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2023年3月12日 レポート

「これまでとここから、あいちが行う国際芸術祭」三浦琉聖(国際芸術祭「あいち2022」レビュー)

STILL ALIVE 国際芸術祭 あいち2022
会期 2022年7月30日から10月10日
開催場所 愛知芸術文化センター、一宮市、常滑市、有松地区

2019年、大学1年生の時に行われた「あいちトリエンナーレ2019」の騒動は、今でもよく覚えている。当時実家の岐阜から、愛知県立芸術大学までの通学途中に愛知芸術文化センターと名古屋市美術館、円頓寺商店街があり、よく足を運んだ。SNSなどの情報と、リアル会場とのギャップを強く感じたことや、不自由展の抽選に並んだこと。この場所に来ると、3年前を思い出す。奇しくもまた、実家の岐阜から大学までの通学途中に、一宮会場と愛知芸術文化センター、2つの会場があり、今回も何度か足を運んだ。

愛知県で行われる国際芸術祭は、2010年から3年ごとに行われ、今回で5回目となる。この芸術祭の特徴として、毎回異なる芸術監督が選定され、テーマが決定されるという点がある。
2010年の芸術監督は、建畠晢で、テーマは「都市の祝祭」、2013年は五十嵐太郎で、「揺れる 大地―われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」、2016年は港千尋で、「虹の キャラバンサライ:創造する人間の旅」、2019年は津田大介で、「情の時代」、そして今回は、片岡真実で、「STILL ALIVE 今、を生き抜くアートのちから 」。
芸術監督には建築家や、ジャーナリストなどが選ばれており、その監督の専門性にあった芸術祭が行われていたが、前回のあいちトリエンナーレ2019のことがあってか、今回の芸術監督はキュレーターの片岡真実が選ばれた。

私は5回の内、2019年の「情の時代」と、今回の「STILL ALIVE」に行ったのだが、今回の「国際芸術祭あいち」は、前回の芸術祭とは全く違う物になっていた。あいちの芸術祭は、開催されている場所が毎回変わり、その土地にあった作品が選定されたり、新しくその土地で、サイトスペシフィックな作品が作られる。

例えば前回の芸術祭では、豊田や円頓寺商店街が会場だった為、TOYOTA自動車関連の作品や、喜楽亭という場所の為の作品が作られていた。今回の場合は一宮市、有松地区といった、繊維の歴史を持つ街が選定されていて、繊維に関連した作品が多く展示されていたり、常滑焼で有名な常滑会場では、陶芸に関連した作品が出品されていた。このように、毎回展示する場所が異なるため、全く違った芸術祭になるのも、あいちトリエンナーレの大きな特徴だと言える。

あいちトリエンナーレのおおまかな特徴はここまでにして、ここからは今回行った「あいち2022」の内容について記述しようと思う。

まず、芸術監督が仕組んだルートで、1番最初の部屋でみることになる作品は、河原温の《I Am Still Alive》。タイトルが、今回のテーマにも援用されている作品だ。この作品は河原自身が、知人やキュレーターに「I Am Still Alive」と書かれた電報を送ったシリーズ作品であり、コンセプチュアルアートだ。
日本の中では大きな芸術祭の最初の作品に、展示のタイトルにもなっている、コンセプチュアルな作品を持ってくる事は、とても面白く感じた。

少し話が「あいち2022」と逸れるが、先日、森美術館で開催されている「地球がまわる音を聴く: パンデミック以降のウェルビーイング展」(2022年6月29日から11月6日)を見た。「あいち2022」とも会期が重なるこの展覧会は、同じく片岡真実が美術館のキュレーターたちと共同キュレーションした展覧会であり、「あいち 2022」と共通する意識が見られた。
「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降ウェルビーイング」では、最初の作品がオノ・ヨーコの 《グレープフルーツ》の冊子に収録された文字の作品で、河原温の《I Am Still Alive》と同じくコン セプチュアルな作品になっている。
この2つの作品は、『文字』を使用した表現で、鑑賞者に『想像』させる作品になっていて、これらの作品を最初に持ってくることにより、展覧会の内容を、最初の作品を通して、上手く理解することが出来た。

また、ふらっと美術館に足を踏み入れた人などは、最初にこの様なコンセプチュアル・アートがあると驚くかもしれないし、物足りないかもしれないし、帰りたくなるかもしれないが、コンセプチュアル・アートに触れる機会となり、新しい見方を知れる機会が、意図的に作られていると感じた。

最後に、この芸術祭の大きな特徴の1つとして、パフォーマンスアートが行われるという点がある。
今回私は、アピチャッポン•ウィーラセタクンの《太陽との対話》を体験出来た。 アピチャッポンは、映画監督であり、アーティストでもある存在だ。今回は初めてVRを使用した新作を発表した。

『映画』を普段撮っている人間が、VRでどの様に表現するのか想像がつかなかったが、《太陽との対話》は確かに映画であった。この作品は、前半30分で、スクリーンに投影された映画を鑑賞する(スクリーンの周りを自由に行き来する事が可能で、2つの映像が同時に投影されている)。
その後30分は、VRを頭に身につけ、同じくスクリーンの周りを自由に歩くことが出来る。合わせて 2部作、1時間の作品になっている。

前半30分の映画は、一般的な映画館の様な状況で映画を観賞するわけではなく、スクリーンが吊り下げられ、裏表2つの映像が同時に投影されており、1度に2つの映像を観ることは不可能な構成になっている。
アピチャッポンは、「映画を座って、1つのスクリーンを観る」。という映画における当たり前の概念を変化させ、3次元的な物質としてスクリーンを扱い、鑑賞者を自由に移動可能にしている。

30分後、VRを装着すると、360°の仮想空間に映像がいくつも投影され、さっきまで観ていたスクリーンが、まるで仮想と現実の間の様な錯覚に陥った。360°全てが映画(映像)となり、VRを装着することで、自分が本当に映画の中心になり、VR装着前に感じていた、スクリーンの不自由性から解放された。

このような全く新しい体験が、いくつも愛知で体験出来ることは、国際芸術祭の大きな魅力だ。3年前の出来事をふまえ、また3年後、どのような芸術祭になるのか思いを馳せられる芸術祭だった。