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2024年10月4日 レポート
レポート|「活動の継続」8月11日(日)
実施日|8月11日(日)
テーマ|活動の継続
ゲスト|杉浦由梨(美術科、漫画家)
レクチャー
「近作の紹介」
杉浦さんが用意した漫画にそって進んでいく、ユニークな方法でレクチャーが行われました。
1ページ目は自己紹介。まずは、近年の作品を紹介してもらいました。
・2014年《◯◯について考えながら》
お風呂の壁などに張り付いた自身の抜け毛をつかって絵を描くシリーズ
・2018年《洗顔ものまね》
自身の顔に泡を盛り、著名人の顔に変身するシリーズ
・2019年《も》
ひらがなの「も」の上で24時間生活する様子を記録した映像作品
・2020年《泡の首像シリーズ》
ギリシャ彫刻を泡で造形するシリーズ
・2024年《Trans Foam》
自身の手や足などに泡を盛り、ウサギやネコ、蛇にイルカ、アイスクリーム、いちごなど、さまざまなものを造形するシリーズ
どの作品も、手元から広がった、生活の延長上にある行為から作品がうまれています。毎日洗う顔や体、その際に用いる泡や、抜けた髪の毛などが作品のメディアになります。高校では美術科に通い、その頃から作品制作を行っていた杉浦さんは、大学では炎天下で干上がった学内の池に自作のカッパのオブジェを置いてみたり、"不思議な生き物"になりきって大学の構内や駅前の路上、展覧会中のギャラリーの外などでパフォーマンスをしたりといった、身体表現を中心とした制作を展開していました。現在、漫画家と美術家という二つの表現活動を並行している杉浦さんですが、どのような歩みを経て、二つの活動を行うようになったのでしょうか。
「年表でたどる」
2ページ、3ページでは、杉浦さんの生活の中心が漫画家としての活動であることが紹介され、杉浦さんの年齢ごとの自画像がついた年表で0歳から現在にかけて、どのような漫画と美術との関わりがあったかを順に追っていくことになりました。
1989年に愛知県半田市で生まれた杉浦さんは5歳から絵画教室に通い、7歳のときには学校の図画工作の時間にちぎり絵でMR.マリックを制作したことも。8歳のころに漫画家になりたいと思うようになり、ノートにオリジナルキャラクター「のんびり」を描き、「育て」始めます。当時流行っていた「たまごっち」に影響されたという「のんびり」は杉浦さんが中学生になるまで育てられ続けました。9歳になると、Gペンを手に入れ漫画を描くようになります。『小学四年生』(小学館)などの雑誌にイラストを投稿したり、原稿用紙に漫画を描いたりしました。
中学生以降の年表は、漫画と美術の2点から杉浦さんとの関わりをみていきました。13歳、中学生になると、『アニメージュ』(徳間書店)を購読するようになり(15歳まで)、アニメのキャラクターなどの絵を描くようになりました。さらに、14歳からは投稿用の漫画を制作するようになり、初めて投稿したのは『スーのたまご』。おなじく投稿用漫画として、自身が実際に感じた思春期特有のコントロールできない負の気持ちを描いた『あのころ』を制作しました。
旭ヶ丘高校の美術科に進学した16歳、表現の幅の広がりを実感するようになります。美術情報誌『美術手帖』(美術出版社)を知ったのもこの頃。路上パフォーマンスに興味を持ったのも高校生で、いくつかの部活と共に演劇部にも所属しました。表現の幅の広がりを感じながら漫画制作も継続し、漫画『気づいたら髪が生えなくなっていた』は演劇部で舞台化もし、『僕はフトンです』は月刊誌アフタヌーン(講談社)で佳作を受賞します。
高校3年生になると彫刻専攻にすすみますが、夏休みの間、東京で経験した2週間の一人暮らしが大きな契機を生みました。東京を歩いていた時、たまたま"四足歩行で歩く男の人"をみかけ、日常の中で"何かが起きている"という現象に興味を持つようになりました。そこから東京藝術大学先端芸術表現科を志すことになります。結果は不合格でしたが、漫画家に絞り、フリーターをしながら漫画家デビューを目指すことになりました。
