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2024年1月10日 レポート
レポート|「著作権」9月3日(日)
実施日|9月3日(日)
テーマ|著作権
ゲスト|作田知樹(行政書士(東京都行政書士会)。Arts and Law ファウンダー・理事)
レクチャー
「著作権」という視点
画像1はレクチャーの最初に紹介されたものです。どんな写真にみえるでしょうか?色あざやかなオブジェの前で人々が思い思いに写真を撮っている様子が写っています。これは「あいちトリエンナーレ2019」にも参加したウーゴ・ロンディーネによる作品《Seven Magic Mountains》(2016年)です。アメリカ・ラスベガス郊外の砂漠に忽然と姿を表すようにして設置されていますが、果たしてこれを作品だと認識している人はどれくらいいるのでしょうか。この写真を「著作権」の視点からみたとき、どんなことに気づくでしょうか。レクチャーがおわったあとに改めて見直してみてください、という「宿題」が出てからレクチャーがスタートしました。
(画像1)
Artと法律
アーティストやキュレーター、文化活動を行う個人や団体等が法的な問題や倫理的問題に直面したときに法律の専門家としてサポートすることを目的に、作田さんは2004年に国内最大規模の芸術・創作活動をサポートする弁護士の非営利団体Arts and Law(AL)(1)をスタートさせました。作り手や伝える人々にとってこうした法的・倫理的な観点は重要なものであるにも関わらず、日本の教育では教わる機会が少ないのが現状です。
アートと法律の関係は切っても切り離せないものです。バンクシーは壁画やセンセーショナルな作品形態で知られていますが、2018年に開かれたオークションに出品された作品が、落札と同時に仕込まれていた機械でシュレッダーにかけられたことでも有名です。シュレッダーは途中で止まったものの、作品の3分の2は裁断された状態になりました。他人の所有物なら、法律的な側面から見ると「器物損壊」にあたりえます。これは、故意に壊したり使えなくしたりすることで、<もの>の価値が下がることを指していますが、バンクシーの場合は裁断されたことで作品の市場価値が倍増したと言われています。また、イギリスで開催されたフォークストーン・トリエンナーレにバンクシーが参加した際にビルに描かれた壁画《Art Buff》(2014年)は、テナントの借主が壁をはがしてギャラリーに送りオークションにかけられました。テナント主は壁画が描かれたビルの所有者ではないため、ビルの所有者が壁画の所有権を主張し、さらにトリエンナーレ主催者は参加作家によるトリエンナーレ出展作だとして、ビルの所有者に所有権譲渡を申し立てました。最終的にイギリスの裁判所が公共物としてフォークストーン市への返還要求を決定しました。また、草間彌生や村上隆の作品だとして、全く作家が関わらない「ニセモノ」の展覧会が中国で開かれていたこともありました(2)。
こうした問題では、アーティストや関係者に対してどのような損害が生じるのかということをみていくことになります。そこで関係してくるのが「芸術法」(3)です。固有の法律を指すのではなく、美術やクリエイティブ産業に関連する取引慣習や法例、法律判断等の法体系を指します。アートが法律と密接に関係しているという事例から、所有権に焦点をあて詳しくみていくことになりました。
(1)Arts and Law(AL)
弁護士・弁理士・会計士などの資格を持った専門家による、芸術文化活動への支援を目的とした非営利の任意団体。専門知識の普及や無料相談の実施などを行い、芸術文化活動に従事するすべての人へ法律面での支援を行っている。 https://www.arts-law.org/
(2)『草間彌生の贋作展に財団が抗議。中国各地で開催か』美術手帖, 2018.10.28 (https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/18731、2023年9月20日閲覧)
(3)詳しくはWikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E8%A1%93%E6%B3%95、2023年9月20日閲覧)参照。執筆は作田さん。
「所有権」とは ーアートの売買・利用の法的側面
