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2018年6月17日 その他

第1回|展覧会を作るとは? ひとつの山を登る異なる2つのアプローチ

2018年5月19日(土)@アートラボあいち
第1回|展覧会を作るとは?

ひとつの山を登る異なる2つのアプローチ

会田)今日、まずは服部君と話をしてみたいと思っていたのは、「展覧会をつくる」という仕事についてなんだけれど。いろいろな仕事がある中で、直接美術の制作業務に携わっている人が居るよね。キュレーターとしての服部君もそうだし、僕もミュージアムエデュケーターとしてずっと仕事をしてきて、作品をみている人がどういう風なアプローチで作品をみているんだろうということに興味が尽きないわけだから、すなわちその職業人またはそれを仕事にしている人として、展覧会のつくり方の「ヒミツ」みたいなものについて聞いてみたいと思っています。
なぜかというと、仕事の内実って一般に向けてかみ砕いたり整理して話してみるのは面白いじゃない?
そして、この先公開されていく対談シリーズ第2回「能動的な鑑賞者の話」や第3回「アートで人が育つとは」というのは、少し人材育成寄りの内容になっていて、アートラボあいちとしても、人を育てていくことにフォーカスしたいということがあったので、徐々にそちらの話題にスライドしていくことができればと思っています。
なので今日は、すごくベーシックなところで、そもそも展覧会ってどうやってつくっているのか。
すごく素朴なところから、一般的なつくり方も含めて、話ができたらという気持ちでいます。
さて、服部君のキャリアから聞いてみたいんだけど、いわゆる典型的なキュレーターとはちょっと変わった入り方しているよね。

服部)いわゆる美術館の学芸員として人がイメージするタイプとはだいぶ異なるかもしれません。
美術という括りだと本当に多様なので、焦点を現代美術に絞ってお話ししますね。
日本の場合、多くのキュレーターは美術館やアートセンターなどのインスティテューション(機関)に所属しています。また、その大部分が美術史や芸術学、あるいは美学や哲学などを学び、そういう機関に所属して、調査研究と展覧会企画などの活動を展開しています。
一方で、僕は建築設計を学だのちに、ひょんなきっかけから現代美術の世界に入りました。なので、いわゆる美術の専門教育を受けたというより、現場で関わるアーティストや友人、同僚たちから具体的なことを実践的に学んだという意識があります。なんとなく思考の仕方も建築的だと思っていて、いわゆる美術の中心というよりは周縁に目が向いているという感覚がある。日本国内でも東京ではない場所をずっと拠点としていますし。

会田)2ヶ所のアーティスト・イン・レジデンスで勤めていたということがあるよね。

服部)そうですね。山口の秋吉台国際芸術村と、青森の国際芸術センター青森です。大学院を卒業する頃に、東京ではないところに住んでみたいと思ったことがきっかけで、たまたま人材募集をしていた秋吉台国際芸術村に就職し、アーティスト・イン・レジデンスに関わるようになった。そこでYCAMにいた大也くんや、現在にもつながる多くの友人に出会い、その人たちの考え方や生き方に結構影響を受けたと思います。
その後、青森に行ってからは、自分でアートスペースを運営したり、所属先以外の様々な仕事を経験し、本当に多様な状況と文脈において展覧会やプロジェクトに携わってきたと思います。

会田)文脈も全然違うよね。1つとして同じ文脈がない。

文脈を辿るだけではない、誤読を含む「建築」の考え方

服部)機関に所属する場合、同じ空間で繰り返し展覧会などを実施します。同じ場所で同じ人の企画が積み重ねられることは、その人のスキルが熟達するだけでなく、複数の仕事をつなげて捉えてみると、その人の本質的な興味や焦点がよく見えてきますよね。
僕の場合、この10年弱は、複数の異なった場所や状況において、プロジェクトが同時進行しており、それはアーティストや建築家の働き方に近いのかもしれない。

会田)建築は、それぞれ、毎回建てる場所のリサーチから始まる、みたいなことに近い?

服部)うん、毎回あらゆる条件が違うじゃない?そういった意味では、建築と近いところがある。
まず、僕のやり方のベースとして、与えられた条件、どういう条件があるのかということを読み込むこと自体が、何か痕跡をたどると言ってもいいかもしれないけど、その行為を何かをやる時の最初のとっかかりとすることが多い。

会田)それは、大学での建築の教育がそうさせたってこと?大学で習っていた建築学科での建て方、まずは、場所の分析からスタートしましょうって教えられたってこと?

服部)全然、そんなことはないと思う。それよりは、もともとの興味かも。もともと風景を見たりすることが好きで、具体的なものが好きだった、抽象的にコンセプトだけを練り上げてものをつくったり、特定の場所を想定しない建築を考えるようなフォーマリスティックな方向があんまり面白いと思わなかった。かといって、実際の建築の設計がうまかったわけではないということがポイントなんですけどね(笑)。

会田)この話は面白いね。

服部)「建築」という考え方は、面白いと思った。色んなやり方がある中でも、リアクション的につくっていくやり方が面白い。
具体的な建築の設計はあまりしたことがなかったんだけど、どんな状況にあって、そこがどんな文脈を持っているのかということを読み込んでいくこと自体は結構好きだった。それを引き出しにして、そこにアクションを起こすように形にしていくことが面白いと思っていた。
そういう与えられた諸条件から導き出されるフレームと、自分が興味をもってリサーチしている要素を合わせていくスタイルなんですよ。おそらく。

会田)レム・コールハウス(注1)だって、むちゃくちゃ文脈を読み込みますよね。分厚いレポートができあがるような。

服部)しかも、諸条件をある程度誤読をしていくことが、おそらく自分の中では重要なのかも。
丁寧に観察して読み込んでしまうだけでは、何かをつくるってことが必要なくなってしまう可能性もある。
その時に、どうでもいいけれどなぜか自分にとっては引っかかるものをどう取り出していくかということ。
もしかしたらそれは、アーティスト・イン・レジデンスにおける作家のつくり方と近いのかもしれない。
どこかに行って作品をつくる作家は、自分のベースや表現のひな形があるとしても、その具体的な場所や状況から何かを引っ張り出してくる人が多いですよね。そういうつくり方に実は近いところがあるのかもしれない。

会田)その地域に滞在して、ロジカルに組み立てていこうと思えば、1から100までの100種類のエレメントを調べることができて、その中から場所を成り立たせるために一番大きな要因は何かっていうことを順列つけていくことをやっていくのが正統的なアプローチだけれど、あえてそこはやらずに、要素の大きさというよりも直感的に自分が興味を持てたものをチョイスしていくということなのかな。

