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2018年11月20日 レポート

レポート|人材育成プログラム「展覧会の体験をデザインする」【理論編】④「こんな設計で作られてました」

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2018年10月27日(土)16:00〜18:00
人材育成プログラム理論編④「こんな設計で作られてました」
『サイト&アート02 「窓から。」』アーティストトーク
レポート
講師:服部浩之(キュレーター、アートラボあいちディレクター)
   会田大也(あいちトリエンナーレ2019キュレーター[ラーニング])
アーティスト:今枝大輔、大洲大作、津田道子


9月からスタートした人材育成プログラム「展覧会の体験をデザインする」での最後のレクチャー「こんな設計で作られてました」は、プログラムに関連した展覧会『サイト&アート02「窓から。」』の初日に、公開レクチャーとして、受講メンバー、参加アーティスト、一般来場者を含めたおよそ40名で行われました。

人材育成プログラムがどのように進んできたかの紹介に続き、受講メンバーそれぞれから簡単な感想を聞き、アーティストトークへとうつっていきました。


「こんな設計で作られてました」

8月に募集し、9月から本格的に始動した今回の人材育成プログラム「展覧会の体験をデザインする」。
アートラボあいちのミッションの1つでもある「人材育成」に初めて本格的に関わったプログラムとなりました。企画には、アートラボあいちのディレクターである服部さんと、あいちトリエンナーレ2019ラーニグチームのキュレーターである会田さんが参加し、「共に学ぶ」ことをキーワードにかなり濃い体験が生まれました。

募集要項のなかで、全4回のレクチャーは理論編と位置づけ「美学・美術史、キュレーション、ミュージアムエデュケーションなどをレクチャー形式で理論的に学びます。」と説明していましたが、実際は3分の1がレクチャー、残りの3分の2では、濃密なディスカッションを行ってきました。
いわゆるキュレーションを学ぶようなプログラム構成ではなく、「展覧会に来た人たちの体験をどのようにデザインすると、より深い体験を得ることができるのだろうか」ということを考え、実践することにチャレンジできるような構成をとりました。プロを育てるというよりも、スタッフ、受講生、来場者とそれぞれが広く学ぶことができるような仕組みを考えた結果です。
今回の人材育成プログラムは、あいちトリエンナーレと連携し、より「共に学ぶこと」「コ・エデュケーション」を意識した内容となりました。服部さんや会田さんにはこれまでに豊富な経験がありますが、その経験を伝える、教えるのではなく、受講生たちに「自分たちが考えた」「自分たちでできた」という経験と自信を持ってもらえるように、人材育成のプログラムが進んでいきました。
具体的には、展覧会の展示の1部(堀辰雄作品)の展示プランと、アート・プレイグラウンドの活動の企画と実施、そして会場サインや設営といった3つの実践を行いました。展覧会は初日を迎えましたが、これで完成ではなく、ここから来場者の様子を観察したり、実際にアート・プレイグラウンドで活動していく中で、展示プランがかわったり、プログラムが増えたり、サインが改善されたりと、現在進行形でもあります。
人材育成のプログラムは行政的に歓迎される反面、成果がはかりにくく、数字などに置き換えることが難しい面があります。しかしながら、長期的に継続していく視点でみると、こうしたプログラムに参加した人がその後も、自分の出来る範囲で積極的にさまざまなことに関わっていくことで、愛知の文化度が向上することにつながっていくはずなので、今回で終わりにするのではなく、継続して活動していってほしいと会田さんから受講メンバーへメッセージがおくられました。