「アート(作品)を所有している」という状態になるには「所有権の譲渡(移転)」が行われることが必要です。どのようなときに所有権の移転が起こるのでしょうか。
1.売買
ギャラリーやオークションなどで購入することで所有権が移転します。この場合、代価を払うことによって作品の所有権が移転することになります。代価を払うとは、契約が発生しているということです。「ある条件のもとに、双方合意した取引が行われる」という契約は、書面を交わさなくても口約束の時点でも発生します。つまり、代価が支払われた時点が契約の発生ではなく、その取り決めが双方で合意された時点で発生します。所有権は売買などの法律で定められた条件以外では移転しない、ということもポイントです。それ以外、例えば盗難等では所有権は移転しません。
2.貸与
返還を前提に貸し借りを行うことを指し、所有権は移転しません。美術館で行われる特別展などで、別の美術館からの貸出作品が出展される場合がありますが、ほとんどの場合、賃貸料はわずかです。
3.制作委託(コミッションワーク)
作品を新規で制作することを指します。この場合、作品が制作されたあとの所有権の所在については曖昧なことが多く、契約書でも明記されていない場合があります。前述のバンクシーによる《Art Buff》はトリエンナーレ期間中に制作されたものの、委託されたものではなかったため、トリエンナーレ主催者が所有権を主張できるか、実は曖昧な部分と言えます(バンクシー自身はSNSで「kind of」としてトリエンナーレの一環であったことを示唆していました)。
4.そのほか
複製やインターネット上への画像アップロードについてはどう言えるでしょうか。元の作品の所有権がなくても、複製したのは自分だからその複製物の所有権は自分にあり、自由にしていいという主張ができるでしょうか。答えはNO。所有権に関係なく、制作した本人への許可が必要になります。これには「著作権」が関係しています。
ここで「所有権」と「著作権」を整理しておきましょう。
「所有権」は<もの>に発生し、ものを自由にできる権利を指します。「著作権」は<思想又は感情の創作的表現>に発生し、<人が表現した情報>に発生すると言えます。
著作物とは
ここでcase studyを一つはさみ、「著作物」について考える時間を持ちました。
『友人が撮影した写真をパネルにしたものをプレゼントされた。このパネルについて1〜4をする場合、友人への許可は必要かどうか?』
1.捨てる
2.売る
3.コピーをしてもう1枚つくる
4.展示する
許可が必要なのはどれで、その理由はどう言えるのか、ということをグループに分かれて話し合ってみました。先ほどの「所有権」の観点から考えると、1と2はプレゼントされたことで友人から自分に所有権が移っているため、その所有権を放棄したりさらに移譲することには友人の許可が必要ないことがわかります。4も同様に所有権を有している場合は許可は必要なくなります。
では、3はどうでしょうか?参加者からは「許可を取らなくてもよさそうだけど、何かダメなような気もする」という意見がでました。所有権は自分にあるため、"もの"をどう扱うかは自由にできるはずです。ここでポイントになるのが「売買することを目的としてのコピーかどうか」です。私的な利用であればコピーに許可は必要ありませんが、売買する場合には許可が必要になります。これは「写真に著作権がある」ためです。<もの>自体の所有権は「自分」にありますが、その表現の創作性の主体は「友人」にあると言え、その表現を利用する場合には許可が必要になるということです。
「著作権」は誰かが何かを表現・創作した瞬間に発生し、登録等も一切必要なく、国や地域関係なく保護される対象になります。これは届出等が必要な「商標権」や「特許権」などに比べてもかなり特別で、創造的な活動や表現の自由を世界的に大事にしていることがわかります。創作は高度かどうかは問われず、こどもの絵も「著作物」と認められ「著作権」が発生しますが、著作物でないものもあります。たとえば、ゲームのルールなどのアイディアや、何かの発見、数理や法則などは思想・感情が表出したものではないため著作物とは認められません。個性が表れているもの、独自の表現が認められるもの(=著作物)に対して著作権が発生します。もともと、イギリスにおいて出版や上演などの分野で、執筆者の権利を認めるために著作権が生まれました。<人が表現した情報>に付与される著作権は、情報を共有できるものにしつつ、文化の発展に寄与した人へのリターンを確保するものとして生まれたと言えます。高度な技術や費用、労力等とは関係なく、誰しもが簡単に著作物をつくれるようになっています。