服部)結果的にそうなっているということ。たぶん、全部を見ているつもりでも、結局、気になったものしか読み込めていない。でも、状況や条件をまず読み込むことが前提にあって、それに対してどういう応答をしていくか考えているうちに、展覧会のフレームが導き出されることが多い。
それにどういう人が関わっていて、依頼者が誰かということも含めて、建築っぽい考え方かもしれないですけど、例えば、主催者が国なのか、市なのか、個人なのかによって求めるものが違うじゃないですか。
それは、誰に向けているのかに繋がるんですね。それが、結構気になるんです。どういう人がきっかけをつくっているのか、だれから展覧会をつくってほしいと依頼があるのか、その人たちが対象としているのはどこかなとか、フォーカスしている部分は何だろうと考える。
もちろん、それに従順に答えるというのではないけれど。それぞれの欲望自体は結構気になっていて、それらをどううまくズラすかも重要かな。
与えられた状況を引き出していって、構造を考えていく。気になるもの、何か打ち返すことができそうなものを探していく。そこから、いわゆるテーマが出てきたりとか、疑問が生まれたり、誰かに応じてほしい何かが引っ張り出されてくることが多い。なので、ある意味、昔ながらのサイトスペシフィックというものに興味があるんでしょうね。それぞれの具体で特殊ななにかしらに対してアクションを起こすというか。

その場所の社会背景とリアリティの拠り所

会田)抽象的な議論から、具体的な話しに戻していくと、こないだアートラボあいちという場所で展覧会をつくることを考えた時に、ブラッシュアイデアではあったけれども、まず、この建物が建った時期から調べていこう、という話をしたよね。
歴史をひも解くと、1933年、つまり85年前に建てられた建物だから、85歳の人と同い年だった。そして1933年がどのような年だったのかということを調べてみたりして、例えば、トヨタ自動車の一番元となっている事業が立ち上がっていることが分かったりした。トヨタという自動車と自動車産業と名古屋市っていうところの関係性みたいなものと、1933という数字みたいなもので、いくつかの点を結びつけていってリンクさせ、これが面白いなと思えばそれをテーマにして組みたてていく、という感じですよね。

服部)うん。きっかけはすごく素朴なんですよね。
なんで建物の年齢に興味をもったかと言えば、この建物に魅力があるからなんです。この周辺をみても、残っているのが奇跡的という印象は誰もが持つよね。道路の向こう側に県庁、市役所の帝冠様式の建物があって、それ以外には明らかに戦前から残っているような建物は見渡す限り、となりの陶器屋さん(注2)と、ここだけで、なぜ残ったのかなということがまず不思議だった。で、以前は、ここも庁舎の一部として使われていて、今は、1階が戦争資料館になっていて。
そういう残り方が面白いなと思ったんです。公共の建物になったから、今残っている可能性もある。

会田)なるほど。他の場所での展覧会のつくり方も教えてもらってもいい?
例えば、キューバはどんなことをしているのとか。ベトナムではどんな風に進めているのかとか。

服部)企画を1人でやる時と、共同でやる時とで違うんですよね。
最近は、圧倒的に共同キュレーションの仕事が多いんです。おそらく時代の状況もあるかもしれないけど。ある程度の規模の仕事が増えているということもあると思うんですね。あいちトリエンナーレもそうですけど、1人ではつくれない。
共同キュレーションの場合は、誰とやるのかというのが大きいですね。2つ例を出してお話しすると、キューバでやった展覧会では、日本人キュレーター2人とキューバのキュレーター2人の4人での共同企画という形。
もともとは、日本人キュレーターだけでやるという話だったけど、現地のことを何も知らない人がポッといって展覧会ができるものではないし、ただ一方的に投げるだけにはならないように一緒につくる人を探すことからスタートしてるんですね。
一緒にやるのが誰かによって、できるものは変わると思っていて、誰がいい、誰が悪いっていうのではないんだけれど。

会田)それも状況の一つなのかな。

服部)特性って、人によって違うじゃないですか。一緒にやる人のそれぞれの専門性を気にしているかな。
もうひとりの日本人キュレーターは、5年前に1年間キューバに滞在していて、キューバを研究対象にしてる女性。それ自体が既に僕とは全然違う。そういう人とつくっていった。

会田)キューバの展覧会は、実際どういう展覧会になったの?

服部)「距離」をテーマにしている。それは、自分たちの体験が大きい。
僕は、2年前にはじめてキューバに行って、一緒にキュレーションしたかつてキューバに住んだことのあるもうひとりのキュレーター岡田さん(注3)とは、圧倒的に持っている情報が違って、岡田さんを介してキューバをみているという前提となる感覚があった。
もちろん彼女にとっても、5年でキューバの状況は大きく変わったと思うけど。アメリカと国交が回復されたり、はじめての滞在時にフィデル・カストロが亡くなったりとか、結構いろいろなことが起こっていた。
状況の変化ということで言えば、2年前の2016年は、インターネットは限られた場所でしか使えなくて、すごく回線が細いから、スカイプでコミュニケーションがとれない。メールのやり取りにも時間がかかる。そうなると、結構オフラインで物事を考える必要があるんだよね。これまでの仕事の仕方って、SNSを使用することが多くて、聞きたいことをすぐ聞けていた。でもキューバではそれができない。メールを送っても、返信に時間がかかったりとか、リアルな世界よりも、インターネットの世界の遠さをすごく感じた。

会田)ネットがあればどこでも繋がるよね、みたいなこと自体が、ある種、幻想なんじゃないか?みたいな。

服部)うん。そうじゃないところが、結構驚きだった。
文明国ではあるけれど、政治体制や社会システムの違いなどによって、そういった状況が出来上がっている。情報をコントロールする意思を国が持っているということですよね。そういうところに暮らす人たちがどんな人なのかなって思って、会ってみて話してみる。
たとえば、現代美術に関わるアーティストと話すと、西洋で生まれた現代美術を需要し、そこで築かれた美術史を学んでいるため、意外と考えていることはそんなに遠くない。例えば、西洋中心であることをどう受容するのか考えているところや、現代美術の中心地ではないところも含めて、ある種の近さを感じたんですよね。美術史みたいなものへの距離感だったりとか。

