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2023年3月16日 レポート

アーティストインタビュー|山田憲子

聞き手|安齋萌実、小西夏美(アートマネジメントアカデミー2022メンバー)
インタビュー方法|アートラボあいちにて対面実施

安齋)写真を扱うようになったきっかけはありますか?

山田)大学在学中に写真の授業を受けたのがきっかけで、そのまま写真領域に進みました。

安齋)現在も写真メディアを扱っているとのことですが、他のメディアに変えず、今も写真を扱い続ける理由は、何かあったりするのですか。

山田)純粋に楽しいというのと、カメラの使い方や暗室を学ぶのが全然苦じゃなくて、個人で取り組めるところが自分に合っていて続けやすいからです。卒業後も常にカメラを持っていて、生活の一部にすることができています。あとは、撮影する行為と撮影後にその写真を見て考えられるのが、自分に合っています。
私はフィルムが多いんですけど、100%撮影の段階からコントロールできるところと、ある程度手放せる部分のバランスが私はちょうど良くて、暗室作業でも完璧に制御しようと思えばできるし、ある程度手放すこともできるから、それがすごいおもしろいなあと思っています。そういったところが自分に合っているので続いているんですかね。

安齋)ちなみに大学には暗室作業ができる設備があったと思いますが、自分で暗室作業をやるとなった時には、スペースとかはどうされているのですか。

山田)大学時代はネガスキャン(注1)ばっかりしていて、本格的に暗室やりだしたのは卒業後です。自宅で暗室できる方法がないかと、写真が好きで集まっている人たちのところに勉強しに行きました。今は家で引き伸ばし機を置いて、カラーもバットのやり方で焼いています。

小西)「静かな時間」を拝見しました。家族との対話というのがだいぶセルフケアのような、内的な内容だなという風に感じました。この作品は、どんな意識で制作したのでしょうか。また、制作や発表の際の悩みなどあれば教えてください。

山田)「静かな時間」はどうして作ったかというと、この作品を作る前に裏テーマとして家族のことを意識した作品を一つ作っていました。そのときは植物や他のモデルさんを家族に置き換えて、家族に見立てて制作していたんです。その作品がプリントに無数の穴を開けて、下から光をかざしてもう一回撮るという制作方法だったんですけど、夜家で穴を開けている作業を延々としているときに、家に家族がいて直接コミュニケーションをとることができるのに、それをせずに自分の中だけで作品を作っている回りくどいやり方が疑問に思えてきて。
当時は学生で卒業したら家を出ることも決まっていたので、今向き合わずに作品を作り続けているような自分で、卒業後も写真をやっていけるのかという謎のスイッチが入りました。、置き換えて表現するというより、ちゃんと向き合った方がいいんじゃないかなあって思ったんです。撮影を依頼して、最初断られて、どういう風に歩み寄っていけば良いのだろう...、というのが作品を作り始めたきっかけです。

小西)作ってから悩みが出てきたというより、悩んでいたからそういう制作に切り替えたという感じなんですね。

山田)そうですね。今となっては、置き換えることも表現として優れていると思う部分もあるんですけど、写真は被写体と向き合うことができるものだと思ったのでそっちに重きを置いたんだと思います。
発表するにあたっての悩みというところだと、制作することはあんまり悩んだことないですが、いつも悩むのは、発表する時です。発表の仕方、発表した後がすごい悩みで。
卒業後も家族に関するパーソナルな作品を作ったのですが、全く公開していないものもあります。発表したことで、たくさんの人にものすごいスピードで広まって欲しいみたいなのがあんまりなくて、ある程度閉じられた場所で発表するやり方、そういう作品もあっていいんじゃないかって自分は思います。どういう発表の仕方がこの作品には合っているのかなっていう部分で悩むことはありますね。
発表する場によってリアクションが結構違って。作品として、写真っていう観点から感想を言ってくれる人もいるし、一連のストーリーを見て、自分の個人的な生い立ちを話してくれる人もいるし、発表する場とか見てくれる人、発表の仕方によって変わってくるので、それは面白いなあと思っています。

小西)私も面白いと思います。もとは山田さんとお母さんの2人のお話なのに他者の思い出話に繋がるのは確かに不思議ですよね。

山田)不思議だなーって。とても赤裸々な話をしてくれる人もいます。発表すること自体を悩んだり、これって作品なのかなと悩んだりしたこともあって。でも発表してみるとそういうリアクションが返って来た時あーやってよかったのかもと思うことはあります。

安齋)山田さんとお母さんとの対話が、また別の人との対話に繋がってたりしていて。その感覚は面白いなって思いましたね。

小西)この「静かな時間」に限って閉じた場所での発表にしたいなと思っているのか、基本的に自分の作品はあんまり大々的に見せるよりか、こじんまりと閉じたところで点々とやっていきたいとかそういう発表形態の理想みたいなものってありますか?