著作物としてどう認めるかは、事例によって異なります。たとえば、「電話ボックスの中で金魚が泳いでいる」というアイディアで生まれた2つの作品では、先に発表した作家が他方の作家を著作権侵害で訴え、高裁の判断で著作権侵害が認められた例があります(4)。地裁では、「電話ボックスの中で金魚が泳いでいる」というのはアイディアにすぎず、それを実現しようとすると自ずと選択肢は限られるため、類似性があって当然とし原告の訴えを退けていました。高裁では、金魚が泳げる状態にするための工夫に創作性を認め、さらに被告側が原告の作品を事前に知っていた可能性を指摘し、逆転で原告の訴えを認めることになりました。
また、丸い頭にタコのような複数のスライダーを持つ、タコ型滑り台についても、第1号を制作した会社が著作権侵害があったとして、他社が製造したタコ型滑り台を訴えたこともあります。この場合では、遊具として実用性があるもので「鑑賞対象ではない」ということから、「著作物」と認められなかったため、訴えは棄却されました(5)。鑑賞されるかどうか、実用性があるかどうか、といったところも著作物かどうかの判断材料になります。
(4)詳しくは、『「アイデア」と「表現」の狭間をたゆたう金魚かな。金魚電話ボックス事件大阪高裁判決の思考を追う』美術手帖、木村剛大, 2021年1月18日(https://bijutsutecho.com/magazine/insight/23433、2023年9月20日閲覧)
(5)詳しくは、『「タコ滑り台」に著作権は認められるのか...「芸術性」巡り3年の法廷闘争』読売新聞オンライン、2022年8月1日(https://www.yomiuri.co.jp/national/20220801-OYT1T50115/3/、2023年9月20日閲覧)
著作物の種類
著作権法第10条には、著作物の種類についての例示が載っています。あくまで例示であり他の表現であっても著作物になり得ます。
1.小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物
2.音楽の著作物
3.舞踊又は無言劇の著作物
4.絵画、版画、彫刻その他の美術の著作物
5.建築の著作物
6.地図又は学術的な性質を有する図面、図表、模型その他の図形の著作物
7.映画の著作物
8.写真の著作物
9.プログラムの著作物
5の「建築の著作物」について補足すると、建築物自体は実用性があるもののため著作物とならない場合が多いですが、その設計図には創作性が多分に認められるため、著作物として扱われます。
美術と著作権、著作権と倫理の問題
「美術と著作権」に関連し、事例として「和田義彦 芸術選奨文科大臣賞取消事件(2006年)」が紹介されました。和田は1940年生まれで、愛知県の旭丘高等学校美術科を卒業後、東京藝術大学洋画科へ進学し、国画会で頭角を表し国内外で活躍した画家です。2006年に芸術選奨文科大臣賞を受賞しますが、同年イタリアの画家アルベルト・スギの作品との類似性を指摘され、大きなスキャンダルとしてワイドショーなどにも取り上げられ、美術と全く縁がない人でも知るところとなりました。両者の作品を比べると酷似している部分が多く、盗作と疑われてもおかしくない状態であったと言えるでしょう。最終的に本人が盗作を認めることはなかったものの、芸術選奨文科大臣賞は授与を取り消され、国画会を退会するなど画家人生において大きな打撃を受けました。ここで特筆すべきなのが、作品制作における著作権侵害についてだけでなく、作家個人やその家族など周囲の人たちへも個人的攻撃が行われたことです。