会田)西洋美術史を相対化している、その距離感が日本人の自分とキューバのアーティストと近い感じがするんだ。

服部)でも、作品制作の点でみていくと、一方でキューバの人たちは、コンセプチュアルな作品のつくり方をしていて。印象論ではあるけど、日本人は手でつくる人が結構多いじゃないですか。キューバは、すごいクリアなコンセプトでつくる人が多いなという印象があったりとか。
ネットが繋がりにくく情報にアクセスしにくいことなどを考えると、手でつくるという方向性へいきそうなんだけど、むしろ洗練されたコンセプチュアルな作品が多い、という意外性のある印象を受けた。
それで、意外だと思いつつ色んな人たちと話していると、キューバはモノを手に入れるのが難しいから、材料を簡単に買えないし、だからこそ逆にすごく頭で考える、構想を立ててそれを実現していくっていうアーティストが多いのかもしれない。憶測だけど、そんなことを岡田さんと話したりしてました。
要するに、モノが簡単には手に入らないからこそできるつくり方かもしれない。

会田)日本では、どんなモノでもすぐ手に入っちゃうよね。

服部)だいたい手に入るよね。お金さえ払えば。
今は、ネットのおかげで単純な仕組みでほとんどのモノを手に入れることができるようになっている。そこの苦労がどんどんなくなってきているのかなって。

会田)手でつくることがいいことなのかと思いきや、逆に言えばなんでも手に入っちゃっているという豊かさ(とその裏にある貧しさ)を表していることでもあるんだね。

服部)そういった状況のことを普段はあんまり気にしないよね。

会田)日本にいると、気にしない。

服部)当然のように身の回りのサービスを使うわけじゃないですか。

会田)僕の知っている人でハワイに住んでいる人が、日本にたまに滞在するとアマゾンの商品が届くのめっちゃ早いってビックリしてた。ハワイだと本国へ注文して6日ぐらい掛かるんだって。

服部)キューバのスーパーの棚は、同じ商品ばっかりなんです。
日本だと、やたらとバラエティーがあったりする。そいう差だったり、社会主義国って配給もあるし、ある意味、ベーシックインカムみたいなものが成立してて、そういう意味では、とりあえずは死なないというか。
なんかそういった意味での政治体制での遠さを一方で感じながらも、近さを感じる。
そこから、遠さ、近さの関係ってなんだろうなと気になっていった。
もう一つは、日本からキューバまで行くのには、カナダを経由して24時間ぐらいかかる。カナダまでは、12-3時間かかる。カナダからキューバは3時間半ぐらい。キューバから帰る時に不思議なのが、カナダに着いたときにすでに帰ってきた気がするんですよね。
空港からは出ていないんだけど、空港に着いた瞬間にインターネットは繋がるし、周りの環境も消費ベースな資本主義国な感じで、こっち側の世界に帰ってきたって感じる。そんなところ今まであまりなかったなって思って。
例えばアジアってすごい近いし、東南アジアに行って、言葉の違いはあっても、ここまでの違いは感じないですよね。むしろネットの使い方でいったら、東南アジアの方が進んでいる印象もあるしね。久しぶりに、ある種遠い所を経験したなって。

会田)なるほど。北朝鮮とかに行けるとすると、そういった感覚になるのかもね。近いのに遠い場所。

服部)もっと、遠いなって印象になるかもね。地理的な距離感ではない、違う遠さを感じつつも、ある種の不思議な近さも感じるという所だった。そういった意味で、物事の距離だったり、人と人、社会との距離だったりを考えるような展覧会をつくることになった。

「ある種の制限があることは、創造性において必ずしもマイナスとは限らない」

会田)展覧会のテーマが決まれば、テーマに応じて作家を選んだりとか、依頼していくことに進むのかな。

服部)そうだね。キューバの展覧会の場合、テーマだけでなくて、現地の状況も作家選定に大きく影響しています。
キューバ自体、ものの輸送が非常に難しい国で、展覧会場のアートセンターは温湿度の管理がなく、まず作品の輸送がすごく難しかった。そうなると、高価な美術作品を輸送して持ってくることができず、現地での滞在制作か、素材を持っていって向こうでつくるか、あるいは高価な機材などを要しないシンプルな映像など、ある程度方向性が状況からも絞られてきて、結果的に柔軟な対応が可能な、現場への応答力がある作家をベースに考えるというかたちになりました。ある種、条件からアーティストの方向性がみえてきたっていうのもある。

会田)100%コンセプトだけでゴリ押しできるものでもなくって、アーティストの選定もふくめて、ある程度状況に応じて、しなやかに方針をすりあわせていかなきゃいけないよね。

服部)っていうことが、すごく多いんですよ。
純粋にコンセプトだけでつくれることがまずなかったりとか。その辺は、美術館とかでも一緒で、どうしても手に入らない資料は出てくるじゃないですか。そうなった時にどう折り合いをつけていくかっていう作業が、結構大事なことだと思っているんです。
○○がないとできないってなってしまうのは、一番弱いタイプだと思っていて。これがなかったら、こうできるとか、そこから変わっていけることが重要だと思うんですよね。できないことや何かが手に入らないことをマイナスに考えると面白くなくなるから、ないこと、できないことを受け入れた時、そこからどんなアイディアをひねり出せるか、何を引き出せるかっていうのは、建築の勉強で鍛えられたと思います。
アーティストもそうだと思うけど、予算のこととか条件の制約って色々あるしね。

会田)分かりやすい例えで言えば、料理とかね。冷蔵庫に残っているものはこれしかないって思った時に、チャーハンつくれるのかなとか。

服部)そこで、キャラクターもでるよね。新しい材料を買いに行って完璧につくる人と、あるもので考える人と。僕は、材料を買いに行くことはまずないかな。

会田)それは、負けたって感じがするってこと?

服部)単に面倒くさいのもある(笑)。あと、あるものでできる方法を考えたほうが楽しいなっていうのがありますよね。

会田)ある種の制限があることは、創造性において必ずしもマイナスとは限らないってことだね。
キューバの話の次にもう1つの事例としてはベトナム?

"新作制作"のための環境整備

服部)日本の話をしてもいいですよね。あと2つお話ししますね。
アーティスト・イン・レジデンスって、いわゆる展覧会とは違うんですよね。
何ができるか分からないし、展覧会をやることもあるけど、状況によってやるべきことが違う。アーティスト・イン・レジデンスに関しては、環境をつくっている感覚に近いかな。

会田)それは、だれに対しての環境?

