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2018年7月27日 その他

第2回|能動的な鑑賞者とは? 受け取る、深める、作り出す

2018年5月19日(土)@アートラボあいち
第2回|能動的な鑑賞者とは? 受け取る、深める、作り出す

言語背景が全く違う多国間で成立する展覧会

服部)能動的な鑑賞者をどうやったら生むことができるのかという話をしていたと思う。「メディア/アート・キッチン(注1)」から入りましょう。

会田)「メディア/アート・キッチン」は2013年だったっけ?

服部)2013〜2014年にかけて開催していた展覧会で、東南アジア4都市を巡った展覧会。国際交流基金が主催をしていて、東南アジアと日本のメンバーで企画を構想した。

会田)日本ASEAN友好40周年記念事業だったよね。

服部)その記念で、メディアアートをテーマにした展覧会をつくりましょうということで、東南アジアのASEAN加盟6カ国と日本から、キュレーターは13名が参加。

会田)日本人3人(会田、服部含め)と、ベトナムから1人、シンガポールから1人、マレーシア2人、フィリピン2人、インドネシア2人、タイ2人で合計13人。

服部)僕にとって、この展覧会は現在にもつながるとても大きな経験となっています。

会田)僕としてもマレーシアのスージー(注2)とは今でも付き合いがあって、いろいろプロジェクトを計画している。

服部)本当に、重要な経験の一つかなと今でも思う。キュレーターだけでもあの人数で、しかも、あれだけの幅の人が集まってて、本当にキャラが違う。

会田)結構、集められていたキュレーターも、いわゆるミュージアムやアートの展覧会だけをやっている人ではなくて、例えば、アーティスト・コレクティブのリーダーだったりとか、NPOやっていたり。

服部)コマーシャルベースだったりとか、エデュケーターもいたし、そういう意味で、あの雑多感がよかったんだよね。各美術館から学芸員が集まりましたじゃ、絶対できなかった。

会田)たしかに。

服部)現代美術やメディアアートというフレームなんだけど、そこに関わる人たちはこんなに様々なんだなというのが、大きな発見だったと思うんですよね。

会田)一番最初のミーティングは東京でやったんだっけ?

服部)東京でやったんじゃないかな。東南アジアのみんなが集まって、ミーティングだけでなく公開のプレゼンテーションもやったね。1人10分くらいでその国の状況を話すっていう無茶な構成だったけど。

会田)全然終わらなかったけどね。10分では。

服部)相当延びたよね。

会田)話してたら、その時の記憶がよみがえってきた。インドネシアのアデ(注3)とかが言っていたのは、インドネシアは、軍事政権下の影響はまだ残っていて、インターネットとかもチェックされているから、めちゃくちゃ注意してコミュニケーションを取らざるを得ないって言っていた。現在はインドネシアのネットユーザーはマーケットとしても注目は集まっているんだけどね。なにしろ人口が2億4千万人も居るから。一方ではマレーシアとかフィリピンはもっと商業的な影響が強くて、こちらもユーザーは爆発的に増えていて、インターネットは新しい時代のイメージとともに肯定的に使われている、という状況があったり。

服部)ベトナムは社会主義国家として政府の検閲があるとか。

会田)シンガポールとかは、いろんなものに商業がついてまわっている感じがしたし。まあこれは当時の単なる第一印象だったんだけど。
話をキュレーターミーティングに戻すと、1回目のミーティングでは、コンセプトなんて中々決められないから、自己紹介みたいな話をして。

服部)自己紹介して、東京をいっしょに巡って、みたいな感じだったね。

会田)展覧会のコンセプトを鑑みた上で、日本で紹介したい場所をリストアップして一緒に巡ったりしたね。ファブラボ鎌倉(注4)とか。

服部)行ったね。あとはいわゆるメディアアートやっているICCとか都内の美術館行ったりとかして。

会田)近代美術館とかで、奥村くんのパフォーマンスなんかをみたね。

服部)「14の夕べ」(注5)っていうのをやっていて。ちょうど奥村くんの日にみに行ったね。

会田)結構、ミーティングの初期の段階で、メディアアートってなに?っていうことを話して悩んだよね。そもそも認識が違うってことを、ちゃんと話さなきゃいけない。各国の美術史やメディアを巡る状況をつきつけられたっていうか。