東京五輪2020のロゴ制作における盗作疑惑問題でも同様なことが起こりました。佐野研二郎によるロゴが正式に公表された後に、ベルギーの劇場やスペインのデザイン事務所からデザインが酷似しており著作権が侵害されているという訴えが起こりました。並べてみると類似性を認めることができますが、これらはタイポグラフィーの一種として、単純なパターンの展開によるものです。電話ボックス事件の際に地裁が判断したのと同じように、単純なパターン変化においては、実現されるものの可能性は制限されるため、著作権法上の創作性があるとは認められない可能性があります。例えばピエト・モンドリアンは直線と長方形のパターンによる作品が有名ですが、実はこれもパターン変化によるものであり、著作物として認められるかどうかは曖昧、どちらかといえば否定されがちなタイプの表現になります。そういった観点から、「著作権侵害をしているかどうか」という点で法廷で争えば、佐野が勝訴する可能性もありました。しかし、SNSによる個人への攻撃、家族や教え子などへの誹謗中傷などが続き、佐野はロゴのデザインから退くことになりました。
さらに、「昆虫交尾図鑑騒動(2013年)」も事例として取り上げられました。当時、現役の美大生だった作者が、授業の課題として昆虫の交尾イラストをまとめた図鑑を制作し、それをみた出版社からの働きかけによって出版されたものでした。しかし、発売されると「類似した写真が他者の運営するWEBサイト上に多数ある」とSNSで炎上してしまいます。昆虫の写真を掲載している某有名サイトに、図鑑に掲載されているイラストと類似したものが複数みつかり、SNSでは両者の画像を並べて掲載するなど過剰ともいえる「検証(=トレース)」がおこなわれました。全く同一の構図が見つからなかったにも関わらず、SNSでは写真家の著作権を侵害しているとして個人攻撃が加熱しました。著作権の観点からみると、昆虫などの「自然物」には創作性が認められず、著作権は発生しないことになります。さらに、写真の表現上の特徴全てをそのまま模写しているわけではない点も著作権の侵害をしていないという見解を後押しします。しかしながら、SNSでの批判を受けて作者が謝罪を行うこととなりました。
これらの例は、実際に著作権を侵害しているかどうかということとは別に、「倫理的な問題」として取り上げられ、非難を受けることがあるということを示唆しています。とくに、「東京五輪2020ロゴ問題」や「昆虫交尾図鑑騒動」では、実際には著作権侵害に当たらないにも関わらず、似たものを作っている、誰かが作ったものを勝手に利用しているというような倫理的観点を著作権侵害と結びつけて、批判が過激化している様子がわかります。
SNSが浸透している現代においては、著作権を守るだけでなく、倫理的な問題としてどこまで影響が広がるかということも見通して作品制作や発表に取り組む必要があるでしょう。
過剰な著作権意識と、留意すべきこと
「著作権侵害」について、過剰に反応している人たちがいることは無視できません。実際には著作権が発生していないものに対して許可を要求したり(テレビ塔などの実用建築物など)、侵害されたとしてSNSで訴えたりする人がいます。「使う側」と「法律」、そして「第三者による騒動の拡大」という3つの要素があることを留意すべきです。「第三者による騒動の拡大」は、昆虫交尾図鑑の騒動でもそうであったように「検証」のかたちをとることが多く、その検証結果を自分達の解釈に都合が良いように利用する側面があります。ちなみに、過剰な告発は侮辱や名誉毀損といった刑事罰のほか、住所や個人情報の暴露はプライバシー侵害などの民事罰となることがあります。
昆虫交尾図鑑では、引用であることを明記しておけば騒動を回避できた可能性があります。「公正な引用」は無許諾で行えますが、それは「表現の自由」(憲法21条)が関係しています。自身の表現を行うために、他者の著作物を利用することは有益であるという考えから、無許諾で可能とされています。しかし、引用して制作されたものがどのような媒体で発表されるかによって、気をつけるべきポイントも変わってきます。とくに、商業複製物やインターネット上での不特定多数に向けた提供がされる場合には、引用ルールを厳密に守ることでリスクを減らすことができます。
また、より安全に引用するためには、すでに公表された著作物であったり、引用の必然性があったり、引用箇所が明確にされていることや、「出所の明示」がされていることなどがあげられます。
法的リスクの判断について
法的なリスクの大きさは、3つの可能性の「かけ算」で考えることができます。
まずは「クレームの可能性」です。自分の表現を外部に発表した際に、どのような批判が予想されるのか。次に「敗訴の可能性」です。提訴された場合、自分が負ける可能性はどのくらいあるのか。最後に「敗訴した時の賠償額」です。SNSを利用した公表では特に注意が必要です。もしそこで著作権侵害が認められた場合、閲覧者が大人数になるため侵害件数が多くなり、必然的に使用料等も高額になる可能性があります。これらの可能性の内ひとつでも0であれば、リスクはなくなり、どれか一つでも可能性が大きければリスクも高くなります。