受講メンバーのことば

一般の聴講者とともに会場にいた受講メンバーから、一言ずつ今回のプログラムに参加した感想などを聞きました。
大学生から社会人、性別や人生背景もさまざまな19名のメンバーは、口をそろえて「メンバーがみんな個性的で驚いた」と言います。時にそれぞれのアクの強さにとまどいながらも「それでも似た人が集まるよりも、全く違う人が集まったから、深い議論もできたし、さまざまなアイディアや意見が出て、発見も多かった」という声や、「個人個人は全く違う生き物だけど、集まって集合体になった時にすごい生き物になる。それを目の当たりにできたことはすごくおもしろかったし、これからまだどんなふうに成長するかも楽しみ」という意見、「愛知にこんなに個性の強い人がいることに驚いたけど、愛知がもっている人材のポテンシャルを感じた。」と、今後の愛知のアートを盛り上げていけそうな、そんな期待もそれぞれから感じることができました。
受講動機についても様々でしたが、「インスタ映えをねらって作品をみにいく周囲の人たちの意識を変えたいと思った」「あいちトリエンナーレ2019の会場が地元なので、何かアクションを起こしたいと思った」「展覧会をつくっていく中でどんなプロセスがあるのか、どんなことが起こっているのか興味があった」など、もともとアートに興味があったことから受講しようと思った人が多かった一方で、「現代アートはよくわからないと思っていたので、近づいてみたいと思って参加した」という人もいました。
また、アイディアを形にしていく段階では「本当に数え切れないくらいのアイディアが出て、それを削っていく作業が大きな経験になった」といいます。「これまで展覧会をみるときには、それが完成形だと思っていたけど、完成ではなくて進行形のものだったことが発見だった」「スタートしてからがスタートだと思った」「これからアート・プレイグラウンドでいろいろプログラムを考えていきたい」と初日をむかえたものの、これからが本番!という意気込みも伝わってきました。
そんな中で、仕事などの関係でなかなか参加できなかった人からは「まだ展覧会やアート・プレイグラウンド、あるいは今回のプログラムでの活動が"自分ごと"になっていない」という声も。ただ、1ヶ月ある会期の中でどれくらい"自分ごと"にできるか、がんばってみたいと続けてくれました。
生活パターンや仕事など、それぞれ抱えている事情は違います。その中で、自分のペースで、自分ができるところから積極的に参加することが、"自分ごと"として関わっていく最初の1歩であり、10年、30年、100年の規模でみたときにどのような状況につながっているかを楽しみにしながら、活動を継続していってほしいと会田さんが結びました。

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展覧会の構成について

『サイト&アート02「窓から。」』は、人材育成プログラムがあることを前提に企画されました。この企画は、アートラボあいちの入っている愛知県庁大津橋分室という建物を起点とした「サイト&アート」シリーズの第2弾です。第1弾は今村遼佑による個展『雪は積もるか、消えるか』。場を読み込む力のある作家を選ぶことで、場の魅力を引き出すことに挑戦しました。今回は、テーマをしぼりこみすぎず、「人と出会うこと」に要点を置き、個展ではなく、違うタイプでありながら同じテーマで取り組むことができる現代のアーティストを複数選ぶことになり、今枝大輔さん、大洲大作さん、津田道子さんが選ばれ、さらに物故作家にはなりますが堀辰雄も含まれました。
テーマは「窓」。
この愛知県庁大津橋分室という建物は1933年に建てられ、戦争を経験し奇跡的に85年の歳月を生き残ってきました。その間に、老朽化などによって、ところどころ窓が新しくなっています。昔の窓は、生産技法によりやや波打っていて、現在の技術によるフラットな窓との違いは歴然です。そこに明らかに時間、時代の経過が感じられます。そんなこの建物の窓に元々興味や好感を抱いていたという服部さん。
内と外、こちら側とあちら側の境界であり、オープンでもクローズでもある「窓」。物理的な特徴もあり、コンセプチュアルに考えることもできます。3名のアーティストにはそんなテーマを読み込んでもらい、どんな作品を展示するか相談していきました。
元々は、堀辰雄が故人であり、旧作での出品になることもあり、他の3名にも旧作をお願いする予定だったそうです。アーティスト、キューレーター間の話し合いの結果、津田さんの《配置の森の住人と王様(模様替え)》を除くと、三名の作家とも、新制作、再構成、再編集といった何らかの形で、新しい展示方法となりました。話が進んでいく中で、愛知という場所で実施するなら、この建物で実施するなら、とそれぞれのアーティストが真摯に向き合う中で生まれた自然な流れだったと言います。
堀辰雄『窓』を展示することについては、愛知で活動するアーティストのなかに絵画で表現する人が多い、ということころから端を発しています。テーマそのもの、という感じを抱く人もいるかもしれませんが、内容に関しては窓そのものを扱っているわけではなく、むしろ1枚の絵画とその周囲の人間との関係を描いた短編小説です。絵画をとおして、創造力、想像力に触れ、キュレーターが主人公である点でも今回につながっているとも考えられます。直接的に絵画にアクセスしない方法で窓を象徴的に扱っていると言えるでしょう。
この展示に関しては、見せかたについて様々な可能性と余地があり、人材育成プログラムの中で、この堀辰雄『窓』をどう展示してみせるか、を受講メンバーと考えていくことになりました。

