Lexicon 現代人類学』、『モア・ザン・ヒューマン マルチスピーシーズ人類学と環境人文学』(以上、以文社)など。

趙純恵
Cho Sunhye[福岡アジア美術館学芸員]東京都生まれ。福岡市在住。日本国内や東アジア地域での展覧会アシスタント、コーディネーター等を経て、あいちトリエンナーレ2016のアシスタント・キュレーターを担当。2016年より福岡アジア美術館(学芸課収集展示係)の学芸員に着任。専門はアジア現代美術。近年は、汎アジアの移民当事者の美術史および視覚表現についての調査を行っている。美術館で担当した主な展覧会に、「アジア美術からみるLGBTQと多様性社会」(2019)、「福岡アジア美術館開館20周年記念展アジア美術、100年の旅」(2019)、「メッセージ―アジア女性作家たちの50年」(2020)、「水のアジア」(2023)などがある。
キービジュアル


このシンプルで豊かな詩を絵にする。
私がまず考えたのは「薔薇はどこに咲くのだろう」という事でした。
灰は理不尽な破壊や死の結果なのか?
だとしたら薔薇は死者の国に咲くのかもしれない。
わたしは死者の国の住人として幽霊を描くことにしました。
描いているうちに、死んでいるはずの幽霊たちが少し生き生きとしてきたような気がしました。
“死者の国”と思っていたのはもしかしたら“生まれる前の者たちの国”なのかもしれない。
それがこの絵です。

五十嵐大介
Igarashi Daisukeデザイン