服部)国や地域、あるいは人よって、メディアアートの捉え方に異常な幅があった。

会田)インドネシアとかだと、ビデオアートの文脈がすごく強くって。「OK.ビデオフェスティバル(注6)」、というインドネシア最大のビデオアートフェスを中心で回しているアデが、そのミーティングにインドネシア代表として来てた。その人にとってのメディアアートとは、ほとんどビデオアートの文脈なんだよね。

服部)本当に違ったよね。いわゆるハイテクなメディアみたいなものって、そんなになかったもんね。

会田)アメリカや日本といった国では、ハイテクな機材や環境にルーツを持つメディアアートはやっぱり大学などの研究機関との連携のような状況があってこそ成り立つもの。東南アジアではもっとよりコモディティ化したテクノロジーをどう使うか、ということに軸足がおかれていたね。これはテクノロジーが表現と融合された時期にも関連してる。E.A.T(注7)などが60年代後半、日本では80年代に表現とテクノロジーの融合が盛んだったけど、東南アジアではおそらく2000年代に入ってからそういったムーブメントが出てきている。その間、デジタルテクノロジーも電算室と呼ばれた専用の部屋にある超巨大コンピューターといったものから、パーソナルコンピューター、そしてArduino(注8)のようなものまで、金額や気安さといった価値観が変化していった。

服部)でも、よりメディアアートという言葉に近い状況があったよね。メディアというものとの距離だったりとか、関係を考えるとか、そこにクリティカルな立ち位置をとるっていう意味では、すごくメディアアート的だった。そういう議論ができたのが、おもしろかった。

会田)それがわかったのは、何回かいろんなところに視察に行かせてもらったことが大きい。弾丸ツアーだったけど、いろんな国をみてまわって、現地のアーティストのプレゼンをきいて、この国でいうところの"メディアアート"ってどういうことなんだろうって考え続けた。
各国のキュレーターが選んだアーティストのプレゼンをひたすら聞いていくっていう大変なものだったよね。いまでもよくスージーと話してるけど、シンガポールに行った時とか滞在はたったの23時間とかね。

服部)1日もなかったみたいな。あれもシャーメイン(注9)の完璧な案内があったから23時間でも充実した調査となった。リー・ウェン(Lee Wen)(注 10)のスタジオとか行ってるしね。すごいコーディネートだったね、若手から大御所まで。

会田)あのとき行ったグッドマンアートセンター(注 11)で、ぼくは今年展覧会やらせてもらってる。当時はまだナショナル・ギャラリー・シンガポールは完成してなかったり、たった数年前だけどまた状況はがらっと変わってきてる。変化の速度が本当に速い。

服部)そんなことで、東南アジア4カ国(インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイ)で展覧会をやった。

状況に機能していくラボラトリー

会田)メディアアート以上に衝撃的だったのは、メディアと民衆の生活との距離感かな。インドネシアとかの人たちがみんなバイクを運転しながらFacebookとかをいじっていた。もう中毒だって言ってたね。ユーザー数も多いし、2億4千万人国民がいて、かなり大半の人たちがフェイスブックで連絡をとりあっているみたいなことで。使われ方とかは日本とは全然違っているっていうことが僕にとって衝撃的で。
例えば、酔っ払って撮った写真とかをタグ付けしてどんどんアップしていくんだよね。フィリピンもそうだったよね。日本だとマナー違反になるような、人の酔っている姿を勝手に公開ってことも「面白いからイイじゃん!」っていうノリ。でもじつはFacebookというSNSを技術的な視点から見れば、コンピューター上の仕様としては同じ。にも関わらず、使われ方が全然違うのは、おそらくその背景にある文化が異なるから。酔っ払ってる状況をどう捉えるかとか、プライベート/プライバシーとかをどう捉えるかという文化の違いが、通信仕様の同質性を超えて表出してしまう。これが現代におけるメディアの面白いところだなと思ったんですよね、僕は。
1個のメディア機器があったとしても、文化とか文脈の違いによって、全然違う使い方をされていく。こういうことが、ある種メディアの柔軟性でもあるし、固定化していない、複雑に変化していくということを示している。
そんなところからインスピレーションを受けて、たしか僕が提案したと思うんだけど、今回の展覧会では、「作品をみてインスピレーションを受けた人が、ワークショップという場所で知識を広めていったりとか、深めていったりすることができて、必ず展覧会場に関連したラボという、モノをつくれる場所をセットにする」っていうことを提案したんだよね。するとみんな「いいね」って言ってくれた。国ごとに状況は違うにせよ、形式としては「展覧会、ワークショップ、ラボ」を踏襲するという案。