山田)「静かな時間」は、自分にとってきっかけとか種みたいな感じなので、ここから実になる?その実の部分が、もし今後生ることがあれば、それは大々的にって思うけれど、今はあんまり。そうですね、閉じた感じかもしれないですね。

小西)家族とかの作品は、これからできるかもしれない大きな何かに向けての助走みたいな感じですかね?

山田)大きな何かができるか分からないし、やらないかもしれないけど。でも考え直してみると、今後も閉じてるかもしれないです。
自分がいつも目を向けてる場所って本当に些細な事なんですよね。何かを訴える、変えるとかじゃなくて発見することに近いというか。見てくれた人の中に変化があるかもしれないけど、それがどういう大きなものに繋がるかは自分でもよくわからない。閉じてるのかな?静かな時間などパーソナルな部分を扱った作品は、インターネットに載せるとか、めちゃくちゃ宣伝をするとかはあんまり考えたことないです。

小西)発表することよりも自分が作ることの方が大事なのかなっていう風に感じました。

山田)そうです!ばっちり

小西)写真とテキストのセットという状態で展示したり、本という形態で作品を発表することもありますが、写真を撮ることやテキストを書くときに意識していることはありますか?

山田)構成するときは、どっちかがどっちかの説明にならないように、対等に見えるように構成したい意識はあります。あと、街を撮った作品「猫が走り抜けたように見えたがガードレールに反射したヘッドライトだった 」。あれもテキストと写真どっちもメインになるようにって思っていて、テキストを書くときはいつも写真みたいな文章を書こうって意識して書いています。それは端的に現象だけを書くような感じを意識して、5,7,5,7,7にはなってないけど、どこか短歌っぽい感じ。なんか短歌って写真っぽいなと思う時があるんですけど、目に飛び込んできたことを文章にしてある感じが。

安齋)情景を思い浮かばせるような?

山田)思い浮かぶような、そういう、写真を撮っているように日常を切り取っている感じで、文章は意識して書いてます。

小西)ありがとうございます。では作る段階でそういう風に意識をもって作って、いざ展示ってなったときの構成する順番とか、展示方法を含めた作品の構成はどのように決めていますか?

山田)いつも私は作品を作るときに、最終的な形態が写真集とか冊子を想定して作っていることが多いです。それを1ページ1ページ切り取ってただ並べたような展示だと展示の意味がないなと思うから、「静かな時間」の時は蛇腹状に展示しました。
大名古屋電脳博覧会の時は、古い写真に残っている物質的な痕跡に興味があった時だったので、写真の裏側にメモ書きがあったりだとか、画鋲の穴が写真に開いててちょっと反ってたりするのとか、どっかに飾ってあったんだなーというのが分かるようにガラス張りの額縁に写真を入れて裏側にも回り込めるような展示方法にして、反ってるやつはボックスの中に入れて、見てる人に発見があるような展示にしたいなと思っていました。口で説明したらそれまでなんですけど、見て分かった方がいいかなと思って。古い写真と今撮ってる写真が馴染むように全てを平置きにして展示する感じにしました。

安齋)天板が3つくらいあって、そこに写真が置いてあって、歩きながら鑑賞するみたいな形でしたよね。

山田)そう。壁に貼ってある写真を見るのに違和感があって。自分の想定のベースが本だからいつもそうなっちゃう。けど、今回壁がちょっと広いし大きいから壁を使ったのを考えようかなと思っています。

安齋)今回にも繋がる大名古屋電脳博覧会で展示された作品「うみになる」と、在学時の「静かな時間」の家族を対象にした作品について、当時の卒業制作の作品とまた今の制作で何か変化ってあったりしましたか?例えば、「うみになる」では写真の裏面に書いてある文字とか、そういった写真の物理的なところを扱う部分は、前作とはまた何か少し違う展開を踏もうとしているのかなという風にみえています。

山田)「静かな時間」は、自分もそうだし自分以外の母も大きく巻き込む作品。それよりも自分が主語になりたいというか、自分から見た家族、自分から見た古い写真。それらを見つめる自分が抱く感情にフォーカスして作品にしたかったから、写真で表現しなければならない必然性をより意識したかったです。
「静かな時間」も意識してなくはなかったんですけど、どうしてもストーリの強さを見てくださる方が多いと思う。私は写真だからあんな風に出来たって思うんですけど、そこを伝えるにはどうしたらいいかなーって思いながら作っていて。一枚の写真に写っている物とか、物質的に残っている痕跡から想像することが自分にとって写真の必然性だなって思うから、「うみになる」では一枚の写真からその前と後ろに流れていた時間を想像して、それをセルフィーしたんです。母がこの後こういう動きをしただろうっていうのを撮って、それに古い写真をフォトショップで合成して、残っている写真の前後の時間を無理矢理作ったんです。それを一回紙で出力して、ピンホールカメラでもう一回撮って、砂の額縁でコマ撮りのように展示しました。母が写っているあの写真は私の好きな写真で、背景が山で、場所がどこなのか分からなかったんですけど、同じ日に撮られた別の写真を見てみるとここ海だったんだっていうのが分かって、タイトルはそこから来ています。
私はその場にいたんだけど全く覚えてないから、そこが海であることを忘れてるのに一つの情報がポチョンて入るだけでブワーて景色が広がる感じが、すごく写真ならではって私は思います。一気に情報が入ってきて頭の中の景色がブワって変わる。それをやりたくて「うみになる」の作品は作っています。家族写真の扱い方は、写真の特性に重きを置くようになったから少しずつ変わるようになったのかなって思ってます。