補足:現代美術における著作権と作者性(オーサーシップ)
1900年代までの美術では、作者や作品の独創性が謳われてきましたが、マルセル・デュシャンが《泉》(1917年)を発表して以降、独創性理論に対する批判が沸き起こります。レディメイドに代表されるように、作家が自らの手でオリジナルを1点制作するのではない作品の制作方法・表現方法が生まれていきます。
コリングウッド(6)は著作権法に対して「個人主義で成り立つが故に、芸術家の思考を貧しくし、芸術家の生計を貧しくしている」(1938年)として、批判しています。18世紀には産業革命からの独創性の欠如を叫ばれていたことに対して、2世紀あまりで独創性を強調しすぎることによって芸術性が乏しくなっているという議論に逆転している点が興味深く映ります。
独創性、オリジナル性、唯一無二性を批判して生まれた作品は多数存在します。デュシャンの《泉》(1917年)や《L.H.O.O.Q》(1919年)は既製品の便器やポストカードなどを利用して制作されました。いくつでも同じものが制作でき、オリジナルを固持する必要もありません(古くなれば新しいものと取り替え可能)。こうした「オリジナリティの喪失」はウォルター・ベンヤミンが『複製技術時代の芸術作品』(1936年)としてまとめたように、複製技術の発達によって一回性(オリジナリティ)を失うことによって、より多様な状況に置かれることで大衆の知覚を引き出すことを可能にしたと言えます。また、資本主義に積極的に乗っかることで、スピーディにイメージを流通させオリジナリティを喪失させるという動向も1980年代以降現れるようになりました。
また著作物と認められないような形態を持つ作品も登場しています。ソル・ルウィットの立方体を解体するパターンによる作品や、リー・ウーファンの自然物を用いたインスタレーション、クリスト&ジャンヌ=クロードによる建築物を布で覆う一連のプロジェクト、ブルース・ナウマンのネオンサインが並べられた作品、ほかにも作家性を排除したミニマルアートの作品など、オリジナル性や作家性を排除した結果、著作物とは言えない可能性がある作品が発表されています。
アンディ・ウォーホルの《キャンベル・スープ》(1962年)のシリーズは、一点性というそれまでのアートの常識を覆した「誰もが手に入れることのできるアート」を生み出しました。もともと、画商が出した「お金か、ほとんど毎日見かけて誰でも知っているキャンベル・スープ缶の絵を描けばいい」というアイディアを50ドルで買い取り、スライド投影機で映し出した画像をなぞって描かれたものです。1枚の値段は100ドルで、手頃な価格設定がされました。
一方で、村上隆は自身の作品と服飾メーカーのキャラクターが酷似しているとして提訴し、和解金をメーカー側が支払うかたちで決着しています。その際、現代アートの世界ではオリジナル性が生命線であるとするコメントを出しています。現代美術が辿ってきたオリジナル性の喪失、一点性の否定とは逆転する考え方であることについて、皆さんはどう考えるでしょうか。
(6)ロビン・ジョージ・コリングウッド。1889年- 1943年、イギリスの哲学者、歴史家。
ディスカッション
・倫理的問題について
「権利に問題がなくても他人が見たら納得できないことは多いのではないか」「倫理観に触れてしまわないかどうか」「権利が侵害されたかの問題について本人ではない他人が介入することは許されないのでは」といった、倫理と法律との関係についての意見が出ました。倫理と法律の違いは、立法しているかどうかはもちろん、人を従わせる強制力を持っているかどうかという点にもあります。倫理とは、人が社会生活を送る中で守るべき規範であり、善悪の判断基準にもなりますが、どのような倫理観が育まれるかは環境や教育によるところも大きいです。マジョリティが良しとする倫理観が、マイノリティを排除し攻撃する場合もあります。その際、マイノリティの人たちを守るのが人権です。そのなかには、表現の自由の保証も入っています。
・所有権について