フリーターをしていたころに、機会を得て、自身の0歳から19歳までの自画像を描き展示することになりました。そうした経験が、表現することへの意欲を高めたことと、またその頃に経験値が少ないことで漫画が思うように描くことができていなかった事もあり、改めて美術大学にいくことを考えます。二浪したのち、2010年に愛知県立芸術大学油画科に入学します。2013年ごろからFacebookを利用するようになり、そこで自身の髪の毛を用いて描いたイラストの画像を投稿すると、それをみた教員から「おもしろいね」と褒められ、これは作品になるのではないか、おもしろいことになるのではないか、と考え、卒業制作として取り組むことになりました。杉浦さんの作品は、しばしば、作品になる前の途中段階を誰かに見せてその反応から作品になっていくことがあります。
一方で、漫画家としての活動も変わらず続いており、2010年『ナスくんと大豆ちゃん』、2012年『CLOSE』を制作しました。2014年に大学を卒業した翌年『僕の変な彼女』が講談社による新人賞「第37回MANGA OPEN」にて編集部賞、東村アキコ賞の二つを受賞します。いよいよこれから、という流れでしたが、漫画を描くことができなくなります。漫画が思うように描けない時期、2007年からはじめた《ひどい似顔絵屋さん》の活動や、グループ展などへの参加、《洗顔ものまね》シリーズなど、美術の活動を展開するようになり、漫画と美術の活動が並行されてきました。
「何かを作り出す自分がいる」
2016年に上京してからは、派遣の事務のアルバイトや漫画家のアシスタントとしての仕事をしながら、漫画制作だけに"自分をしばって"活動を進めていましたが、思うように制作はできなかったと言います。連載になるのは難しく、ペンネーム(三浦よし木)で活動していることで自分自身が何かができているのか、何かを残せているのかわからなくなるといった葛藤も抱えるようになりました。そうした中で、"漫画を描けなかった"結果として生まれたもの、消しカスや使い終わったGペン、丸めたネームなどで絵やオブジェを制作するようになります。"何も生み出せなかった1日"ではなく、"その日、何かを作った自分"になることができる、作り続けている自分をちゃんと見出せるということが、杉浦さんの制作活動を支えていくことになります。
《洗顔ものまね》シリーズは、いつものように洗顔をしていたときにモコモコと泡が盛られた自分の顔がおもしろくなり、その様子を撮影した写真を友人にみせたりSNSにあげたことがきっかけで生まれました。漫画が描けないという片側で、制作することができる自分がいるのと同じように、日々の暮らしの中で無自覚に何かを作り出したり、変化させている自分がいるということへの気づきになりました。
「漫画と美術の組み合わせ」
《洗顔ものまね》をSNSに投稿するようになり、それをみた大学の時の先生からグループ展の誘いを受けて制作したのが《も》(2019年)(注1)です。ちょうどその頃、派遣アルバイトとして携わった事務仕事であまりにも放置されてヒマをもてあまし、マニュアルを何度も読み返していた時に"ひらがなの上で暮らす自分"を妄想していた杉浦さんは、「も」が最も暮らしやすいのではないかと考え、実際に「も」の上で24時間過ごし、その様子を動画にまとめ、作品として展示することにしました。この作品をおもしろがった漫画の担当編集者から漫画にすることをすすめられました。週刊誌モーニング(講談社)で読切として掲載され、そのなかで展覧会の告知もするなど、あまり例をみない漫画と美術の組み合わせになりました。
注1)実際に「も」の上で生活した際の動画はYouTubeにて公開されている。「「も」 文字の上 24時間生活」https://youtu.be/j0YatZbfM3g
《も》は、漫画と美術をこれまで分けて考えていた杉浦さんにとって、その組み合わせ、融合のかたちとして一つの発見をもたらした作品となりましたが、漫画制作はまた行き止まってしまいます。"毎日する洗顔"だから、"毎日何かをつくることができる"と考えた杉浦さんは、過去に友人たちからおもしろいと言われたことに勇気を得て、友人が好きな著名人のモノマネからはじめ、その後も著名人の顔をマネてSNSに投稿していくようになりました。"ちょっと見てみて"といった"ノリ"ででき、SNSならではの気軽さがちょうどよかったと言います。2020年からはYoutubeや、Twitter(現X)でも投稿するようになります。2020年3月1日、広告関係で働いている従兄妹のアドバイスを受けて投稿した画像が、Twitterでバズります(注2)。40万以上のイイネ!がつき、8万以上リポストされました。