堀辰雄『窓』の展示について

人材育成プログラム理論編第3回目で、この小説をどのように展示するか、受講メンバーにアイディアをだしてもらいました。このときにはじめて、展示をみんなですることが伝えられ、かなり驚いたかもしれません。展示スタートまで1ヶ月をきる頃に、まだ1室の展示が全く決まっていないということは、通常ありえませんが、規模感や育成プログラムであることで、こうした挑戦も可能になりました。他の作品がどのように展示されるか決まって実現されていく最中、最後の部屋をどのようにみせていくかを、1ヶ月の中で具体的に考えていくことになりました。
1人で企画して実施することが多い展覧会の中で、今回のように様々な人と議論しながらつくれることは稀です。1人が判断しないことで、思いがけないことにつながっていくところに面白みがあります。
実際は、直接集まったり、Facebookページを利用したりして、さまざまな意見を交わして展示内容を詰めていきました。部屋一面に文章をはりだす、朗読を流す、ソファをつくって置く、カウンターをつくる、お茶を出す、廊下を活用する、などなど多種多様なアイディアが出ましたが、相談するなかで「引いていく作業」がメインになり、最終的にA4サイズで印刷した小説『窓』を1つのベンチに置く、というミニマムな構成になりました。
ただし、これも最終形態、完成版ということではなく、これから会期が進むなかで変化が起こる可能性は十分にあります。

アーティストトーク:今枝大輔

人材育成プログラムの流れを知ったうえで、参加アーティストからこれまでの制作を含め、とくに今回展示している作品についてトークをしていただきました。
まずは、愛知県出身の今枝大輔さんから紹介いただきました。
今枝さんは、映画などの撮影の都合上できてしまった「約束事」「技法」を抽出して作品をかたちづくっています。「虚構を虚構として受け入れてみることができる」という、人だからこそできること、を根底において制作されているそうです。
展示されている作品の1つ《interlude》は、幕間という意味で、ショーの幕間に流された、本編とは全く関係ない実験映像がもとになっています。さらに、昔映画でよく使われていた撮影技法の1つ「書割り(かきわり)」も抽出して使用されています。書割りは、山や空などを描いて背景として利用することで、《interlude》では今枝さんが描いた空が書割りとして映っています。その手前にジオラマを置いて、撮影しています。時折、背景が見切れているところが映り、それがこの映像が書割りであることの象徴として表現されています。作品を投影するときのサイズが重要だということで、今回3つの映像作品の中で1番大きく投影面いっぱいに映しています。
2つ目の《Waters of March》は、35ミリのリバーサルフィルムによるスライドを使用しています。ファウンド・フォト(https://bijutsutecho.com/artwords/36)を使っていて、昔のフィルムを蚤の市などでみつけて、ランダムに入れて映像をつくっています。スライドの横や上下に入る字幕は、アントニオ・カルロス・ジョビンの「3月の水」という曲の歌詞を引用しています。1972年に発表された曲ですが、震災以降の日本に対して、希望的な雰囲気が込められると、選んだそうです。
この作品では、映画の中で過去を振り返るようなシーンで使われるスライドのイメージを抽出しています。そのシーンが、実際に過去のものなのか、現在振り返っているものなのか、その点が曖昧になるように、どのようにみられるのかを考えて構成したそうです。
最後の作品《cave-fire》は、タイミングによっては「映っていないの?」「黒の映像かな?」と思った人もいるかもしれませんが、じっとみていると、マッチが擦られ、炎があがり、そして消えていくという一連の流れが投影されます。この作品だけは、天井からアクリルを吊るして投影しています。アクリルに反射して後ろの壁面にも映像の影がうつります。
《cave-fire》では、映画の仕組みについて考えたそうで、プラトンの『国家』第7巻で登場する「洞窟の比喩」(図=https://ja.wikipedia.org/wiki/洞窟の比喩#/media/File:Plato_-_Allegory_of_the_Cave.png)という有名な1章がもとになっています。このなかでは、洞窟の中に炎(光源)があり、その前で影絵をし、そのうつった影を人々がみていますが、実際にわたしたちが世界をみているときも同じように「そのもの」ではなく「その影」をみているようなことで、よりよく考えて生きることは、その仕組みに気づき洞窟を出ていくことである、というような説明がされています(かなり端折っていますので、詳しくは『国家』を読んでみてください!)。イデア論を説明するために用いられたものですが、それが映画の仕組みにつながっていると今枝さんは感じているそうです。
映像技術が高速で進化を続ける現在、VRなど現実と虚構の境界が消失していくような技術の進歩は必ずくると今枝さんは言います。その先で、振り返った時に残しておけるように、今枝さんがいまアナログ的なことを抽出したり、そうした技術を利用したりしている意味があるかもしれない、と。
今回の3作品は、いろいろな角度から見ることができるような構成になっているので、ぜひ動きながらみてほしい、と今枝さんのトークが終了しました。