服部)主に、つくる人、アーティストがつくるための環境整備に近い。例えば、テーマを立てて作家に来てもらうこともあるんだけど、それはまあ展覧会のつくり方と近いと思う。
でも、展覧会とはスパンが違っていて、滞在期間でのフィニッシュの作品というよりも、そこに行き着く間での過程をみている気がしているんです。
2ヶ月なり3ヶ月なり、誰かが滞在して何かをつくる。そこで発表することも重要だとは思うけど、じゃあそもそも2-3ヶ月で完全完璧な作品がつくれるかといったら、そういうわけじゃないとも思う。作品は、違うタイミング、別のところで最終的な完成をむかえる可能性もあっていいと思っていて。

会田)滞在制作の最終日に出来上がっているものは、プロトタイプとして・・・

服部)・・・でもいいかもしれない、という。

会田)そのレジデンスの先に、作家がすごいマスターピースを生むかもしれないという、前段階を一緒に制作している。

服部)そういうのは、結構意識していて、完成に対してのプレッシャーをかけるだけでは意味がない気がしている。
もちろん、そこでいいものができればそれにこしたことはないけど、それよりは、なるべく何かをつくるときのとっかかりとか、きっかけとか、いままでやってなかったことができるとか、実験に挑めるような...。あまり大したことをしている訳ではないんだけど。

会田)そういった思索については、アーティストに直接声をかけているということかな。
例えば、アーティストが作品の方向性に悩んでいたとして、新しいチャレンジをする可能性もあるし、持ちネタの範囲の中だけで安全に進めていくこともあるじゃないですか。
僕がアーティストだとしたら、そのレジデンスのスタッフとのやりとりの中で糸口を探りたいな、となると思うんですよね。

服部)人によるかも。あんまり定型はないんだよね。僕は大して何もしていないんだよね。

会田)環境整備というのは、もう少し具体的に説明するとしたらどんなことをイメージしているの?

服部)いい言い方をすると「環境整備」だなって思って。悪い言い方をすると「あまり何にもしていない」ということになるんですけど。がんばり過ぎないというか、お膳立てをし過ぎない。
展示ベースで考えると、どこかで展示開始のタイミングがあるじゃないですか。そこに向けてとにかくリアライズしていく。トリエンナーレとかがそう。何十万人という人が見にくる時に、あえて実験でいいとは言いづらい。
そうじゃない機会の場合は、無駄を打っていいというか。そういうことかな。
もちろん見に来てくれる人とか関わってくれる人を無視してアーティストとスタッフの関係だけを考えているのではなくて、観客もただ受動的にできたものを享受するというより、何かが生まれる過程になんらかのかたちで参加することができる土壌をつくっておく、そういう寄り道のところを重要視しているというか。

会田)前にYCAM(注4)で働いていた時に、ライゾマティクス(注5)が何回か滞在制作をしていたんだけど、真鍋大度くん(注6)がよく言っていたのは、YCAMは徹底的に失敗を許されるところだって発言していた。そんな場所は他にはないから貴重なんだ、と。失敗を許容してくれる、っていう言い方だったかな。
それを別の言い方に置き換えれば、チャレンジを後押しするってことでもあるよね。彼らコマーシャルワークとかもやっているから、CM撮るのに失敗していたら仕事になんない訳だし、ソレと比較してってこともあるんだろうけど。

服部)それは大きいかもね。単純に、レジデンスって生活。その生活を楽しむことを重視しているということだよね。

会田)制作の過程でもあるし、それは生活の場なのだということですね。全てが完璧には進まない。

服部)作品だけを最終的な目標にしすぎない。それだけじゃないことを楽しむのがいいんじゃない? 人にもよるけど。

会田)じゃあたまにおいしいコーヒーを入れてあげたりしているということですね。

服部)そうね。普通に飲みに行ったり、あそびに行ったりしているということですね。
作品として見えないところが面白い。作品つくるところに関わる人にはいろんな人がいて、プロもいたり、ボランティアだったり、レジデンスに関わっている人ってそういった、すごくおいしい部分を見ているのかなって。

会田)アーティスト・イン・レジデンスで働いていた時は、他の同僚もいたじゃないですか。他の同僚と自分との違いって何かありますか?

服部)もちろんみんなキャラクターは違うと思う。

会田)実は、日本にはいくつもアーティスト・イン・レジデンスやっているところがあるじゃないですか。

服部)アーカス(注7)にも1年ぐらい関わっていた。色々関わっているんですよね。レジデンスをやっている人たちって、よく気がつく人、が多い気はする。

会田)環境整備って感覚は、他のスタッフの人も共有できるかもね。

服部)アーティストとレジデンスのスタッフは結構長い付き合いをしないといけない。
例えば、3日間で展示して終わりとかではないから、そこがおもしろいところでもあるんじゃないかな。
アーティストの人間性や性格などは見ないで、その作家の作品だけを丁寧に追っていくことで作家のことを理解していく。そうやって、いよいよ一緒に展覧会やろうってなるのはわりとアーティストや作品のリサーチの方法の王道だと思う。
でも、僕はそれよりも、実際に作家と出会って、彼/彼女の生活に関わることで、ものをつくる過程を眺め、制作への態度や考え方などを直に知り、そこからその作品を理解していくということが多かったです。
そこから見えてくるものは、やはりアウトプットの作品だけじゃない見え方をする。人は誰も普通に生きて、普通につくってんだなって。そのリアリティを見られていることが面白いですよね。

会田)本当にそこにはいろんなバリエーションがありそうですよね。アーティストの中にも、こんなだらける人もいるんだとか。最後になってこんなに馬力が出る人もいるんだとか。コツコツ職業人のように積み上げていく人もいるし。いろんなパターンがみえそうですよね。

服部)何かをつくるってことそれ自体が、豊かなことだなと思うよね。

会田)何かをつくることそのものが豊かなことであると。なるほどね。

服部)ネガティブなことだけじゃできないことだよね。

「具体的な場所や状況、大きな意味での風景に興味をもっていた」

会田)もう一つの事例としては?