服部)実際はそこまでフィックスされていなかったよね。はじめは、展覧会とワークショップだけでなく、とにかくラボをつくろう、という話だったよね。最初はたしか、ラボはまわしていく(同じものを巡回させる)話があって、各地域の状況の違いを考慮するとそれは無理じゃないかとなって。で、それぞれの場所に応じる形になった。
展覧会も、最初は巡回展をつくろうという発想からスタートしてたよね。同じアーティストの作品を各国に巡回するっていうことだったけど、そもそも国の状況が違いすぎる、展示する場所の状況も違いすぎる、同じ内容の展覧会を巡回させるのが不可能という状況で、じゃあどうしようかってなって。構造自体を考え直そうってところで、会田くんのYCAMの経験からきた「ラボ」っていう話が、すごくみんなしっくりきたんだろうね。で、その3つ(展覧会、ワークショップ、ラボ)でいこうってなって。

会田)まあ結局、4カ国で別々の展覧会をつくったことになったんだけど。

服部)毎月展覧会をオープンするっていう、クレイジーなことになったよね。結局大変な方向にいったんだよね。

会田)状況に応じてやっていこうとした結果、仕事量は増えた。けど、そのほうが各国のメディアの状況や歴史といった現実には即してたよね。

服部)でも、展覧会の実務的な側面から考えると、2週間くらい展覧会をやって、そのあと1ヶ月も経たないうちに次の都市で展覧会をするタイムスパンとなると、巡回はむしろ無理だよっていう。輸送が間に合わない可能性もあるし。美術輸送は絶対に考えない、というところからスタートしているのが、すごいなと思って。むしろ東南アジアらしいというか。そんな作品は扱わないみたいな。

会田)いわゆる従来の作品形式に則ったものは少なかったね。各国で出品作家がかなり入れ替わる一方で、複数の都市で展示したアーティストもいるよね。

服部)いるいる。同じ作品がまわった人も実際にはいるけど、それはフィックスされた作品というよりは、場所によって組み替えるっていう前提で、輸送もDHLだし。美術館同士で美術輸送でやってたらできなかったことだし。海を隔てた遠いところで、美術を取り巻く状況が違ったからできたのかな。

会田)服部くんはどこの担当だったの?

服部)フィリピン、タイ。

会田)ぼくは、マレーシアとタイ。一人2カ所ずつくらい担当したんだよね。

服部)タイは全員なんだけど、ぼくがベース担当で。

会田)4カ国まわった後に、日本にも戻って来て、岡村さんのいる東京都写真美術館ではシングルチャンネルの映像作品が恵比寿映像祭で上映されて、あとは当時僕と服部君がいたYCAMとACACで巡回展という位置づけの、またそれぞれの展覧会が展開された。

服部)それぞれが勝手につくるっていう、それも。構造だけは守るけどね。

会田)ラボのありかたとかも全然違ってた。ラジオ局をつくってたのは、フィリピンかな。フィリピンは当時、台風が襲ってきて、そのために緊急で、なにか簡易的につくれるキットみたいなものをやってたよね。

服部)展覧会オープンの翌日くらいに巨大な台風がフィリピンを襲って、大きな被害が出ていた。そのときに、メディア/アート・キッチン展のキュレーターやアーティストたちが素早く、災害に応答するかたちで直接支援ができる方法を考えるワークショップなどを実施したんだよね。もともとあったプログラムを柔軟に変更して、そのとき起こることに対して反応していた。

会田)避難民とか、被災者が出ているような状況に、すぐ応答できることでって、ラボとかでワークショップで応急キットとかつくってましたね。

服部)ラボ自体を、使う人が解釈できるっていうことは、おもしろいですよね。「ラボ」という名前だけ与えると、その名前から想像することが人によって違うということを、まず認めるというか。
今は能動的な鑑賞者っていうよりも、つくるほうの話になっているけども。