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アーティストトーク:大洲大作

続いては、列車の車窓を撮影して作品としている大洲大作さんです。展示では、実際の車窓が天井から吊るされ、そこに写真がスライドショーで投影されています。今回は、愛知での展示ということで《Flat-Aichi (study)》《Flow-Aichi (study)》という2つの新作を制作されました。大洲さんの愛知のイメージは「フラット」だそうです。二年ほど前までは東京と大阪を新幹線で行き来するときに通る、通過地点の印象だったそうですが、その新幹線の車窓からみる愛知はすごくフラットで、関東平野とも違い、ずっと広がっている、というイメージだったそうです。今回もそのイメージが作品テーマの1つになっています。
《Flow-Aichi (study)》は木曽川、濃尾平野を走る列車の車窓を撮影し、「水平線」「水際」がテーマになっています。Flow=流れというイメージは、そもそも大洲さんが大阪生まれであることが起因となっています。大阪は、淀川が運んできた砂が堆積したことによってできた砂上の楼閣とも言える沖積平野で、川が氾濫するとたびたび被害をうけてきました。そうした海抜マイナス数メートルの地点で生活している大阪の人の素地には、こうした水際で生活することのリスクといったものがあると大洲さんは話します。今年の夏に尼崎アートラボで行なった展示で(http://www.ama-a-lab.com/exhibition/exhibition141/)、これまでの制作を振り返った時に、川や湾を撮影したものが多く、自身の意識の奥に水に関連する災害に対する思いがあったのか、という発見があったそうです。
では、愛知県ではどうなのか、と大洲さんの話が続きます。愛知の車窓からは木曽川をはじめとしてどこかしかの水際がみえる。また、伊勢湾台風の記憶もあり、海岸部より遠くにある地域でも実際はフラットのため、高潮や川が氾濫した時に水に浸かる場所が多い。そうした危うさと同時に、恩恵も受けている。それらのさまざまな点で、淀川との共通性を感じ、「水際」もテーマの1つとすることにしたそうです。
大洲さんが車窓を撮影していることは、子どもの頃の体験が影響しているといいます。列車で移動することが多かった子ども時代、車窓から世界をみることが、外の世界と触れていくインターフェイスとして大きな比重を占めていたと振り返ると、その蓄積としてどうやって世界をみているのかと考えた時に、その視点として車窓を扱うことが至極当然だったそうです。
「窓からみている」のではなく、「窓をみている」と大洲さんはいいます。車窓をとおして人の営みをみることや、窓そのものを意識すること、車窓という視座を意識しながら世界をみること、そうして作品をみてみると、また違った印象を与えてくれそうです。