服部)あくまで、僕の体験の事例になるんですけど。
レジデンスとか創作の現場に関わったり、プロジェクトベースの仕事をすると、ものを扱うことが少なかったんですよ。収蔵品みたいな。作品を借りてきて展示することもあんまりない。
トリエンナーレとか、いわゆる展覧会の際はもちろんやるけれど、それよりはどうなるかわからない先の見えない出来事にコミットすることが多かった。誰かと何かを、展覧会というフレームを使ってつくることの方が多かったなって。

会田)新規で生み出していくみたいな。

服部)生み出していくことに関わることのほうが、単純に自分が働いてきた環境的には多かったなって。

会田)出来上がった作品に比べて、新規でつくるタイプの作品を扱うことのほうが多かったって訳ね。

服部)収蔵品を扱う展覧会をやった時にね、通常は最も当たり前のことだと思うんだけど、自分にとってはこの体験自体が新鮮なことで、資料とかを博物館に借りにいく時とか、あっこれ博物館実習の授業でやったなーと思い出したりとか、収蔵品見にいって、コンディションチェックするとか、久しぶりだった。

会田)展示が終わった作品についていって返却に立ち会うこととかね。

服部)現代美術の作品を借りることはあったんだけど、博物館的な資料とかを借りたことはなくて。そんななかACAC(注8)にいた頃に、一度資料を借りたことがあって、モノがモノとして残っていることで、それだけで色々組み立てることができるんだなっていう、久しぶりにそういう場に立ち会った。
別の言い方をすると、それまでは人ベースで考えていたんですよ。作家または、モノをつくる誰かという。誰かのこの作品というよりも、こういうモノをつくっているこの人、というか。それが、モノだけが集まった展示を目にした時に、モノから組み立てること、実は、基本のことを久々にすごく意識した。

会田)新規で作る場合は、つくる人本人の中に物語があって、それをみせていくっていう作業だと思うんだけど、モノをセレクションして陳列していくって行為は、セレクションや陳列によって編まれるコンテキストがあって、アーティストに依らない、モノだけでも何かを語ることができるという。それ自体がオーソドックスなやり方ではあるけれども、それが、服部君には新鮮にうつったっていうことだね。

服部)新鮮に感じたことが意外だった。本当にこれまで、人ベースで考えていたんだなって、後で思ったんですよね。何かをつくり出す人が、どういう人かっていうこと、そこの掛け合わせってものを考えていたんだなって。

会田)キュレーションって言葉の意味は、ケアする、世話するって意味だよね。最初の話しに戻っていくと、アーティスト・イン・レジデンスで、アーティストのことをケアするのもキュレーション、収蔵しているモノ自体に新しい物語をつくるのもある種のケアだと思う気はするんですけども。
現代的なキュレーションという言葉の使い方で言えば、何かのセレクションをしていくことも一つのキュレーションだったりしますよね。

服部)そうだね。ちょっとイレギュラーな話が多かったですかね。

会田)でも、一周回って、元々の仕事のやり方を知ったみたいな感じですよね。

服部)だから、色んなことがあるよなって。何がベーシックか分かんないと思うんだけど。
状況に応じた考え方、キュレーションってあるんじゃないかなと思う。美術館にいる人なら、美術館なりの環境とやり方があるだろうし、一方でもっと全然違う、図書館なら図書館なりの何かがあると思うんですよね。だから、実は、展覧会みたいなものって、極論すると、どこでもできることだと思うんですよね。
例えば、ホワイトキューブの空間ではできないこともある。独特な条件の場所で、いろんなことができないんだけど、そこにしかないものもある。色々できないことも多いけど、そこだから扱えるものもあるはずということを、なんとなくレジデンスみたいなことをやっていった中で、自然と学んでいった。やはり、具体的な場所や状況、大きな意味での風景に興味をもっていたということかな。

「作品をわかりやすく解説するっていうのは、2重の意味で失礼な行為」

会田)なんか話をしてて思ったんだけど、そういった、文脈をつくっていくこととか、アーティストがつくる環境を整えていくってことは、今どきの教育機関なんかでキュレーションを学びたいと思っている人たちは、きちんと学べるんですかね?

服部)大学でってこと?

会田)専門教育を受ける過程において。そんなこと教えているところってあるんだろうか?

服部)日本で、キュレーションのコースってあるんだっけ?

会田)全然分かんないや。まあ、美術学科とかはあるけど。

服部)いずれにしてもロジックや基礎は重要だけど、論理を学んだだけではダメで、実際現場で学ぶことも非常に多いんじゃなかなかっていうのが、これまでの自分の経験から実感することかな。

会田)さて、ここまでは、僕が質問者になって、キュレーターが物語を生み出していったり、展覧会をつくっていったりする話を聞いてきたけれど、逆に、僕はミュージアムエデュケーションの立場から、展覧会をつくるってことがなんかのかって話しができるかなって思っている。

服部)通常は、仕事の立場的には、展覧会をつくる人がいて、それに対して応答していく感覚なんですか?

会田)かなりそれに近いね。僕が務めていたミュージアム、つまり山口情報芸術センター[YCAM]っていうのが、キュレーターがいて、展覧会をつくってくれる。全体としては展覧会がまずはずんずんと進行していく。

服部)通常、美術館やアートセンターなどは、展覧会などをつくるキュレーターがまずいて、そのキュレーターが作った展覧会に対して具体的な細かいプログラムをつくっていくエデュケーターという役割がいる、という構造が多いですよね。

会田)他のミュージアムが、どういう風にプログラムをつくっているのかはあんまりわかっていないところもあります。
僕の務めていたYCAMというのは、アーティストが新作をつくっていくというのがベースでした。だから、過去の作品、セレクションされている作品をみることができない状態だよね。
それをよく、生まれたばかりの火山に例えることがあるんだけど、昨日までなかったものが、今日急に出来上がってくる。
で、ある種、作品の読み解きっていうのは、できあがった山に対して、登山道を発見していく作業に近いんじゃないかなと思っていて、例えば、古典のマスターピースについては、ある種の冒険家だったりとか探検家が、これはベストルートだというものをみつけていて、多くの人はそこの道から登っていく。
そういう風に解釈のルートをたどって到達していく、頂点にのぼりつめていくっていうイメージがあって、いい道が出来ていれば、多くの人はそこを使うわけでそれがスタンダードな解釈っていうことになる。たまにチャレンジして別のルートを発見しようとするけれども。
けれど新規にできた山は、だれもルートを発見していない。
だから、素人が一発目にいいルートをみつける可能性もあるし、プロが間違えた登り方をしちゃっている場合もあるということ。当然、経験値がある人の方が、ルートをみつけやすいってのはあるけど、誰にでも平等にチャンスがあるっていう感じがするんですね。
で、特にメディアアートの場合は、使っているマテリアルがメディアってものに関してコミットすることが多いので、美術史という文脈と同時に科学技術史っていうものも必ず背負うんだよね。
そうすると、例えば、2003年、YCAMが出来た当時のメディアアートってのは、情報通信メディアをメインのマテリアルとして使っていた。
そして情報通信技術というものがどういう出自かというと、必ず行き着くのは戦争なんですよ。戦争のテクノロジーとしてコンピューターも生まれているし、無線技術だって発達してきた。暗号だったり、情報の圧縮っていうのも、全部そういう軍事技術がオリジンだったりする。
なので、必ずメディアアートってのは、ある種の戦争というものを、どういう風に相対化していけるのかっていうところに、チャレンジしていくものだったわけです。
象徴的だたのは、オープ二ングでラファエル・ロサノ=フェメル(注9)っていうメキシコ人アーティストがやった、《アモーダル・サスペンション》という作品なんだけど、サーチライトを使った作品で、見た人が必ず想起するのが、ナチスのスタジアムの光の柱。

