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2017年7月15日 レポート

アーティストトークの様子|「Children of men」

実施日時|2017年7月8日(土)
登壇者|服部浩之、山本高之
会場|アートラボあいち2階

山本さんは愛知教育大学を卒業後、制作をしながら教職にも就いていたという、アーティストとしては少し変わった経歴の持ち主。山本さん曰く、愛知県では初めての個展となった今回、4つの映像作品(内1作品は2週間おきに入替え)と、新作に向けた公開リサーチ・プロジェクトから構成されています。アーティストとしてのデビューからずっと継続して行っている《スプーン曲げを教える》から2016年の《まばゆい気分で》まで、作品を一同に紹介することで、それぞれの作品が様々な社会問題をはらんだ根底でつながっていることが見えてきます。

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トークの中心は山本さんの子ども時代でもある1980年代のことへ。

1980年代は、日本が全体的に上昇傾向にある機運の中で、地方博覧会が各地で催されていました。そうした会場に行くと、楽しみながらも、なぜこんなことをしているのかと不思議に思い、なんとなく取り残された気分で居心地が悪かったと言います。そうした気持ちがなぜ起こるのかということに端を発し、地方博覧会を取り上げた作品を複数制作されています。出品中の作品《まばゆい気分で》は仙台で行われた「未来の東北博覧会(1987年)」のテーマ曲を現代の中学生たちが歌っています。明るい未来を信じて疑わない歌詞ですが、震災以降の私たちからみると、違った意味合いに聞こえてきます。また、《Yokohama Dragon Samba YES'89》では、1989年の「横浜博覧会YES'89(Yokohama Exotic Showcase '89)」のテーマ曲を子どもたちがオリジナルの振付けをつけて歌いあげています。

忘れ去られすぎない程度の昔でありながら、インターネットがまだなく、今のように様々なことが残されていない80年代のことを、当時を知る人々へのインタビューや資料で拾い上げていきます。そうしたリサーチを、今回は"公開リサーチ・プロジェクト"として一般に参加者を募集して会期中継続して行っています。

リサーチの内容は、幻に終わった名古屋オリンピックについて。1988年のオリンピックを名古屋に招致するため、行政主体で招致運動が展開されていました。予想では名古屋開催とみられていましたが、実際には韓国のソウルに決定します。山本さんは子ども時代、小学校で先生が名古屋でオリンピックをやるぞ!と言っていたことを覚えているそう。リサーチメンバーによって当時の新聞記事が集められプロジェクトルームで公開されています。さらに、オリンピックのメイン会場候補であった平和公園や、その平和公園でオリンピック招致失敗後に、ユーカリの育成に成功したことによって、初めて日本にやってきたコアラについてなど、リサーチは展開していきます。

今後どのようにリサーチを続け、山本さんがディレクションされるのかが楽しみです。

ソウルと名古屋は1988年のオリンピックに関して言うと、表と裏の関係性です。山本さんは2016年に、ソウルへ赴きオリンピックのリサーチを行っています。当時、韓国は民主化しグローバル化が進み、未来への大きな期待が膨らんだ年でした。

ソウルのリサーチでは、当時の会場を訪れたり、メインキャラクターの虎のお面をつくったりしたそう。さらに、話はメインキャラクターの虎を起点に中島敦『山月記』に。傲慢な詩人が虎になってしまい、偶然山中で出会った昔の友人に詩を披露するというもの。さらに、韓国の昔話が「昔々、虎がタバコをすっていたころ」で始まることなどを絡めて、この傲慢な虎(をアーティストに置き換えて)が中国から韓国へ渡り、日本にやってくる、というセカンドストーリーもオリンピックリサーチの構想のなかにはあるとか。

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2017年の4月から、文化庁の在外研修制度を利用して1年間、イギリスのテート・モダンでリサーチをしている山本さん。その内容についてお伺いしました。

2016年に新館がオープンし、エデュケーション部門だけで40〜50名のスタッフがあり、様々なプログラムを展開しているそうです。昨今、美術教育の世界では、エデュケーション(上から下へ)でなく、ラーニング(一緒に学ぶ)であるという風潮が広がっています。その流れについて、実際の現場を見つつ、リサーチをし、自身の作品制作も行う予定だということです。

何かの出来事を知る方法として、アートを取り入れることで、多面的にじっくりと物事を調べ、知ることができるのではないか、という最後のお話がとても心に残ったトークとなりました。

レポート|松村