2023年度
なめらかでないしぐさ 現代美術 in 西尾

会期:
2023年10月14日〜11月5日
会場:
西尾市岩瀬文庫、康全寺、旧上田家具店、尚古荘不言庵、西尾市資料館、唯法寺、林帯芯工場
▼出展作家リスト
茨木のり子大和田俊岡本健児柄澤健介キ・スルギ神農理恵大東 忍時里 充潘 逸舟札本彩子山口麻加

出展作家

「汲む──Y・Yに──」1965年ほか
撮影:城戸保

茨木のり子

Ibaragi Noriko

大阪に生まれ、医師だった父の仕事の都合で西尾に移ってきた宮崎のり子は、西尾尋常高等小学校(現在の市立西尾小学校)、西尾高等女学校(現在の県立西尾高校)で少女時代を過ごしました。卒業後は東京に出て帝国女子医学薬学専門学校(現在の東邦大学)へ進学し、19歳で終戦を迎えます。戦後、卒業して薬剤師の資格を得たものの、文学の道を進むことを決意し、戯曲や放送童話をいくつか手がけたのち、家事のかたわら「茨木のり子」のペンネームで詩作を始めました。雑誌『詩学』への投稿を重ね、親しい詩人らと同人詩誌『(かい)』を創刊します。茨木の詩の、平易だけれども力強さを損なわない言い回しや、物事への透き通った確かな眼差しは、現在に至るまで数多くの人々の心を揺さぶり、とりわけ73歳で刊行した『()りかからず』は、詩集としては異例のヒットとなりました。また茨木は隣国である韓国の言葉に関心を寄せ、50歳でハングルを習い始めると、数々の韓国現代詩を日本に紹介して文学を通じた交流にも尽力しました。

本展のタイトル「なめらかでないしぐさ」は、茨木が戯曲作家時代に知り合った女優・山本(やす)()との思い出をうたった「()む──Y・Yに──」のフレーズから採ったものです。茨木が紡いだみずみずしい言葉たちを、この展示室で数篇紹介するとともに、西尾のまちなかのさまざまな場所にも、ポスターとして散りばめました。

宮崎圀子(茨木のり子)「野良犬」愛知県西尾高等女学校校友会誌『校友』13号所収、1940年、愛知県立西尾高等学校蔵
撮影:城戸保

《炭酸水》2023年
撮影:城戸保

大和田 俊

Owada Shun

貝類やサンゴ、有孔虫などの海の生き物は、水中に溶けた二酸化炭素を利用して骨格や殻を作ります。石材やセメントの原料となる石灰岩の多くは、こうした生き物の死骸が堆積して形成されたものです。このようなプロセスは数億年という地質学的な時間をかけて、われわれ人間には知覚できないほどゆっくりと進行しています。

大和田俊は、石灰岩が酸性の水溶液と反応して再び二酸化炭素を放出する性質を利用して、この一連のプロセスを私たちにも知覚可能な速さへと変換して見せます。発生した二酸化炭素は、高圧で水に溶かすと炭酸水になりますが、これを実際に飲用可能な「清涼飲料水」にするためには、殺菌して容器に充填して密栓するなど、国が定める製造や保存の基準をクリアしなければなりません。大和田はこれまで実際に許認可を得て飲用可能な炭酸水を作ってきました。しかしその炭酸水も、賞味期限や消費期限といった法的に設定・表示が義務付けられているタイムスパンを超えると、再び飲用には適さないものになってしまいます。

清涼飲料水としての炭酸水は、「ごくり」という喉の運動と共に体内に取り込まれる瞬間を迎えられるか、さもなくば密栓してあるとはいえ徐々に炭酸が抜け、二酸化炭素を再び大気中へと解き放っていくでしょう。大和田は、数億年から数ヶ月、数日、そして一瞬という複数の時間軸での二酸化炭素の移動を見せることで、地球上のあらゆる物質がとどまることなく常に動き続けているという感覚を、私たちにクリアに伝えています。

《炭酸水製造機》、《Gulp Down the Bubbles, Like a Continental Plate Swallows an Ocean》2023年
撮影:城戸保

《無題》2023年、《無題》2022年
撮影:城戸保

岡本 健児

Okamoto Kenji

目の前にあるモノにまとわりついている空気は、それ自体見ることも触れることもできません。しかし岡本健児の絵は、それをこともなげに筆でつかまえているかのようです。グニグニとした絵具が寄り集まって、何かのカタチになろうとしている、岡本の絵にはそんな気配が満ちています。