服部)ナチスの光の柱はアルベルト・シュペーア(注10)が構想したものだったかな。

会田)彼は、そういうものとの比較の中で、「その技術は、かつては絶対的な権力の象徴として使われていたものだけれども、僕は今、これを一般の市民の人たちが自由に取り扱えるものとして提示したい」と言っていた。
作品の概要としては、当時の携帯電話、ガラケーで作品のアドレスへメッセージを送ると、応答してサーチライトがダイナミックに動くという仕掛けだった。「要するに、市民の手に技術を取り戻すために作品をつくっているんだ」っていう話しをしていた。
すごく美しいものを作りたい、というよりは、意識的に軍事技術だったりとか、テクノロジーの歴史ってものを引用して表現に絡めていたね。
実は、そういった背景にある、コンテキストみたいなものを、この作品の解説ということではなくて、もっとジェネラルな一般的な知識、コモンセンスとして、それを伝えていくっていうことがミュージアムエデュケーターにできる仕事なんじゃないか、と就職当時は考えていた。僕が学生の頃に教育普及と一般的に呼ばれていたものは、分かりやすい解説をする人というイメージが強かったから。
でも、作品をわかりやすく解説するっていうのは、2重の意味で失礼な行為だと思っていて、一つは、アーティストは表現力がないって言っていることを暗に示してしまっているし、もう一つは、鑑賞者とはバカだと暗に示してしまうことになるよね。
僕は、そんなことないと思っている。鑑賞者はバカじゃないし、アーティストも表現力はある。ただ、マッチングしないことはいっぱいあって、なんでマッチングしないのかを考えつづけているとも言える。

"オーディエンス"を巡る環境整備

会田)もう1個、話しの核心に迫っていこうとすると、新作の展覧会って、できあがってから、鑑賞者がみるまでの時間が、あたりまえだけどむちゃくちゃ短いわけでしょ。
場合によっては、オープン当日の朝までつくっていることだってある訳だから、お客さんと同じタイミングで作品をみるということが起こるんだよね。
だから、その作品そのものを読み取るだけじゃなくって、今言った背景の歴史的な文脈みたいなものを知っているということが大事である一方で、お客さんがどういう風に作品を観ているのかをつぶさに観察しないといけない。その人たちがどんな背景知識とか前提を持っているのかを、想像できていないといけないな、とよく思っていました。
展覧会をつくるって意味を、教育プログラムを含めて考えていくと、さっき似たような言葉がでていたけど、環境整備って意識はすごくしていた。それはアーティストに対してではなく、来場者、オーディエンス、鑑賞者にとっての環境っていうのが、どういう状態であるのがベストなのかなということを考えるようにしていましたね。
そういうふうに考えると、いろいろ広がっていくんだよね。
1個の展覧会、展示室の環境整備で考えると、サイン計画だったり、入口が安全かということも含まれていくし、さらにもうちょっと広がって、展覧会の外側のことを考えると、ミュージアムショップはどうなっているべきか、作家の過去作品が調べられるブースってどこにつくれるのかなとか、ってことも考えないといけないし、他のお客さん、YCAMはパブリックスペースが多かったから、展覧会をみに来ていない人たちとの関係性をどうつくるのか、床で寝転がってゲームしている子どもたちについては、やっぱり歩きにくいから注意すべきなのかとか、色々考えたりする訳ですよね。
ミュージアムの入口から出口まで、自動ドア入って、自動ドア出てくるまでの時間に、何が起こるのかを考えているわけです。
こういう考え方をするようになってから、さらにその概念は拡張していくってことに気がついて、展覧会に入る前に、駐車場に車が停めやすいとか、もっと広げると、周辺に飲食店があるとかないとか、温泉があるとか、ってことはどういう意味を持つんだろうかとか。
例えば、地元の人は温泉に入らないかもしれないけど、東京から来た人にとっては、展覧会のあと温泉に入れるっていいとこだなと思ったり、空間的な広がりって、山口市の外までも繋がっていきますよね。
さらに、一方には空間っていう言葉があるなら、反対側には時間という問題も出てきて、展覧会というものを通じて、その前後の情報がどうなっているのかということもあるし、ミュージアムをとりまく市民との関係性が長い時間の中でどう変化していくか?
ということも考えることが出来る。
山口市の人にとっては、2003年まではなかった新しいタイプの建物がポッと出てきて、宇宙船が着陸したみたいに鎮座しているって、どんな意味を持つんだろうなってことも考えなきゃいけないなと思ったりとかした。
そうすると、1日限りのワークショップだけをつくっていけばいい訳ではなくて、長期的に、このエリアに住んでいる人々と、コミットメントを深めていくために「meet the artist」 というワークショップのシリーズを作ったりもしていた。1年かけて1個の大きなプロジェクトをやっていこう、ということも考えていかなくてはいけない。
もっと深く関わりたい人に向けてのプログラムを考えていかなきゃいけないなと思った。
もっと言うと、ただのお客さんでなく、インターンとかスタッフとして働くこととはどういう意味なんだろうってことで、サポートスタッフというアルバイト制度のことについて、話しをしていたりもしていたし、何重にも輪っかが同心円上に広がっていってて、狭い範囲から広い範囲まで、短い時間から長い時間まで、いろんな立場でユーザー、オーディエンスが、どう振る舞うのかを多角的に考える10年だったかなという風に思います。

服部)「meet the artist」ってすごくいいプログラムだなと思っていて、これって、レジデンス的なものにも近いし、アーティスト、スタッフ、観客の関係がどんどん転倒していくのが刺激的だと思ってた。
お客さんかお客さんじゃないかの一線を超えることって、一番面白いところでもあると思う。参加する人にとっても、僕らにとっても。人間関係って基本的には面倒くさい。実際に現代美術において、コミュニケーション自体が問題になることってすごく多いし、そういうのを理解するきっかけとして、あのプログラムはリアルに経験できるものだと思うんですね。そのアーティストがつくっている別の作品理解にも繋がるだろうし、拡張性のあるプログラムだと思う。
それは、作品をつくる作家にとっても新たなチャレンジにもなるだろうし。
かなりいろんなジャンルの作家を選んでいたよね。美術じゃない作家もいたし、学者だっていたし、そのつくり方が、ある意味、なんか展覧会というフレームに縛られない、おもしろいつくり方だと思う。新しいものをつくり出す時の態度として。