会田)そだね、けれどこの、つくり手側の柔軟性というのは、鑑賞者の柔軟性とも無関係じゃないと思うんだよね。遊びの余地を残した形っていうのはなんとなくキュレーター陣みんなで感じていたところなのかな、とは思う。
最近コピペの限界ということを考えていて...。昔ながらのグローバリズムの限界というか。それはたとえば、ある種のソリューション、カタチをガチっと決めた工場のようなものを開発してしまって、これをテンプレートどおりにいろんな国にコピペしていくみたいなやりかたって、限界が来ていると思うんだよね。丁寧なローカライズをしないまま、固定化したものを持っていっても上手くいかないよ、みたいな。具体的には、日本式の経営を、そのまま現地に入れたら、現地の人の反発にあってうまく馴染まない、みたいな話。
逆に、現地の文化や生活に沿ったローカライズを前提とした、ゆるっとしたフォーマットを展開していって、あと残りの部分は、現地にあるものを信じて変化させていくようなやり方は、一見するとコストが高くつくようにみえるんだけど、つくり手側ももちろん地元の状況がよく分かっている訳だし、そういう態度で仕事にのぞんでいたのが、とても印象的でしたね
それをさらに、今度はオーディエンスも、ただ単に受け取るだけではなくって、受けたインスピレーションからなにかリアクションとして、知識を広げていったり深めていったりすることをしてもらえたんじゃないかなと思ってる。みた作品やアーティストに対して、自分だったらこういうふうに応答できるな、というふうにやってみたりとかね。
受けた刺激と反応する場を自分たちでどんどんつくりだしていく、使いこなしていくオーディエンスが生まれていくといいな、と思うんですよね。

服部)ラボがあることによって、いわゆる、展覧会解説みたいなことをしなくてもよかったというのが、面白かった。キュレーターによる解説はあったらあったでいいんだけど、それよりも、なにかをつくることによって、逆に作品を理解するとか、その作品にある「これって実はこの技術が適応されてんの」とか、それを体験できる場があるっていうのは、おもしろい。
言葉で言われて、こうこうこうだから、こうつくられてっていうのは、お勉強みたいな感覚に近いと思うんですよね。それよりは少し深く関わること。話を聞いてるだけのときは受け身でいられるんですけど、自分が何かをしないといけないということになった時に、はじめて、やるからこそ気づくことってあるっていう。

価値軸を疑う、あるいは複数の価値軸をひくためのワークショップ

会田)ワークショップの要素の一つとして、ハンズオンというのがある。手で組み立ててみることによって、理解することなんだけど、その腑に落ちる質が全然違うわけです。
例えば、マレーシアでやった展覧会の時に、堀尾くん(注12)のワークショップをやったんだけど。堀尾くんの作品はいろんなマテリアル、道具とかが1個1個連携していて、物理的にも電気的にも連鎖していくみたいな作品なんです。それぞれがちょっとずつ関わりをもって、全体としては、ぐねぐね動いて見えるよっていう作品。
堀尾くんがやったワークショップは、LEDの光の強さっていうものに、音声信号をいれることによって、音声信号の波形みたいなものが、光に直接トランスレーションされていく様子を確かめようという内容でした。受光器側(太陽電池)の、発電量が光の強さによって変わり、その発電量をスピーカーにつなげて、光通信で音楽を演奏するみたいなことをやったのね。
それを回路から組み立てて、ハンダづけして、つなげていって組み立てて、実際にそれを真っ暗な部屋の中で、ピカピカと動かすことによって、音声をトランスレートできるよって。しかも、光が遮られてしまえば音が届かないとかね。普通、音っていうのは空間的に何かを遮ったとしても届いちゃうんだけど、光を通さないようにするだけで、音声が途絶えるみたいなことも楽しむ、みたいな、要素と要素との関係性を見出していこうというワークショップだったんだよね。
それをやった経験をふまえたうえで、堀尾くんの作品をみると、モノとモノとの対話みたいなものがジワっとみえてきたりとか、かわいいと思えちゃったりすることが起きていて、まさに自分自身で体験してみる、つくりだす経験、アウトプットしていく経験をすることによって、インプットの回路をより滑らかにしていく、っていうことが実現したワークショップだったなと思いました。