特別支援学校での造形あそびや美術の指導の経験を通じて、岡本は絵を描くという行為を「描きたいもの」や「描く技術」ありきで考えるのではなく、画材に使えそうな色々なものと、それを握って画面に擦り付ける人の動きの組み合わせとして捉えるようになりました。あるいはまた、自ら綿を育てて綿花を収穫し、糸を紡いで織り上げたキャンバスに、身近な場所で採集した土や貝殻を細かく砕いて練った顔料を塗りつけてみることで、絵を描くためのありきたりな画材が、実のところ何からどのようにできているのかを一から確かめる試みを実践してきました。

799(延暦18)年、天竺(インド)から現在の西尾市に小舟で漂着した一人の若者が携えていた綿の種。それこそが、日本への綿の伝来だとされています(『日本後紀』)。綿の祖を(まつ)るここ西尾の地で、岡本の絵は自らの成り立ちを丁寧に手繰り寄せながら、より確かな手触りを帯びていくのです。

《絵を描く》ほか 2023年
撮影:城戸保

《道》2023年
撮影:城戸保

柄澤 健介

Karasawa Kensuke

山を、その表皮を撫でて確かめるように一歩一歩踏みしめて登り、全体を把握しようと試みる。柄澤健介がこれまで木彫を通じて表現してきたのは、そんな実際の登山体験から得た山のイメージです。一方で、木を少しずつ彫り進めていくという木彫のプロセスは、表からは見えないけれども確かに内側に存在しているかたちに向かって、中へ中へと潜っていくような感覚とも言えそうです。いずれにしても、はるか上空から眺めるようにして山のかたちを一挙に把握するのではなく、近すぎて全貌が見えない、あるいは彫り出してみないと全体が分からない、そんなとても限られた視野から山を捉えようとする感覚が、柄澤の作品には息づいています。さらに柄澤は、彫って凹んだ部分に白い蝋を流し込むことで、それまで内側だった部分を外側に、外側だった部分を内側に、ぐるりと入れ替え可能なものとして取り扱おうとします。

西尾市の北辺を流れる矢作(やはぎ)(がわ)は、江戸時代初期に徳川家康が治水対策として現在の川筋の開削(かいさく)を命じたもので、その後、元々の本流だった矢作古川の下流の弓取(ゆみとり)(がわ)を閉塞するという「川違(かわたが)え」が行われました。弓取川の痕跡は、今はごくわずかに残る旧堤から(うかが)えるのみです。柄澤の新作には、長い時間をかけて山を削り、分岐し、合流し、時に()れ、地中に潜るといった、さまざまな姿を見せる川のイメージもまた、重ねられています。

《深[未]景》2017-2021年
撮影:城戸保

《わたしたちが一番きれいだったとき》ほか 2023年
撮影:城戸保

キ・スルギ

Ki Seulki

ソウルとロンドンで写真を学んだキ・スルギは、さまざまな媒体を用いて、日常の中であまり意識されることがない感覚に焦点を当てた作品や、身の回りのモノを通じて個人的な経験を想起させるような作品を制作してきました。

本展では、少女時代を西尾で過ごした詩人の茨木のり子に焦点を当てた作品を展示しました。茨木の生き方に感銘を受けたキは、茨木が使っていたテーブルクロスをモティーフにしたインスタレーションや、彼女のポートレイトに倣った自身の肖像写真によって茨木になった自分を想像しています。また、キが鏡に記した、戦時下の青春をうたった茨木の詩「わたしが一番きれいだったとき」のテキストと、現在のモスクワとキーウに暮らす二人の女性がそれを英語で朗読する音声は、時代や国を超えて茨木の言葉を響かせようとするものです。

キはまた、27歳の若さで敗戦直前の日本で獄死した韓国の国民的詩人ユン・ドンジュと茨木との関係にも注目しました。二人が実際に会うことはありませんでしたが、茨木はユンの詩を高く評価していました。二人が一緒にいるかのような合成写真は、もし彼らが出会っていたら交わされたであろう会話についての私たちの想像を掻き立てます。

こうした一連の作品は必ずしもわかりやすく“なめらか”なものではないかもしれません。しかしそこには、さまざまな角度から茨木やユンを自身の中に取り込むことによって、他者/自己という関係性を再考しようとするキの制作態度が表れています。

《彼女たちが一番きれいだったとき》2023年
撮影:城戸保

《朝のひかり、昼のひかり、夜のひかり、》2023年
撮影:城戸保

神農 理恵

Shinno Rie

西尾市岩瀬文庫の旧書庫前に置かれているのは、まるでカラフルな紙をハサミで思いつくままに切って糊づけしただけに見える《dog (big)》です。そのペーパークラフトのような見かけの軽やかさとは裏腹に、神農理恵の作品は、火花を散らしながら切り出した厚く重い鉄板を自重とのバランスを考えながら溶接するという、とてもハードな作業を伴います。あくまで形は行き当たりばったりに決まってゆき、自立するかどうかはやってみないと分かりませんが、それがうまくいった時、鉄板はたちまち血の通った生き物になり、軽やかに動き出すかのようです。