会田)あのシリーズは、形としてアウトプットされるものを、最初に決めるんだよね。
メディアの表現形態から決めていく、というルールにしていましたね。本の時もあったし、映像の時もあったし、演劇という表現もあったし、ラジオというものもあった。いろんなパターンがあって、表現形態が被らないようにセレクションしていったということがあるね。

服部)表現形態というのは、メディアってことだよね。メディア表現。

会田)そうだね、メディアフォーマットという言い方もできるかもしれない。

服部)逆にそれを決めることで自由度を上げているってのも面白いなって思って。他のところが自由になるってこと。最終的な目標物の形態だけがみえているっていう。

会田)表現形態がみえてないと怖いのは、募集で人が集まらないってことで、本をつくりましょうって言えば、それにこの指とまれで入ってくるから。

服部)実は、ナデガタ(注11)ってそのつくり方だね。

会田)そうだね。
ちょうど、ナデガタの山城君がいた頃(注12)に何回か「meet the artist」やっていて。それで、彼はナデガタのやり方を思いついたって言っていた。
あとは、長い付き合いだからこそ参加者に体験してもらえる大事なことというのが、クリエイティビティというものが、何かを生み出すときだけに宿るんじゃない、ということをみせられたかなと思っていて。つまり、いろんなアイディアを「捨てる」作業を目の当たりにできることが、関わってくれたボランティアさんにとっては衝撃だったみたい。いろんなことを作らなきゃって、地域のこと歴史のことなど死ぬほど調べるじゃん、アーティストって。

服部)そうだね。新作をつくる際には当たり前のようにやることだよね。

会田)当たり前のことなんだけれど、結果としての作品だけ見ていると、アーティストが何かを捨てているようにはみえない。アーティストって生み出しているからさ。
けれど実際は、100も200もアイディアを考えていて、最後の最後で95%捨てるんだよね。最後残していくものをセレクションしていくところが、ある種、本質的に何かをつくっている瞬間なのかなって思った。それをアーティストのすぐ横で、参加してくれているメンバーに生々しくみせられるというのは、よかったなと思います。

服部)たしかに、展覧会みて、この作品惜しいなって思った時って、だいたいその捨てきれなかった部分がみえちゃった時だよね。

会田)それは、プロっぽい意見だね。

服部)そう?出したくなるじゃん。みんな色々。自分もそうだし。

会田)アイディアに対して、愛情が生まれちゃうもんね。

服部)結構、蛇足的なものって、一番の失敗になっちゃうというか。これいらなかったよなーとか。逆に潔いときは、わかんないわけじゃん。何があったのかを想像もしないし。なんとなく、足りないって思うことはあんまりないし。これはいらないよねって思うことは、ちょいちょいある気がするね。難しいよね。捨てることって。

会田)難しい。捨てるということの中に、クリエイティブの本質が宿るんだよってことを、言葉じゃなくって、経験としてみんなに残せるというのは、すごくいいことだったなと思いますね。

服部)結局、文章とかも一緒なんだけどね。捨てられる部分ってすごく多くて。

会田)短い文章のが難しいからね。

服部)長くしていく分にはね。いいんだけど。

「オーディエンスの脳みそがぐるぐる回っている、アクティブな状態」

会田)たしかにね。
そんないろんな種類の経験を提供できることで、ある種の呪いから開放できるんですね、オーディエンスを。その呪いっていうのは、作者が何かの意図を持ってこの作品をつくっていて、その意図を読み解くことが鑑賞の原則だっていう呪いなんですよ。
「この作品の意図はなんであるのか」を答えさせるような問題を、現代国語とか美術の時間に、義務教育の中で何回も繰り返されてくるのね、僕らは。中学高校とかの授業の中でトレーニングさせられてしまうのは、まず作家には言いたいメッセージなり意図があって、その意図を表しているものが作品である、という思い込み。
でも実は、作品というのは、アーティストの側からすれば、多様な解釈をされることで豊かさを持つものだし、自分の思っていることなんて、10個ある、20個ある解釈の内の1つでしかないので、作家の意図を当てるゲームをしてしまうと10分の1だけの解釈をみんなが同じようになぞっていくことになっちゃう。
言ってみれば、山が出来上がった時に、1人がつくった山道を、違う人が何回も通っていくことになる。僕としてはそういった事態を避けられたほうがいいと思っているんだよね。つまり、いろんなルート、登り道があるといいなと思っている。けれど、学校教育の中では成績をつけないと行けないから、多様な解釈が不正解であるということを示してしまうし、結果生徒達はそういう意図当てゲームを学習してしまっていることがあって。

服部)よく、マスコミの人の取材で多いのが、この作品のつくられた意図を教えてくださいみたいな。これが、今の話しの一番の定型だよね。

会田)まあもちろん分かりやすい質問ではあるんだけどね。
実際の人間は、1個の意図だけで動いていないよねって気がする。男女関係もそうだけど、好きも嫌いもあわせて夫婦だったりするって、よくあるじゃないですか。それを、好きなんですか?好きじゃあ無いってことは嫌いなんですか?ってマイクを向けられても、答えようがなかったりする。
本当はそんなことみんなが知っているはずなのに、科学的なアプローチというか、答え、真実は一つ、みたいなことだけが情報というふうに思われてしまっていることとかアートにおいてもそれが適用しちゃうってことが、すごくもったいないなという気がして。
ミュージアムエデュケーターとしてできることがあるとすれば、それが多様であり、どれも甲乙つけがたいものであり、豊かなものなんだということを、伝えるってことだけでも意味があることなのかなと思います。
まとめると、展覧会をつくるといった時に、ミュージアムエデュケーターの立場からすると、そういった作品に触れられる環境を整備してどれだけ豊かなものとしてつくれるか。
とある、スペインのマドリッドにある公民館みたいなところにいた、エデュケーターの人に、「究極のミュージアムエデュケーターの仕事というのは、オーディエンスの頭の中を、アクティブにしておくこと、とにかく、ぐるぐる回っている状態をキープしておけば、あとは自由に解釈してくれるから大丈夫。」って言われた。凄く腑に落ちた。
逆に言えば、その思考のプロセスを止めてしまうってことが、やっちゃいけないことなんだなと。1つの答えしかないと教えてしまうことは、ある種思考を止めてしまうことに持っていけてしまうので、オーディエンスの脳みそがぐるぐる回っている、アクティブな状態にいられるということをとにかくがんばれば、そこで起こるオーディエンスの活動、アーティストや作品とのコンタクトみたいなものは、多様で豊かなものになるということを言っていた気がするのね。勘違いかも知れないけど(笑)。そういったことは、ずっと自分の心の中に留めていて、展覧会ってものが、そういう場所になり続けるようなアプローチを考えて、仕事をしているといった感じですね。

服部)今の話につながるか分からないけど、基本的には作品をつくるアーティストを信頼するっていう前提だよね。新しくできる何かというのは、多様な解釈を受け入れることができる、強度があるものだという前提。
展覧会もそうだよね。展覧会の企画自体も魅力的なものであるという、そのはずだという前提で、そこを信頼してプログラムを考える。関係ないかな?

