• 現代美術地域展開事業

出品作品の総復習(その1)

  • 2021年2月26日

出品作品を改めて振り返りたいと思います。
解説付きでご覧下さい!!

<鈴木一太郎>

展示風景より、鈴木一太郎《英雄不在の騎馬像》(2021) Photo by Tamotsu Kido

 スマホやパソコンの画面上に表示される馬の画像がそのまま現実に出現したような、巨大な彫刻作品です。1辺が12センチ角のブロックが積み上げられることで出来たこの彫刻は、高さが約2.5m、幅が約3.3mもの巨大なサイズを誇ります。
 西洋や日本で生み出されてきた彫刻の歴史のなかでは、さまざまな場所に設置され、戦争での功績や武勲を讃える「騎馬像」が残されています。しかしながら、ここに設置された彫刻作品には、馬の上で誇らしげに武器を掲げる「英雄」の姿がいなくなっています。また残された馬も、幾何学的で無機的な図形のようなドットだけで表現されることで、薄っぺらいイメージの具体化として生み出されています。時代が変化することで、かつて評価されていた戦争の英雄が単なる殺人者となってしまうこともあれば、高貴さや力強さの象徴がゲームのキャラクターのような大衆的な存在に転化することもあるかもしれません。公共空間に馬の彫刻を設置することで、過去と比べてどのように現代の人々の価値観や意識についての問題を投げかけます。

<松川朋奈>

展示風景より、松川朋奈《自分で選べるということに、今も戸惑うけれど》(2021) Photo by Tamotsu Kido

 一見写真とも見間違えてしまうような、きわめて写実的なスタイルで描いた絵画はすべて、女性への取材をもとにしたエピソードや、画家本人の経験をもとに描かれています。
 ピンクの服が脱ぎ捨てられた絵では、そのデザインの美しさが描かれているわけでも、暴力的な出来事が示唆されているわけでもありません。無造作に脱ぎ出された服をどこか覚めた目で見つめる視線には、子供の頃は母親に「女の子だから」という理由で服を決められていた女性が、自分自身の自由と責任を得た大人になり、子供時代を想起する姿が映し出されています。別の絵では、女性(娘)がワンピースの花柄の上で、手に皺の増えた女性(母親)の手を握りしめています。かつて「娘」であった女性が成長して自らが「母」になることで、子供の時は「母」としてしか見ることのできなかった存在に近づきます。年老いていく母には歩み寄ろうとする心境が描かれています。
 自分とは違うと思いながらも母親の面影を感じたり、自分の娘に対する母親としての意識が新しいものだと感じたり、時間が経つにつれて変化する親と子。葛藤を抱えながら、ポジティブに向き合う「母と娘」の様々な関係性が浮かび上がります。

<うしお>

展示風景より、うしお《詠み人知らず「なかきよの…」》(2021) Photo by Tamotsu Kido

 江戸時代の船頭・小栗重吉は、江戸から尾張への航路で嵐に遭遇し、それから17ヶ月もの長い間、太平洋を漂流した人物です。仲間の船員たちの命が、栄養失調や病気などによって次々と失われるなかで、なんとか生き延びた彼は、アメリカ西海岸沖まで流されたところを外国船に救助され、ロシアを経由して帰還しました。帰国後は、漂流中から建立を決意していた、亡くなった船員たちを追悼する石碑を完成させました。
 この作品では、小栗重吉のエピソードを起点に、船上から見た波や水平線が揺らぐ映像や、竹でできた構造物などから空間を構成することで、海上での漂流経験を私たちに想起させます。いつ終わるともわからない漂流生活のなかで人間はどのように振る舞い、どのように人間らしく生きることができるのか? そして、多くの死者を出した出来事の後に、死者に対する様々な葛藤や罪悪感にも向き合う中で、どのように生き延びていくのか? 人間が生死の境を彷徨いながらも生き残っていくことについて、さまざまな問いを投げかけます。