文庫の建物を回り込んで、地下に降りてゆく光庭の斜面には、水たまりのようにキラキラと輝く鉄のかけらが連なって、川のようなものを形成しています。矢作(やはぎ)(がわ)が運んできた土砂が形成した肥沃(ひよく)な沖積平野が広がるここ西尾の土地のイメージに、神農は溶接の際に鉄が高温で溶け合ってできるオレンジ色のプール(溶融池)のイメージを重ね合わせます。切り刻まれた鉄板は余すところなく繋げられ、鏡のようなステンレスの表面は刻一刻と変化する光を反射し、その下で鉄板がゆっくりと錆びて朽ちてゆくでしょう。重厚なのに軽やか、硬いのに流れるように柔らかい。神農は彫刻に、こうした矛盾した性質を見事に同居させています。

《dog (big)》2021年
撮影:城戸保

《かつての騒ぎと今日の踊り》2023年
撮影:城戸保

大東 忍

Daito Shinobu

日本中のどこにでもありそうな住宅地の静まり返った夜。ひとり、またひとりと去ってしまった限界集落の夜。祭りが終わり、その余韻すらもすでに消えて静まり返った広場の夜。ただ生活の気配だけがかすかに漂っている、そんな抜け殻のような景色を舞台に、月明かりや街灯をスポットライトにして、黒い人影が黙々と踊り続けています。

全国の盆踊りを訪ね、無数の提灯に赤々と照らされてひとつの塊になって(やぐら)の周りでうごめく人々を眺め、そして衝き動かされるかのようにその中に飛び込んでいくという体験を繰り返すうちに、大東忍はその秩序と混乱の狭間にある状態に、強く惹かれるようになりました。明治時代、学制を発布するなど日本が近代国家としての体裁を整えてゆくなかで、老若男女が入り乱れ、異性装や奇抜な格好、奔放な性欲も許容される一夜の祝祭としての盆踊りは、各地で取り締まりの対象にもなります。そうして徐々に「健全化」された盆踊りは、ラジオやレコードに乗ってヒット曲を生み出しながら、全国各地でいまも根強く踊り継がれているのです。

西尾の夜をそぞろ歩いては、大東はかつてあったかもしれない祭りの熱気の痕跡を手繰り、その場で自ら踊って確かめてゆきます。木炭だけで描かれた、ざらついたモノクロームの暗闇に包まれた光景に、どこか懐かしさや温かさを覚えるとすれば、それは私たちの中に宿る祭りの火種の反映なのかもしれません。

《かつての騒ぎと今日の踊り》(部分)2023年
撮影:城戸保

《ハンドメイドムーブメント season 1.5 大体の事柄は布に覆われてしまっている 階段の上と下で》2023年
撮影:城戸保

時里 充

Tokisato Mitsuru

廃墟のような奇妙な舞台で、二人のおばけのような生き物が、熱心に何かを語り合っています。聞こえてくるのは「布で覆われた」、「切れ目が見えなくて、ただ動いているように見える」、「おばけのほうがみんないなくなるのに」、「上と下で話す怪談」 …といったフレーズです。一つ一つの会話はきちんと成り立っているのに、話の筋はいつまでたっても掴めそうで掴めません。タイトルの通り、布一枚隔てて何かを触っているような、そんなもどかしい感覚に陥るかもしれません。

それもそのはず、二人が話している内容は、いくつかのキーワードを元にAIが機械的に生成したストーリーなのです。それをさも筋が通ったお話であるかのように声優が声を当てて、さらにその声に合わせて時里充が自らの手をキャラクターに見立てて動かしています。手の動きはモーションキャプチャーで読み取られ、コンピュータ上でシミュレートした布が被せられて、二体のパペットが誕生します。パペットたちが語らう舞台は、現実の複数の場所を3Dスキャンして組み合わせた仮想の空間です。

このように、時里が生み出す映像の中の世界は、現実の世界と一風変わったやり方で交差しています。時里は、自らが完全にコントロールできる工程と、AI技術を用いたプログラムや声優のような他人が介入する工程とを、意図的に交互に繰り返したり入れ子構造にしたりすることで、誰のものでもない物語を生み出しているのです。

《ハンドメイドムーブメント ベランダで手を動かす》2022年
撮影:城戸保

《埃から生まれた糸の盆踊り》2022/2023年
撮影:城戸保

潘 逸舟

Han Ishu

本展示は、国際芸術祭「あいち2022」で潘逸舟が発表した作品《(ほこり)から生まれた糸の盆踊り》(2022年)を再構成し、作品の撮影地である林(おび)(しん)工場で、西尾市制70周年記念事業の一環として行ったものです。