「契約は口約束でも法律的に認められるのか?」「海外で購入前に飲料を口にすることができるが、なぜ?」といった契約に関する質問があがりました。まず、先のレクチャーでも紹介されたように、日本では書面を交わさない「口約束」の段階でも、契約は成立します。代価を支払うことで契約が成立するのではなく、お互いの合意が得られた時点から契約が発生するというのが法律的な解釈です。代金を支払う前に飲料を口にすることができるのは、代価を支払って入手することが、すでにその場で契約として成立しているからと言えます。自動販売機でも同じことが言えます。書面はなくても、代価を支払うことで出てきた飲料を所有することができる、というのも一種の契約です。ただし、贈与に関しては書面がない場合はあとから撤回することも可能です。
「元の価値が損なわれる行為は、器物損壊行為となるが、バンクシーの例にあるようにかえって価値が上がる場合には損壊行為とならないのか?」「壁画に何かを加える行為は、器物損壊行為なのか?そのために価値があがったとしたらどうなるのか?」といった質問もありました。バンクシーの例では、シュレッダーにかけられたことによって作品の価値が増していることから、「価値を損なっていない」と言え、「所有権は侵害されていない」と判断できるかもしれません。壁画に関しては、6名のアーティストからなるchim↑pomが、2011年東日本大震災により被災した福島第一原子力発電所の事故発生を受けて、渋谷駅にある岡本太郎の壁画《明日の神話》に、福島第一原子力発電所を「付け足し」、警察が動く事態になったことがありました。その時警察が出した法的措置は「軽犯罪法」。勝手に他者の所有する建物に貼り札をする犯罪行為として摘発しましたが、意見書の提出により不起訴となりました。岡本太郎記念館からはアートの文脈で行われた行為として、被害届等は出されませんでした(7)。
(7)『岡本太郎×芸術実行犯の無制限バトル勃発! Chim↑Pom『PAVILION』展』TOKYO Numero、2013年5月2日、https://numero.jp/news-20130426-chimpom-pavilion/、2023年9月20日閲覧
『岡本太郎壁画への落書き、アート集団が公開』アイエムinternet musuem、2011年5月19日、https://www.museum.or.jp/news/830、2023年9月20日閲覧
・著作権について
インターネットやSNS上での表現に関して著作権からはどのような問題が起こりやすいのか、といった点に関心が集まりました。例えば、Youtubeなどの動画投稿サイトでよく見られる「ゲーム実況」や「切り抜き動画」は、著作権に触れている場合が多いですが、看過されています。リチャード・プリンス(8)は他者のSNSアカウントを利用した作品を発表し、多くの批判を浴びていますが、その批判の広がりさえも作品と見なしている側面があります。著作権では、他者の創作物を利用する場合は引用を明確にする必要がありますが、SNSをリアルタイムで引用する場合、引用先を明文化することは難しいのではないか、という意見が出ました。SNSのサービスを提供する際に、利用規約内の著作権の取り扱いについて明記されているかどうかを確認する必要があります。例えば、そのサービスが提供する「場」に自身の創作物(写真や動画等)を投稿した時点で、その著作権がサービスを提供する会社等に帰属する場合もあります。Instagramでは、「利用者のコンテンツについて、その権利が弊社に帰属すると弊社が主張すること」(9)はないとする一方で、「利用者はコンテンツを使用するためのライセンスを弊社に付与」(10)するとしています。つまり、著作権は利用者にあるものの、Instagramで公開されている状態では、他者がその投稿を自由に利用することができるということです(詳細はこちら)。こうした利用規約を確認することで、SNS等を利用した作品制作のリスクを減らすことは可能です。
他にも、他言語に翻訳する場合には、勝手に翻訳を行うことで「翻訳権」を侵害する可能性があるということに気をつけなければなりません(11)。また、タイトルも無許可で変更することはできません。最初の著作者が所有している「著作者人格権」として保護されています。タイトル自体に著作権は発生しませんが、著作者がつけたタイトルを変更することは、この著作者人格権を侵害しているとみなされます。