服部)ワークショップも、結論が見えてるようなお勉強になるとつまらないじゃない。例えば、木版画をつくろうとか、カルチャースクールみたいにいわゆる技法を身につけるだけというのは面白くない。現代美術、あるいはアートと関わるワークショップのおもしろいところって、多分、ワークショップ自体が何かをつくることになっているというか。

会田)そのことは、最近よく、ぼくがいろんな場所でしゃべっていることなんだけど、ワークショップではない教育というのは、評価軸というのが決まっているわけだよね。例えば、いわゆる学校の教育のなかで、偏差値というのがあるけど、理解軸が縦軸にあって、時間効率が横軸にあって、時間効率良く理解を高めるという競争。両方とも高い位置にある人は東大に入るっていう。
けれど、例えば入試の会場でさ、すごい賢い子がいたとして、「人間の知性ってこんなやりかたでは測れないと思います」っていう、本当に本質をついた訴えをしたとするでしょ。すると、どうなるかというと、結局会場からつまみだされて終わりだよね。言っていることは正しいわけだけど、ある価値軸があって、ゆるぎないものが設定されていて、徹頭徹尾その価値軸に則って人を評価していくのが現状の教育だとする。すると逆に、どういう価値の軸だったら人の知性をはかれるんだろうっていう議論をしはじめられるというのが、「オープン・エンド」型のワークショップ。つまり、理解度、時間効率っていう軸以外にも実は違う軸が引けるかもしれないし、価値軸っていうのはもっと豊かに引き直すことが可能なんじゃないかっていうことを考えられる余地があって、もっと言うと、理解度と時間効率という価値軸は、もしかしたらつまらない評価軸だったんじゃないかって相対化していくことができる。こういったことがワークショップのスリリングでおもしろいところなんだと理解するに至った。
原発反対派と賛成派をあつめて、タウンミーティングをするとしたとすると、それは反対か賛成かの1次元に並ぶ評価軸にしかならないわけだけど、何回かそれを繰り返していくうちに、それぞれの理由があるんだ、理屈があるんだということを互いに知り合って、いままでこういう話し合いができていなかったことが、対立を生んでいたのかもね、ということを言い始めて、その理解を深めるためのお祭りみたいなものを、年に一度やっていきましょう、という話しになっちゃったりする。電力会社の人は、反対か賛成かの結論出して欲しかったんですけど・・・みたいなことになって、反対か賛成かの軸が、ある意味相対化されてしまう「大した問題じゃなかった化」が起きて、新たなパースペクティブが生まれていく、そういったもの自体が、おもしろいワークショップなんだろうと思ってるんです。

服部)ある意味、アートと相性がいいということですよね。

作品から何かを受け取ったあとにアクションできる"自由な"鑑賞者

会田)それってブレヒト(注13)とかが言っている、「異化効果」っていうのとも関連があるかも知れないと思っていて。最終的な価値軸は多様で構わなくて、それ以前の固定化した価値軸が相対化していくための仕組みに興味がある。当たり前と思っていた価値っていうものを、もう一度見直して、それ自体が相対化されていく、異化されていく。当たり前に思っていた価値軸っていうのが、ただの1つのバリエーションであって全ではなかったよっていう。慣れてないとさ、軸を引きなおすこと自体に、考えが至らないことが多いわけだよね。
あいちトリエンナーレでは「テーミング(Taming)」が、キーワドのひとつになっているわけだけど。「飼いならす」っていうことを考えると、それは、繰り返し繰り返し、義務教育の中で「この作品の意図を40字以内で表せ」っていう質問を投げかけ続けられたことによって、アートには意図があるんだっていうことを、信じ込まされる、飼いならされることがあって。でも、アートには明確な一つの意図なんてないかもしれないし、もしかしたら、自分が考える解釈の方が価値があるかもしれないよ、ということを伝える必要がある。むしろ全体主義のような時代においては、こういった「新たな軸」を引き直さないように、飼いならそうとしていたかもしれない、ということがあるんだよね。上記のような質問に対する回答を「正解/不正解」で分けてしまうと、頭がいい人とされる人ほど飼いならされているかもしれないし、正解が必ずあるっていうことが前提になってしまうところも問題。もしかしたら答えなんかもないかも、質問者は馬鹿かも、みたいなことを疑い始めるってことも、美術の価値って言えると思うんだよね。