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アーティストトーク:津田道子

津田さんは、3階の小展示室に映像作品を1つと、2階と3階で対になる作品2つを展示しています。
3階の小展示室に展示された《配置の森の住人と王様》にみられるように、「枠」を作品に取り入れることは昔からされていたそうです。2012年に発表した《Observer = f(t, f(t, null), f(d, Observer, f(t, null), f(t, f(r, f(t, CameraE))),f(t, null), f(r, f(r, Observer, f(d, f(r, f(r, null))))))》が元になっているというのが「数式」のシリーズで、今回の2つの新作に展開しています。2012年の作品は、シンプルにみようとしながらも、みているときの複雑さが生じ、場所によってカタチがかわるものだったそうで、この作品から要素をとりだして2014年以降、習作的に作品を制作されています。空間にちょっと気になることがあった時に、「線を引く」というイメージで、どんな線を引いたのかを数式で表しているといいます。
習作ということで、今回それを展開できないかと服部さんに言われた時、正直どうしようか迷ったそうです。テーマが「窓」だと聞いてできるかもしれないと考え、実際、建物を訪れてみると、おもしろくなって、いろいろ考えることができたといいます。そのなかで、「2階の窓がすごく良くて、それを使いたいと思った」とイメージを膨らませていった津田さんですが、自然と3階と対にすることを考えていったといいます。
数式をタイトルにしていますが、厳密に式は整っているわけではないそうです。数式は因数分解と似たかたちをとっていますが、なんとなく相似になっているというイメージだといいます。式を考えてから、それにあてはまるように作品をつくっていくほうがクールだけど、実際には、作品ができてから式が生まれていると津田さんは笑いながら話します。空間で、ものを置いたり取ったり、動かしたりすることで作品が生まれていきます。
パフォーマンス作品も発表されている津田さんは、上村忍さんというコンテンポラリーダンサーとユニットを組んで作品を制作していることもありますが、今回は愛知のダンサーの方とのコラボレーションで映像作品を制作しました。習作であるシリーズの展開として、習作感をどのようにコントロールするかに苦心したという津田さんは、身体をベースにつくってみることを考えました。
制作を進める上で、まずは何もない空間で、「念をおくった場所をあてる」というウォーミングアップをしたそうです。1人が部屋に残って、部屋のある一点に念をおくります。そのあと他の人がどこに念をおくったかをあてる、という方法です。2〜3回繰り返していると、ズバッとその1点をあてることができたそうですが、数回繰り返していると「念が部屋にこもりすぎてわからなくなった」といいます。スピリチュアルな話し?とふと思いましたが、普段から「ただの空間だと思わないようにしている」という津田さんは、壁や柱もただの壁や柱だと思わないように空間に接しているといいます。その態度を体験する術として、この念をおくるという活動をしてみたそうです。この態度を頭に置いていることで、周りが全然違うものにみえてくるといいます。抽象的にいうと「なにかがみえてくる」だそう。
大学でエネルギーについて学んでいた津田さんがアートの世界に入ったのは、世の中の要求に答えるだけではないこと、そうじゃない世の中を発見したいと思ったからだそうです。津田さんの作品と出会って、鑑賞者の皆さんはどんな発見をされたでしょう。

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おわりに

人材育成プログラムの流れ、受講メンバーの感想、展覧会の構成について、アーティストトークとかなり盛りだくさんの内容で、理論編第4回目の公開レクチャーがすすみました。
最後に、あいちトリエンナーレの事務局スタッフが「来年のトリエンナーレという大きな場でも"自分ごと"で活動できる人が増えていけるように活動していきたい」とコメントを寄せました。
そして、県という大きな組織で行われていることを「自分ごと」にすることは難しいですが、そうできるような場所や活動をこれからも続けていきたいし、上手に巻き込まれたり、巻き込んでいってほしいと会田さんが締めくくりました。

展覧会は11月25日までです。1ヶ月のなかでどのように変化していくのかが楽しみです。