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2023年3月22日 レポート

アーティストインタビュー|杉谷遊人

聞き手|大石茉幸、三浦 琉聖(アートマネジメントアカデミー2022メンバー)
インタビュー方法|zoomにて、オンライン実施

大石)アーティスト活動をされるようになったきっかけや、どうして絵を描こうとしたのかというような、今にいたるまでの流れをお伺いしたいです。最初のきっかけは何でしたか?

杉谷)きっかけというのは特になくて、幼少期の物心ついたころには気づけば絵ばかり描いていました。小学1、2年生くらいの時に父が「そんなに絵が好きなら」ということで『世界美術全集』のような、近代の巨匠、画家や彫刻家などが個別に載っている画集をまとめて買ってくれました。そこでゴッホとかセザンヌを知って、当時憧れていた記憶があります。そこからキャンバスに絵を描くようになって、こんなふうに描きたいと思い、模写なんかもしていました。
小学校高学年になると友達と遊んだり、スポーツをするようになって、他のことへの興味が増していくなかで作ることに対する感覚みたいなものを少し忘れていたようなところがあります。中学も進路について考える時期になって、「仕事」としてこれから先もずっと続けていきたいことがないと気づきました。そんな思いとは全く別に、当時は漫画に熱中していて、しだいに自分も絵を描いて生活していきたいと考えるようになっていました。その後は普通科の高校に進学しましたが、美術部に入ったこともあり、あらためて油絵を描くようになって、美術の大学に進学したいと考えたのが今につながっていると思います。

大石)大学以外に美術を習われたことはなかったんですか?

杉谷)親から聞いて思い出したんですが、3歳のころからものを作る教室などに参加していました。全集を買ってもらったのとほぼ同じ時期に絵画教室に通うようになり、小学2年生ぐらいからキャンバスに絵を描くようになりました。絵画教室は他に移ったりしながらも小学6年生までは続けていました。

大石)小学1年生のころから全集を読むというところにすごくびっくりしました。
その時からセザンヌとかゴッホに興味があったり、惹かれている部分があったんですよね?

杉谷)そうですね。今みたいに言葉にできたわけではないし、はっきり自覚していたわけではないんですけど。そこにあるものが、ただイメージとして画面に描かれているだけではなくて、同時にそれ自体も物体としてあって、描かれた対象の再現以上のものが成立しているというか...キャンバス上に物質である絵の具が「ものとして確かにある」という感覚にすごく惹かれていた気がしていて、子どもながらにそれを真似て画面に絵の具を盛ったり、厚みをつけて描いたりしていました。

大石)大学にはどのような目標があって進学されたのか、ということと、実際にはどんなことを学部の4年間と大学院の2年間で学ばれたのかをお聞きしたいです。

杉谷)高校3年生の初めごろから画塾に通って絵を描き始めましたが、その当時は何か明確にこれを学びたいというような意識があったというよりも、もっと知って考えたい、描きたい、というような気持ちからそれができる環境を求めていたような気がします。

大石)描ける環境のような?

杉谷)制作など同様の問題に取り組んでいる学生や教員がいて、そのために整えられた環境の中でできることが当時は重要だったんだと思います。
学んだことについてですが、具体的な技術もある程度は学べましたし、美術の歴史などについても学びましたが、同時にそれらは自主的に知っていったところが大きかったように思います。それよりは美術に携わる人や、制作をしたりしている人たちと関わりながら、自らの制作を相対化することで把握し、かつ他者の活動に対してもさまざまな視点をもってみていくという意識を養っていた気がしていて、それが特に重要でした。

大石)制作するにあたって、考えることをすごく大事にされているのでしょうか?絵を描く行為だけではなく、考えることをとても重要視しているようにお聞きしていて感じたのですが...

杉谷)当時はそこまで自覚的に捉えられていたわけではなかったのですが、今は制作を続けることが思考を続けることと重なると言えます。自らの身体や行為を介して考えること、実践を通して具体的に思考することが可能であると考えています。

大石)それがアートだったということでしょうか?

杉谷)そうですね、それが制作だったと思っています。

大石)周囲の人だったり、制作できる環境を重要視されていたと思うのですが、人に影響されたことはありましたか?同級生や先生、外部の人も含めていかがでしたか?

杉谷)何かしらの影響は受けていたと思うのですが、特にこの人とかこれというのはあまり思いつかなくて、全体的な関わりの中で自分の視点を形成していったという意識があります。そういった意味では、常に影響は受けていたといえますね。

大石)無意識の中で...