服部)なるほどね。

会田)いま、ビジネスの世界とかでも、「アート思考」みたいなものが取り沙汰されてて、デザイン思考、編集思考の次に「アート思考」だ!とか言ってね。
KPI(キー・パフォーマンス・インジケーター)(注 14)って、キーになる指標だけを集中して見て、これを高めていくことで、利益を素早く最大化していくんだっていう、サイエンス的なアプローチっていうものが、すごく90年代〜2000年代にはもてはやされていたけど、一方でそれだけをやっていたら、おんなじことを頑張る企業ばっかり増えて、ライバルがすごく増えちゃって、狭いパイをみんなで食い合うばっかりになっちゃってて。
そんななか、Apple Inc.に代表されるような、豊かなビジョンを持ってる企業の方が、トータルで強いんじゃないっていうことになったときに、実は軸を1つにしぼるのとは逆に、いろいろな軸を引き直して、トータルで「なんかいい感じ」ってものをみつけていこうぜ、みたな考え方が出てきた。そういった経営に注目が集まっているということで、「アート思考」っていうものが、すごく着目されているんだよね。「トータルでいい」とはなにか、っていうかね。その辺が見つけ出せるといいんじゃないかなって。
アーティストがやってることっていうのは、服部くんの仕事もそうだと思うけど、なんかわかんないけど、大事なものが、まず直感的に自分に引っかかるものがあり、それを根拠にしてまわりを広げていく。他人から「なぜですか?」って言われると「いや、まぁなんか引っかかったらから」としか言えないかもしれないけど、でも、そういったことに心震わせたりするんだろうし。そういった何となくの引っかかりであっても「うん、なんか分かるかも」みたいな広い意味での共感が波紋のように広がっていくイメージが、アートにはある。この時に大切なのが、共感してくれるだろう鑑賞者を信じて自分の中の「いいなと思えるもの」を外に共有していくことかなと。観賞する人の創造性も含めて、表現って成立しているんだろうなということが、今日は話してみたかったことです。

服部)そんなところ?

会田)そんなところかな。能動的な鑑賞者を一言でまとめるのは難しいけど。展覧会の会場内で、来場者が自然に振る舞うことができるといいな、と思うんだよね。お客さんが自由だといいと思う。受け止めるだけではなく、人は何かインスピレーションを受けたら、当然のように何かしらの反応をしたくなるし、自分もつくってみようと思ったりできる。そういう自然な振る舞いが、自由にできるお客さんが、どんどん増えたらいいなと思う。

服部)それってたぶん、美術館とかも変わらないといけないところもあると思っていて。
美術館で作品を前にしたら、人って気になったらしゃべるじゃない?面白いと思っている証拠だと思うんだよね。なのに、ただ普通に話をしているときに、監視の人が、静かにしてくださいって注意をしにくることがある。すごく静かに作品とひとりで対峙して鑑賞することが良いことだと、思い込みを持っている人がいる。
騒いでたら注意をしにくるのはわかるけど。誰かが立ち止まって作品をみてて、作品について話すことってすごく正常なのに、それを異常だと捉える監視の人がいて。それって、そもそも、美術とかモノをみることを狭めてるなって思って。
美術館を批判したいっていうよりも、そういうふうに、美術館にいる人が思ってしまっていることが悲しい。こういうのは鑑賞教育が孕む問題と、つながる気がしていて。

会田)鑑賞というものの常識がけっこう変わってて。ていうか、日本独特な感じかもしれないけど、鑑賞って内なる心との対話なんだよね、個人の中での。作品をみて、それを受け取った私が、私の心の中と対話をして、何かを紡ぐということが鑑賞。というふうに、強く強制しているところがあると思う。

服部)ドクメンタ(注 15)とか行ってさ、おもしろいなと思ったのが、70代くらいの夫婦が、すごいコンセプチャルな作品をみて、色々話してるわけね。そういう風景を見ると、美術がヨーローッパで生まれ育ったことを嫌でも実感する。哲学が生まれたところで生まれたんだって、目の当たりにした感じがあって。
観客に委ねられているというか、観客の方に権利があるという状況が、築かれていることが、気持ちいいなって思って。日本の全部がそうとは思わないけど、ある状況では、提供する側や管理する側に力があると思われている、それはときに悲しいことだし。もっと鑑賞者を信頼しなきゃいけないんじゃないかな、と思って。
そういう悲しい状況の典型が、監視の人が、作品について誰かが何か熱く語っていることを、周りのお客さんに対する迷惑だと思って注意をしてしまうということが、象徴してるなと思って。能動的な鑑賞を遮ることって、おそらくそういうことなんだよなって思って。