ここ三河地方は8世紀に綿が輸入されたともいわれ、江戸時代には徳川家の庇護のもとで木綿産業が大きく発展しました。木綿についてのリサーチの中で潘が訪れたのが1918(大正7)年に創業された林帯芯工場で、白い糸がゆらゆらと舞う本作はこの工場内で撮影されました。今もなお帯芯(着物の帯の芯地)を織り続ける機械に雪のように降り積もった綿埃や糸くずから、潘はその場に蓄積された歴史や労働など様々な想像の翼を広げました。「労働」について潘は、これまで独自の視点でこれを見つめてきました。労働、身体、移動といった観点は、いずれも存在や生命力について私たちに考えさせます。

9歳で上海から青森に移住した潘は、言葉や文化の異なる場所で自らの存在や立ち位置を模索し、世界との距離を測ってきました。これまでの作品では、自身が映像のなかで踊る、歩く、泳ぐことで空間に身体を介入させてきましたが、本作では空中を舞う糸の動きが、潘の想像力の広がりや空間への介入を代弁しています。潘は埃を「蓄積しつづける記憶、溶けない雪、工場の内側を覆う一層の皮膚」といったメタファーとして捉え、工場の機械の音、工場内の日常的な音、潘が部品を叩く音などでそれを包み込んでいます。空間を漂う白い糸から、古い織り機に囲まれた私たちは何を想像できるでしょうか。

《埃から生まれた糸の盆踊り》2022/2023年
撮影:城戸保

《鮭s》2023年
撮影:城戸保

札本 彩子

Fudamoto Ayako

札本彩子は独自の手法で制作した食品造形を通して、食を取り巻く社会環境や食文化について考察する作品を制作してきました。塩化ビニール製の一般的な食品サンプルとは異なり、札本は樹脂粘土を中心に、食材の質感に合わせてさまざまな素材を組み合わせながら彫刻のような手法で制作しています。細部までリアルに作り込まれた作品は、本来食品サンプルが持つ「美味しそう」な要素を超えて、大量消費の問題や食べることに対する人間の欲求などを生々しく想起させます。

札本は、以前から近代洋画の父と言われる高橋由一の油彩画にみられるぽってりとした艶のある表面に食品サンプルと通ずるものを感じており、今回は、由一が描いた一連の鮭へのオマージュとして制作した、由一風の鮭3体を展示しました。これら3本の鮭は一体となって、明治期の歌人も利用したという歴史ある茶室の空間と調和しています。

札本はまた、目の前にいる誰かとそっくりの姿に変身するというゲームの呪文に由来する〈モシャス〉シリーズを継続して制作してきました。身の回りのものや道端に落ちている石やレンガがふとした拍子に食べ物に見えることがありますが、この瞬間を捉えてその形状を模した食品造形を制作し、2つを並べたものが札本の〈モシャス〉です。数年前に札本は、鮭の切り身のように見えるスポンジやレンガを用いた〈モシャス〉を制作しており、いつかより大きなスケールで鮭を表現したいという思いから今回の展示に至りました。

《モシャス(焼鮭 甘口)》2018年
撮影:城戸保

《頁にふれる》2023年
撮影:城戸保

山口 麻加

Yamaguchi Asaka

版画の基本原理は、版の表面の凹凸(おうとつ)(あな)にインクを置いて、そのかたちを紙に写し取るというものです。この時、版の表面と紙の表面とは鏡写しの関係になります。山口麻加は、そこからさらに一歩踏み込んで、版そのものもまた厚みを持った立体的なモノだという事実に着目した版画作品を作ってきました。たとえば版木に虫食いの穴が無数に走っていたとして、版木の表側と裏側の両方を挟み込むように刷ることで、穴の入口と出口を一枚の紙に転写することができます。このように、山口の版画はあくまで薄い一枚の紙に過ぎませんが、それがかつて版に接していたときの分厚い情報をさまざまな形で宿しています。再び紙を折り曲げたり裏返したりしたら今見えているイメージはどう変化するだろう、そんな立体的な感覚を、山口の版画は記憶しているかのようです。

西尾市岩瀬文庫に収められた数々の版本は、刷られた内容をただ今に伝えるだけの透明な媒体というわけではなく、長い年月をかけて多くの人の手に触れてきたことによって、汚れや欠損も含めて、独特の風合いを持っています。版と紙と人の手、それぞれが触れ合ったときの記憶を一頁一頁確かめるように辿りながら、山口はそこにまた新たな一頁を付け加えていくのです。

《頁にふれる》より「ノートを聴く」2023年
撮影:城戸保