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2018年3月2日 レビュー
展覧会レビュー|「サイト&アート01 今村遼佑 雪は積もるか、消えるか」
移行と重なり
「流れ続ける時間の中にあっては、動かない方が時間を感じられる」。2015年の展示記録『すます』に今村さんが記した言葉です。本展でも、止まったときにこそ時間を感じさせる時針のように、各部屋とそこに置かれたものたちが基点となり、さまざまな変化を感じさせていました。もうひとつ、わたしが本展から想像したのは、〈そこにしかないものを見せるには、どこにでもあるものを用いるべきだ〉という一文です。世界が可視的な限りにおいて、どこにでもあるものとは光と影にほかなりません。どこにでもある光と影がここでしか見せないさまざまな姿を浮かびあがらせること、そのための優れた検出器として各部屋を機能させること。今村さんの手になるものたちは、この機能を最大化するよう、ごく控えめに、ただしあくまでロジカルに、それ以外にはありえないという仕方で選ばれ、置かれていたと思います。
たとえば夜、iPad上の碧く光る海が闇に浮かんで見えたのも、明るいところでは白く輝き、そうでないところでは暗く沈みこむ二重性を持つブリキのバケツがその支持体に選ばれていたから、またそうした変化をわたしたちが検知するよう、頭上の照明が明滅していたからです。そこに置かれたものは、わたしたちとインタラクトしながら、部屋全体にも注意を向けさせます。閾値すれすれで鳴るコツンという音も、その源を求めるわたしたちをさらに彷徨わせるのです。そうして各部屋をめぐるうち、気がつけばこの建物が親密でかけがえのないものになっていました。あの夜、ストーブの灯りに導かれて目を向けた壁に、夜の光が昼間は見ることのない二つの窓枠の影をくっきりと映し出していたこと、また同じ壁の上で昼間はきらめいていたパステルが息を潜めていたことを、わたしはいつまでも忘れないでしょう。論理に基づくセンチメントが生み出す〈ない〉と〈ある〉の移行と重なり。雪は解けてもいたし、積もってもいたのです。
秋庭史典(名古屋大学大学院情報学研究科 准教授 専門分野美学・芸術学)
撮影:武田陽介/Photo by TAKEDA Yosuke