会田)つまり、作品というものが、あるメッセージを持っていて、それを受け取ることが鑑賞だっていう立場になると、(作品について語ることが)人の鑑賞を邪魔するということになってしまうんだけど、実際には、作品は問いを投げかけていて、思考のタネを投げかけているわけだから、それについて受け取ったら、考えるだけでなく他人と話をしたりしながら反応するべきだということですよね。
その質問に対して、自分はこう思う、君はどう思うのか、と会話を紡いでいく。作品自体とも対話をするし、他のオーディエンスとも対話をしていく。そうしたことを通じて、いろんな立場とか見方があるんだなということを、明らかにしていくっていうことが、豊かな鑑賞じゃないかなと。おしゃべりをすること自体を楽しむ鑑賞の方法が、むしろスタンダードになるといいなって思ってる。
あとは、小学校の時の鑑賞教育っていうのが、文科省が提示しているなかに入っているんだよね。それは、鑑賞そのものをやっていくというよりも、社会に出ていく練習としてやっているところがあって。社会ルールを身につけるために、大量に人を受け入れてくれて、安く行ける場所っていうことで、美術館なんですよ。社会に出た時に、公共の場で自分勝手に話してはいけない、黙っていることを習わせるために、美術館が使われていることがあって。飼いならしの一環として行われている。そういうのがあるから、みんな疑わずに、美術館では静かにしなければいけない、と考えるようになってしまうんだよね。
そこはやっぱり、間違ってませんかって文科省とかに言えればいいんですけど。もっと僕が偉くならないといけない。
学校教育の中で、美術館に行くこと自体は否定しないし、いいことだと思うけど、社会を学ぶためにっていう、目的がずれちゃってるところがあるんじゃないかなって気がしますね。
YCAMとかにくる学校も、先生はすごく静かにさせようとするんだけど、ぼくは質問をして答えさせようとするから、コンセプトがすれ違うんだよね。

服部)目的意識が違うんだよね。

会田)そうそう。対話させようとしているのに、黙らせようとしている。できればそういうことは変えていけたらいいなと思いますけどね。


注1)日本と東南アジアのメディア・アート展 「Media/Art Kitchen - Reality Distortion Field 」
2013年の日・ASEAN友好協力40周年を記念して、各国の若手キュレーターとアーティストが協働した、日本と東南アジアのメディア・アートをテーマにした展覧会。タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシアの4カ国で開かれた。
注2)スージー・スレイマン Suzy Sulaiman (Digital Art + Culture Festival(DA+C) ディレクター、リムコックウィン大学講師)。
注3)アデ・ダルマワン Ade Darmawan (ruangrupaディレクター)。
注4)ファブラボ鎌倉 
注5)奥村雄樹、東京国立近代美術館「14の夕べ」
注6)OK.ビデオフェスティバル 
注7)E.A.T.  Experiments in Art and Technology。1967年にラウシェンバーグらによって設立された科学者、エンジニアとアーティストによるグループ。大阪万博(1970)など、後のメディアアートの礎となる多大な影響を残した。
注8)Arduino 2005年イタリアでスタートした、オープンライセンスによる安価なマイクロコンピューター。センサーなどを接続し独自のハードウェアを簡易に作成することができる。
注9)シャーメイン・トウ Charmaine Toh (当時Objectifs Centre for Photography and Film プログラムディレクター、現在National Gallery Singaporeキュレーター))
注10)リー・ウェン(Lee Wen)。シンガポールを拠点とするアーティスト。
注11)グッドマンアートセンター(GAC、Goodman Arts Centre) シンガポールにあるアートセンター
注12)ベルトルト・ブレヒト。ドイツの劇作家、詩人、演出家。
注13)KPI(キー・パフォーマンス・インジケーター)。目標に対する到達度を定量的に表わすもの。
注14)ドクメンタ(documenta)。ドイツ、カッセルで1955年以来、5年おきに行われている現代美術の大型国際展。