杉谷)学ぶこともあったし、それに対する反省的な視点によって自分の考えを明確にする部分もあっただろうし...両方の側面があったと思います。

大石) 次に作品に関して伺っていきたいです。大学ではどのような制作を行ってきたのでしょうか?当時制作していたものについて教えていただきたいです。

杉谷)学部では今とは違って木枠にキャンバスを張って描くという、いわゆる一般的な絵画の形式で制作していました。その時に問題になっていたのは、「イメージや空間でもある」絵画が、同時に「否定しがたく物体でもある」ということでした。それは絵画を多義的ものとして考えるということですが、その状態が自分の中では引っかかっていて...当時はそれらを同時に組み立てるように絵画を制作していました。
いつも考えが変わるというか、それまで考えていたものをどうしても否定しなければいけないタイミングというのがあって...たとえば展示をしたり制作をしていくなかで、それまでの制作をやめて、なにか他の方法で考えたり描かなければいけないという状態がでてきたりして、シリーズという意識がないながらもそれに近いかたちで作品が展開していたように思います。

大石)派生的に作品が展開していった感じですか?

杉谷)そうですね。いつもやっていることが違う、バラバラだというように言われることもありましたが、今から捉え直してもそうだし、当時からどこか確信としてあったのは、全てが現れとしては違いつつも問題意識としては確かに共有され、つながっているということです。ある意味では同様の問題に取り組んでいるだろうという自覚はありました。

大石)絵画という平面的な形式が幼いころからの制作の入り口ではあったと思うのですが、現在の制作では作品を物理的なものとしてより強く意識されているのでしょうか?

杉谷)その感覚は強くあります。だからこそ絵画はイメージには還元できないようなものだったり、複数の発現を同時に成立させられるのではないかと考えています。当時はそれ以前のところに引っかかっていたといえますが、そのことが確かに今の制作につながっています。

大石)私が杉谷さんの作品を拝見したとき、どのような思考や感情をもってそれがかたちになっているのかが気になりました。杉谷さんの作品を絵としてただ見るだけでは掴めないことが多いように思って、作品を作るうえでどのような過程があったのかすごく気になりました。また、大学在学時に制作されていた平面作品からタブラ(tabula)のような立体作品に移行して、現在の作風に至ったきっかけを教えていただきたいです。

杉谷)以前からどこか絵画を物体、もしくはひとつの事物として考えることからしか制作ができないという感覚がありました。その時には考えていなかったことですが、大学院の中頃に、この問題を突き詰めていくと絵画を絵画としてのみ定位することはできないという前提に突き当たりました。要するに事物として見たときに、絵画が絵画でしかない状態は基本的になく、自明とされた絵画はひとつの制度であって、見る側がそのように見ようとするからこそ成立するものである。だからこそ、絵画はテーブルであるかもしれないし、壁であるかもしれない、常に複数の可能性を同時に内在するものであると考えるようになりました。
ちょうどそのころ、タブローというフランス語で絵画を意味する語、そしてテーブルやタブレットというような語が、タブラ(tabula)というラテン語で「板」を意味するひとつの語から派生、分化したものであるということを知りました。それが先ほど話したようなひとつの事物が複数の発現を内在しているという問題と重なるものであることから、これらふたつを同様の問題として扱えないだろうかと考えました。

大石)タブローに描かれているものにも意味があったりするのですか?

杉谷)これも先ほどの問題につながるのですが、ひとつのものには複数の発現があるということを前提として考えていて、タブローもそうであるし、事物の基本的な性格であるといえます。そのことと関係するものとして影があって、修了制作で作ったものは基本的に影をモチーフとして扱っていました。影について考えると、それは存在がもつ現れのひとつである。あるものが何かしらの方法をもってしか現れないとすると、影という図像も広く存在の問題として扱うことができます。影は常にあるものの不在として現れますが、ここではむしろそのことによって、図像が現実から切り離された単なるイメージではなく、現実の空間と地続きに物理的な厚みと重さをもったものとして扱えるという感覚がありました。実際その図像はイメージである前に、画面に絵の具が飛ばされた時そこにものが置かれていたことで残ったネガティブな場、すなわち影です。もう少し詳しく説明すると、ハサミなどで布を図像のかたちに切り出したものを板の上にのせて、そこに刷毛につけた絵の具を飛ばしていくというような手法で制作していて、布をどけると図像が絵の具の不在によって浮かび上がってきます。絵画の歴史の中で光が捉えられてきたことを思い起こせば、飛ばされた絵の具を光として理解することも可能で...そうであれば、その不在としての図像が現れる。これは文字通り影であるといえます。
また、これはタブラ(tabula)という語を単なるモチーフとして取り上げるのではないということとも関係しますが、次々と更新していくような絵画のあり方にも行き詰まりがあると思っています。なのでそうではないかたち、むしろ歴史を遡ることで捉え直して、別のあり得たであろう方法として絵画を考えられないか、もしくは立ち上げられないかという意識があって、そのこととも影の問題は「戻る」ということにおいて並行します。絵画の起源というものを考えるとそこには影という問題がある。たとえば、戦地に行く男性の影を象ったことから絵画が発生したという逸話があるのですが、イメージや図像についても起源の問題をたよりにして辿って考える必要があるのではないかと考えていました。