小西)家族写真ということよりか、家族を置いといて写真の扱い方が変わったっていうことですかね?

山田)そうですね

小西)家族であってもなくても自分が主語であることが重要?

山田)そうですね。思えば、他人の家族が写っている、他人の写真でもいいのかもしれないと考えたこともあります。そこも自分の中で実験というか、自分にとってこのお母さんが写ってる写真めちゃくちゃ好きだし、なんかすごい気になってしょうがない。けど他人から見たらどう見えるんだろう、というのも発表する上で面白い部分で、自分の家族である必要はそう思うとやっぱりあるのかもしれないですね。

小西)今後も家族を対象とした写真作品は展開する可能性はありそうですかね

山田)そうですね、作ることはあるかもしれないんですけど発表するかと言われると分からない。でも、いつもカメラを持ってて自分の身の回りのことを撮ってると家族に関する出来事もおのずと撮ることになってきます。ただ、古い写真に感じるこの感情をもうちょっと掘り下げたいなっていう思いもあって、だからいろんな人のいろんな写真も見てみたいなーと思っています。そこで感じる感情って何なんだろうって思いませんか?人のアルバムとか人の古い写真とか見ても謎の、何なんですかね。

小西)思い出を客観的に写した写真ではなく、撮影者の主観から撮られた、人物の写っていない写真でも興味はありますか?

山田)その人の歴史がある写真に興味があります。例えば、例えばって言って統計少ないんですけど、おじいちゃんのアルバム見ても、おばあちゃんのアルバム見ても、自分の見ても、お母さんの見ても、パートナーのおじいちゃんおばあちゃんのを見ても、みんな海の写真があるとか、何で人は家族で海に行って写真を撮るんだろうとか思ったり。人の営み、そういうもの自体に興味があるのかもしれないです。家族の古いアルバムとか見てなんでみんな海行ってるんだろうとか思ったりしてたけど、もしかしたら他の家族、全員海行ってる説とか。そういう営みが見える写真が面白い。興味はあるけれど作品を作るかは分からないです。

小西)今後表現するメディアも写真が主でしょうか?他にやってみたい表現メディアや手法はありますか?

山田)テキストは続けたいです。読み物として完成されたものが一つ作れたらいいなと思います。テキストと写真で。

安齋)フリーペーパーみたいなものやっていましたよね?

山田)やってたけど、今はストップしちゃいました。エッセイが好きで、そういうテンションで書いてました。あれがコツコツ溜まっていって一冊の本になったらいいなと思ったんですけど。

小西)テキストの話で、文章を作品に添えるとか、対等に扱うことって私からしたらすごい勇気があるなと思っていて。ある程度自分の文章に自信がないと、いくら片方が良くても損なわれてしまわないか不安があります。文章を作品として書こうって思うのにあたって「上手いね」って言われた経験があったりするんですか?

安齋)テキストについて、大学の時とかに先生とか、他の誰かに言われたりとかしたことってありますか?

山田)写真を扱って作品を作っている人たちの集まりに参加していた期間があります。通ってる時に作っていた作品がテキストと写真の作品で、その時にアドバイス頂いたり、いいねって言って頂いた経緯はあります。その時に文章を書くのが楽しいなって思いました。

小西)文章については気になっていたので聞けて良かったです。

山田)難しいですよね、文章が抽象的になりすぎる時もあるし...、だから写真みたいな文章を書こうと意識しているのかもしれないです。

安齋)対等になるように。

小西)もともと文章が好きとか短歌が好きとか読む習慣はあったりしたんですか?

山田)エッセイが好きで、エッセイをよく読みます。小説よりエッセイ...人の個人的なことに興味があるのかもしれないです。

安齋)一貫して写真でも文章でも

小西)人の営みですね

山田)そう、そういったことに興味があるのかもしれない。自分が書いている文章が短歌っぽいねって言われてから短歌も読むようになりました。そしたら確かに(短歌が)写真ぽいなと思って。

小西)いろんなことが聞けてよかったです。ありがとうございました。

一同)ありがとうございました。

注1ネガスキャン|ネガフィルムを機械でスキャンし、デジタル画像として読み込むこと