その後は、テレビや雑誌でとりあげられたり、企業とのコラボがあったりと、《洗顔ものまね》はいろいろな形で展開していきました。
注2)投稿は次のリンクで確認できる。https://x.com/sugiura16738120/status/1234077916301942787(2024年9月2日閲覧)
バズったことで、多くの人が杉浦さんの存在を知ることになりましたが、一方で困ったこともあったと言います。連絡のやり取りひとつをとっても困ったことが出てきます。杉浦さんはメールでのやりとりを基本にし、SNSでのDM(ダイレクトメッセージ)では仕事のやりとりをしないようにしているそうです。理由は、"軽いノリになりがちだから"。気軽さが良い面であるものの、仕事として向き合うときにはその気軽さがトラブルを招くことにもなります。
テレビに出る際には、出演料の交渉が肝心だと言います。制作側は明確な出演料を明示しないことも多く、こちらから提示しないと無償になってしまうこともあるといいます。"自分しかできないこと"だという自覚をしっかりと持ち、強気な交渉が必要だったと言います。それはつまり、自分がやっていることや自分自身を大事にすることでもあります。
SNSの最も大きなメリットは、先に何度も触れたように、その気軽さであると言えるでしょう。杉浦さんは、作品になる"前"の途中段階をSNSにあげて、周りの反応を知ることで作品につなげていくことが多いですが、それができるのも、SNS特有の気軽さがあるからです。しかし、デメリットもまた、その気軽さにあると言えます。
SNSの大きなデメリットは、軽く扱われやすいことだと杉浦さんは実体験から考えています。著作権に対するリテラシーの低さも顕著です。気軽さが裏目にでて、投稿された画像の取り扱いに対して無頓着なユーザーが多いのも特徴です。無断転載をふせぐために、画像解像度をあえて下げたり、画像に記名をしたり、著作権の所在を明記するなど工夫が必要です。
杉浦さんは"軽くあつかわれてしまう"ということを身をもって実感したことがあります。
マスメディアに出演したことがきっかけで参加した展覧会で、写真資料を提供したところ、きちんとその資料が展示されなかったという経験をされました。展示をみた杉浦さんは、主催者に対して、展示方法の再検討を申し出ましたが大きな変更はされず、自分の作品がとても軽く扱われてしまったと感じたそうです。
このことに杉浦さんはひどく落ち込み、SNSで発表していたことで、作品として扱われない、作品として意識されないことがある、ということに気づきました。日常の延長線上にある作品であることと、制作活動を発表する場としてもSNSが適していると考えていた杉浦さんですが、"軽く扱われてしまう"ことに大きな危機感を感じたといいます。
2020年は漫画を全く描けていなかった杉浦さんですが、落ち着いてきた2021年からはまた漫画を描くようになります。同年開催されたオンライン・アートプロジェクト「AICHI⇆ONLINE」にて、新美南吉の同名短編を漫画化した『花をうめる』を公開します。そのほかにも『セーラー服の記憶』(2021年)、『のりちゃん』(2022年)、『超恋愛体質ひとみちゃん』(2022年)、『身近な音楽』(2023年)など続けて発表しています。
SNSで発表したことから感じるようになった作家としての危機感から、2024年には4年ぶりの新作を発表しました。「SICF25」(注3)に出品した《トランスフォーム》は、写真と動画の作品によって展示されました。どのように展示するのかを考え、それを実現できたことがとても大きかったと言います。また、この展覧会がきっかけになり、美術の仕事が増えてもいるそうです。
SNSを活用して"自分らしく作品をみせること"と、作家としての自分を保ち、"作品を守っていくこと"を両立させることは簡単なことではありませんが、常に意識していくことは必要でしょう。