著作権は基本的には著作者に許可をとることで、さまざまなことがクリアされます。無許可の場合はもちろん権利を侵害することになり、法律的にも倫理的にも問題となってしまいます。複製に関しては「個人や家庭内とそれに準じた人々の楽しみの範囲内」であれば問題ありませんが、それを超えて(例えば営利目的で行う場合など)には注意が必要です。
(8)リチャード・プリンスRichard Prince(1949-)、アプロプリエーション・アートを代表するアーティストの一人。Instagramに投稿された写真を利用した《New Portraits》シリーズは、他人が投稿した画像を利用し、コメント欄に作家がコメントを入れたものをキャンバスに転写したもの。画像を使用された人々による訴訟が相次いだ。
参照web記事:『フェアユースは成立せず──インスタ写真の無断使用をめぐる裁判でリチャード・プリンスの主張を棄却』JAPAN ART news、2023年5月18日、https://artnewsjapan.com/article/1044(2023年9月20日閲覧)、『リチャード・プリンス』美術手帖、https://bijutsutecho.com/artists/1239(2023年9月20日閲覧)
(9)(10)Instagram利用規約から引用(https://www.facebook.com/help/instagram/581066165581870、2023年9月20日閲覧)。
(11)無許可で海外映画のセリフを日本語に翻訳し公開したとして逮捕された例がある。(『翻訳が著作権侵害となってしまうケースとは?』JOHO、2017年11月28日、https://www.joho-translation.com/news/4344/、2023年9月20日閲覧)
・肖像権について
「SNSに映り込んだ群衆には肖像権があるのか?」「大衆を映す場合、許可は必要?」という質問に対しては、プライバシーの侵害をしているかどうか、という視点からみていきました。撮影されている本人にとって、撮影された姿が公開された場合、どの程度社会的なダメージを受けるかということがポイントです。個人が特定されるような場合には、もちろん許可が必要ですが、群衆・大衆のように公共の場をただ通り過ぎているといった場合には許可は必要ありません。ただし、クローズアップする場合には注意が必要です(個人が特定される可能性があるため)。また、その画像や映像が公開される範囲によっても判断は異なり、有名人である場合も異なってきます。
・制作に関して
「偶然にも既存の作品と似てしまった場合はどうすればいいのか」「似ていることと著作権侵害とはどう違うのか」といった疑問についても考えていきました。世界中の至る所で日々著作物が生み出されています。従って、偶然にも似てしまうことは避けられないことです。その場合、「本当に知らなかった」ことを証明する必要があります。そのためには、制作のプロセスを細かく記録しておき、どんなものを参照したのかなどの記録もとっておくことが大事です。引用が明らかな場合には、出典元を明確化しておくことが必要ですが、著作者が亡くなっている場合には遺族等に許可をとったり、不明の場合には「裁定制度」(12)を利用することもできます。
(12)著作者が不明の場合に、文化庁の裁定を受けて、妥当な金額を供託金として設定し、適法に著作物を利用できる制度のこと(文化庁のwebサイト)。
さいごに
終了後も作田さんを囲んで、長い時間、著作権の話で盛り上がりました。「この場合ではどうか」「こういう作品を構想しているが著作権侵害になるのか」といった、さまざまなパターンや具体的な事柄について、法律の面からのアプローチや見解を聞く機会は滅多になく、とても貴重な時間となりました。法律について聞くことができる場所や、学べる機会、議論できる時間などがもっと身近にある必要性と、その面白さが感じられた1日でした。
レポート|松村淳子
参考文献
福井健策『改訂版 著作権とは何か 文化と創造のゆくえ』(集英社新書、2020年)
友利昴『エセ著作権事件簿:著作権ヤクザ・パクられ妄想・著作権厨・トレパク冤罪 (過剰権利主張ケーススタディーズ)』(パブリブ、2022年)
猪谷千香『ギャラリーストーカー』(中央公論社、2023年)
小田部胤久 『芸術の条件ー近代美学の境界』(東京大学出版会、2006年)
椹木野衣『シミュレーショニズム ハウス・ミュージックと盗用芸術』(筑摩書房、1991年)