大石)なるほど、説明を聞いてすごく腑に落ちました。

杉谷)しかもそこではイメージや表象としての影ではなくて、あくまで現実の物理的な影であることが重要でした。

大石)これまで作品のお話を伺ってきましたが、杉谷さん自身の思考が作品に込められていることをお聞きしていて理解しました。それらとは別に影響を受けた作品や出来事などはありますか?

杉谷)作品に関して言えば、大学に入ってすぐのころに展覧会でピエール・ボナールの絵を見て、その時に作品を通して身体が作り替えられるような感覚、思考を超えて具体的に作用するような感覚をもちました。その後もさまざまな作品で経験はしましたが、それが最初のすごく重要な経験になっていて、このことが制作を信用するひとつの根拠になっています。
他にも、子どものころから長期休みになると母の生まれ故郷である奈良県飛鳥村という田舎の方に帰っていて、その時に走り回って遊びながら感じていたことも制作と無関係ではないだろうと思います。自分が経験したことに関しては記憶が働くこともあって、子どものころに経験したことも具体的に覚えていたりします。なので昔経験したことであっても、今の問題として想起し直せるという感覚があって、どの出来事も等しく今に重なっている部分はあるだろうし、制作は自分の思考と切り離しがたいものでもあるので、そういった問題が常にどこかで関わってくるとは思っています。

三浦)大学院を修了されて、今はどのような環境で制作されてますか?

杉谷)現在は、瀬戸市の共同アトリエで制作しています。アートラボあいちでの個展が、それなりに規模も大きく、作品も必要でしたので早く制作をしたいということもあり、その時にちょうど声をかけていただいたアトリエに入りました。

三浦)大学を離れてから、学生時代の作品の捉え方や考え方が変わったりしましたか?

杉谷)制作に明確な変化があったわけではないですが、学生ではない立場になったことで生活の問題や、制作だけでないこれからのことなど、自分が生きるうえでのことがかなり重要度を増しているな、とも思っています。そういったものが制作を続けるための条件として切り離せなくなってきていると言うこともできると思いますが、自分の制作の問題とそれらの問題を切り離して考えるのではなく、むしろどのように制作の問題に落とし込むかということが試されてきているのではないかと考えています。実存と制作をどのように関係付けて成立させるか。ここに対する意識がかなり強くなったし、賭けなければいけないなという実感があります。それと同時に、これは美術における制作一般につきまとう問題ですが、どのように作品を開いていくか、どのようにアーカイブするかといった、発表や記録など制作をすること以外の問題。それらについてもかなり自覚的にやらなければいけないのではと感じます。

三浦)先程、学部時代の作品はやっていることがよく変わっていた、とおっしゃっていたと思うのですが、僕自身も制作するうえで、自分の軸というのがあまり見つけられないことが今の悩みでもあります。杉谷さんは自分の表現や軸みたいなものをどうやって見つけましたか?

杉谷)僕も学部のころはずっとそれで悩んでいて、どの制作であってもその時は確信をもってしているのに、後から反省的に見るとどれも間違って見えてしまうというような感覚があって。自分の軸というか、そこに常にある問題はなんだろうと考えていました。ただ、反省的に捉え直すなかでこれは間違っていたと思ったとしても、そこに通底しているものもあって、自分の確かな問題意識というものがあったと今は理解しています。僕自身がどうしても切り離せなかった、全てのものに対する認識や思考はあるんじゃないか、と思っているし、そのようなものがあってこそ制作しています。今はいくつか自分の制作を成立させる前提みたいなものを捉えられているかなとも思いますが、これからも変わっていくはずですし、変わっていってもいいと思っています。

三浦)現在の美術に対する見解、今後の美術についての考えをお聞きしたいです。

杉谷)これは今に始まった話ではないですが、美術においても消費の加速によって、個々の思考や取り組みとしての重要性が見えづらい状況にあるように思います。一方、コロナ禍の移動制限によって一部では、中央集権的ではない文化のあり方が意識されたり、それぞれの場で成立している固有の問題を丁寧に見ようとする態度が養われたということもあると思っていて、これはとても重要な変化でした。今後は特にその規模や場所に関わらず、そこで続けられている思考や展開された問題、そして取り組みを丁寧に見ていくことがより大事になってくると考えています。僕としても単一的な枠組みとは一定の距離を保ちつつ、腰を据えて制作を続けていければと思います。