会田)もちろん、関係はあるよ。
おいしい料理じゃないと、豊かなことは生まれない。つまらない作品というのもあり得ると思う。みんなが同じ解釈になってしまったり、またはその作品からはオーディエンスはインスピレーションを感じなかったりとか。でも一方で、観客が持っている力も凄いことだと信じていて。どんな作品でも「これわからん」とか、「つまらん」とか言う人っているんだよね。でもそれは、おそらく、その人がつまらんということなんですよ。
僕は、いろんなアーティストの人と展覧会を見に行くの好きだけど、やっぱり面白がり方が豊かじゃないですか。
宇川 直宏さん(注13)と一緒に山口の商店街を歩いたことがあるんですけど、商店街に置いてある、売れ残ったコップとかにいちいち反応して、「激アツじゃん!このキャラクターまだいたんだー!」とかって言って、全然次の店へ進めないのね。同行してた僕もほだされちゃって思わず訳の分からない商品を買ってしまったもん。オススメしていた何か、忘れちゃいましたけど。
でも、そういうところってすごいなって。要するに、面白がる力がすごければ、寂れた商店街でもワンダーランドになる。
もう一つ観客の力について紹介するなら、2003年、東京都写真美術館でやっていたファミコンの20周年の記念展覧会「レベルX」をみた時の風景が頭に残ってて。
展示としては、単にファミコンのカセットの箱が、ガラスケースの中に陳列されている展覧会だったんだけど、糸井重里さんとか宮本茂さんとかのインタビュー映像とかも流れていたんだけど、ほとんどのコンテンツはカセットのケースだけで、そこに、長蛇の列ができていて、カップルなんかも多くて、彼氏がいちいちゲームの昔話を隣の彼女とかに説明している。
要するに、展覧会のコンテンツのほとんどを占めるゲームプレイの記憶というものは、オーディエンスの頭の中にあって、その記憶を掘り起こすためのキーとしてだけ、カセットが並べられているということになっていた。そう考えていくと、オーディエンスが持っている豊かさを引き出せるモノがあって、適切な形で展示されていれば、オーディエンスの楽しむ力でいくらでも展示空間を豊かに成り立たせることができると思ったんですよね。
サービスを提供し過ぎない。あたえ過ぎない。やり過ぎないというところで、ちょうどいいバランスで、オーディエンスが持っている力と、展示されているものとのパワーが拮抗していて、豊かな経験ができる展覧会だな、という風に思ったことがある。

服部)だから「どうだこれは!」みたいな展覧会って、やな感じがするよね。

会田)映画とかもさ、いろんな解釈ができる作品の方が、頭も使うし疲れるじゃない。
逆に疲れたくない時は、ドーン、バーンみたいな、ハリウッド超大作みたいな火薬の量が多いものを見れば、気持ちいいんだけど、あれはまあ、一つの産業として世界中でウケなければならない使命の裏返しで、世界中どこでも解釈が一定に評価されるものをつくらないといけないんだよね。莫大なお金をかけて投資しているんだから、世界中でヒットしないと回収できない。
そんな感じで、だれがみてもいいよねってものも否定はしないけれど、僕としてはオーディエンスの力を信じきれている展覧会が好きだなって思うよ。


注釈

注1)レム・コールハウス(オランダ出身の建築家)
注2)伊勢久(アートラボあいちの南側にある建物、昭和5年竣工)
注3)岡田有美子(インディペンデント・キュレーター。沖縄のアートと批評をめぐる雑誌、las barcas編集メンバー。NPO法人raco共同代表。2005年〜2009年前島アートセンター勤務。2011年〜2012年文化庁新進芸術家海外研修生としてキューバに滞在。2013年グアテマラのアートスペースのリサーチを行う。)
注4)山口情報芸術センター[YCAM] (山口市にある図書館・ホール・美術館などの複合施設。おもにコンピューターや映像を使った芸術であるメディアアートに関する企画展を行うほか、その制作施設、上演ホールなどもある。)。会田は、2003年4月~2014年3月まで、教育普及担当(エデュケーター)として[YCAM]に在籍し、市民参加型企画やオリジナルワークショップ、公園型展示プロジェクトを企画運営している。
注5)株式会社ライゾマティクス(Rhizomatiks)(国内外でのアートプロジェクトや、地域づくり・まちづくりを視野に入れたアートイベント、屋外インスタレーションの企画・制作。企業やプロダクトのブランディング、Webや映像の企画・制作、UIデザイン、インタラクティブデザイン、グラフィックデザインを手がけるプロダクション。)
注6)真鍋大度(アーティスト、インタラクションデザイナー、プログラマ、DJ)
注7)アーカススタジオ(茨城県守谷市のアーティスト・イン・レジデンス施設。) 。アーカスプロジェクト2016のゲストキュレーターとして服部が招聘されている。
注8)青森公立大学国際芸術センター青森[ACAC](国内外のアーティストを招いたアーティスト・イン・レジデンスプログラムを中心とした展示発表、アーティストや専門家によるセミナーやシンポジウム、ワークショップなどを行う) 。服部は、2009年〜20016年に学芸員として在籍。
注9)ラファエル・ロサノ=フェメル(メキシコシティ生まれのメキシコ系カナダ人アーティスト)2003年のYCAM開館に合わせ《アモーダル・サスペンション飛びかう光のメッセージ》を発表。
注10)アルベルト・シュペーア(ドイツの建築家、政治家)
注11)ナデガタインスタントパーティー Nadegata Instant Party[中崎透+山城大督+野田智子](アートコレクティブ)。服部がACAC着任後、アーティスト・イン・レジデンス事業にて最初に招聘し、【反応連鎖platform1Nadegata Instant Party 24 OUR TELEVISIONを発表。
注12)山城大督(美術家/映像ディレクター)2006年〜2009年、[YCAM] にてエデュケーターとして、会田と共に、オリジナルワークショップの開発・実施を担当した。
注13)宇川直宏(日本の現代美術家、映像作家、グラフィックデザイナー、VJ、文筆家)