注3)SICF(スパイラル・インディペンデント・クリエイターズ・フェスティバル)。東京・南青山の複合文化施設「スパイラル」にて2000年より開催されている若手作家を対象としたアートフェスティバル。公募によって集められたクリエイターによる展覧会やプレゼンテーションなどが行われる。「SICF25」は2024年5月2日から7日で開催された。(https://www.sicf.jp/entry/)
2020年から2023年は表現したいことと仕事内容が一致していたと言いますが、最近はまた漫画を描けなくなってきたそうです。生きていくためには働かなければいけませんが、自身の表現以外で描くことは難しいと感じている杉浦さんは、全く関係のない仕事をすることでバランスをとっています。日雇いでキッチンに入ることが多いそうですが、そうした仕事のなかで次の表現活動へのヒントを得たりすることもあります。日常と制作が続いていると感じられるのはこうしたところからも生じるのではないでしょうか。
ディスカッション
レクチャーのあとは、受講者からの質問や感想を付箋に書いてあつめ、杉浦さんがそれらについて回答していくというかたちでディスカッションが行われました。
作品の取り扱われ方、著作権についての質問が目立ちました。杉浦さんも著作権については模索中だと言いながら、自分がいつどんな作品を制作したのか、記録を残すように気をつけているそうです。SNSであれば、投稿した年月日がその証拠になります。また、杉浦さんの作品はその制作過程なども公開されており、メディアもすぐに手に入れることができるものばかりです。誰かに自分の作品を真似されることについて懸念がないのか、という質問に対しては、他の人にもやってもらいたい気持ちもあるとする一方、それでも自分しかできない、自分だからこその表現になっているという自負があると言います。
SNSの気軽さはメリットとデメリットどちらにもなり得ますが、だからこそ、作品として提示する際にはその提示の仕方、展示の仕方、発表の仕方にこだわっていると言えます。SNSで投稿している段階では"遊んでいる状態"に近いと言い、だからこそ継続することができるという面がある一方で、作品として発表する際には、投稿したものをまとめて整理して展示をするようにしているそうです。自分が作家としての自認を持つことの必要性と、自分の作品を守るために考える必要があることがみえてきます。
葛藤を抱えながら、それでも作品(何か)を作り続ける姿勢に共感や感銘を受けた受講生が多かったようですが、なぜ作り続けるのでしょうか。杉浦さんにとっての制作を継続することの意義とはなんなのでしょうか。杉浦さんはそれを、"最強で面白い自分"、"自分にとって最高の自分でい続けるため"だと断言します。
杉浦さんの作品は、すぐに消えて無くなってしまうものが多く、写真や動画として残されていますが、今後、どのように自分の作品を残していきたいか、という質問に"杉浦由梨記念館"をつくりたい、と杉浦さん。年表での紹介の際にも多くの作品写真をみせてくれましたが、これまで自分がつくってきたものはほとんど全て記録を残していると言います。いつか、本当に記念館ができるかもしれません。
さいごに
杉浦さんの制作活動は、漫画を中心にしながらも、その制作における葛藤やジレンマ、苦悩などが引き金になって、美術表現として結実していくようでした。しかし、それは普段の自分から全く離れたことをしたり、そういう存在になったりするのではなく、日常のなかの、暮らしの延長線上でつくったり変化させたりといった営みとしてあらわれています。その時々で自分の状況と向き合い、できること、作ることをやめない、そんな姿勢をみることができました。《も》で漫画と美術の組み合わせを発見した杉浦さんは、しかし、漫画と美術は全く別物と言います。今後、どのような漫画が生まれ、その横でどんな作品をみせてくれるのか、たのしみになったレクチャーでした。
最後の23ページは受講生だけでなく、アートの世界で生きることを考える、あるいは"何かを作っている人"へ向けたエールだと言えます。このページをじっくりと受け取って、心の中に留めておきたいと思いました。
レポート|松村淳子