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2017年10月4日 レビュー

展覧会レビュー|「アートとあそび」展

あそびの『再生装置』としての子ども

子どもは、日々「あそび」の誘いに乗るかどうかを判断している。全てに対してだ。公園へ行くか、レゴをするか、朝ごはんを食べるか、お風呂に入るか、笑うか、怒るか、寝るか、走るか...。自分に向けられた「誘い」は誰のためか、自分のためか、すごく丁寧に慎重に観察し判断している。その判断のルールは、案外単純だったり、時に複雑だったり、ランダムだったり。

愛知県児童総合センターには、息子が1歳に満たない頃に訪れたことがあった。わんさか子どもがいて、それぞれのペースで「あそび」を楽しんでいる印象だ。まだ歩き始めたばかりで、言語も会得していない当時の息子には、センター全体を楽しむ身体を持ち備えておらず、「ちょっとまだ早かったか」と感じたのを覚えている(0~1歳向けのコーナーもあるが、なんというか、もっと体験してみたい面白そうなプログラムが沢山あったから、そう感じたのだろう。)

アートとあそび展。ホームページの案内を読んだ時、これは「子ども」を連れていこうと思った。動かせる身体と言語も獲得した4歳の息子を連れていくことで、「かつての子ども」としての私が擬似鑑賞するのではなく、生の「子ども」でセンターのプログラムを再生させてみたくなったのだ。

アートラボあいちに到着すると『再生装置』としての息子は、あっけなく「あそび」の誘いに乗った。入口から会場までの導線として、床に敷かれたシールのレールに促されるようにキャッキャと展覧会場に到着する(4歳児は案外単純なものだ)。気がつけば、全てのプログラムを1時間ほどかけて体験。あそびの『再生装置』はとてもスムーズにPLAYされた。

体験を分析してみる。会場では、子どもの身体をその気にさせる「アクティベーション」が複数仕掛けれていた。アイスブレイクとしての導線レール、プログラムに偶然出会うための「くじ引き」、ワークシートやボードが子どもにぴったりの手のひらサイズだったり(はじめて見た!)、鉛筆が幼児にも使えるように短かったり。この心地良さはなんだろう。いつのまにか「あそび」へと連れて行ってくれる滑らかな稜線。美術館で行われるワークショップや子ども向けのプログラムには実装されていない雰囲気を感じたのだ。これらは、日々訪れる子どもたちからのリアクションを受け取り、成長させてきたという(子どもを子ども相手としない)。愛知県児童総合センターが培った20年にわたる「いつかの子ども」たちからの叡智を見た。

山城大督(アーティスト)

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撮影:藤井昌美/Photo by FUJII Masami