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2025年1月10日 レポート

レポート|受講生によるふりかえり

8月25日(日)
ふりかえりプレゼンテーション

ふりかえり////
 最終日は、受講生それぞれがレクチャーやディスカッションを通して考えたことなどを発表しあいました。

受講生U

 レクチャーを通して「時代・環境・状況といったもののなかで作り方をみつめる」ということについて考えるポイントが多かったと思う。1回目の杉浦さんは、その時々の自分自身の状況に応じて、その都度できることを考えて作り続けていた。2回目の桒名さんは時代や状況に応じて自分たちの対応を変化させていた。4回目の服部さんは、状況や環境に自身があわせて動くという姿勢をとっていた。それぞれの対応の仕方は異なっていたが、状況に応じて反応するという点は共通しており、自分自身をその時々で見つめ直すことの必要性や、新しいことができるのではないかという考えや、選択肢が増えるのではないかという考えが浮かんだ。
 また、服部さんが示してくれた「公共性」に対する考え方は、作品が時代や環境を反映するものだとすると、逆にまた作品によってそうしたことを伝える手段にもなり、公共のあり方を作品で示すこともできると思い至った。普段、作品を制作している中ではあまり意識してこなかった点だったが、意識してみることで面白い展開が見えてくるかもしれないと感じることができた。

受講生N
 普段は社会学を専攻しており、受講前は視点や視野が大きくなりすぎ、理想論に偏り結果を求めがちだったが、レクチャーや普段作品を制作している受講生たちの話を聞くことで、結論を出すのではなく、自分の考えが変わったりつながるといったプロセス自体の面白さを発見することができた。それは実は普段のコミュニケーションや対話の中でも起こりうることだが、芸術を通した対話でも同じことが起こると実感した。とくに、他の受講生たちの様子から、自由に表現活動をしていることに加え、プロセスを楽しんでいることが伝わってきて、それが作品にも現れていると感じた。結論や正解を求めがちだった自分を顧みつつ、芸術を通した対話を大事にし、自分自身が「いいな」と思うものを見つけていきたいと思っている。

Nから受講生たちへのQuestion「なぜアートをやろうとおもったの?」

  • 小中高と続いてきたコミュニティを変えたいと思った。音楽をずっとやっていたが、厳密に評価されることに違和感を覚え、全く違う評価軸である美術の世界に入った。

  • あえて苦手なことや嫌いなことをやろうと思った。

  • 作品を制作したり発表することは心身ともに大変なことが多いが、あえて自分に負荷をかけようと思った。負荷がかかることがおもしろい。

  • おもしろくてかっこいいから。

  • 絵を描くのが好きで続けていたらいつのまにか。

  • アートの話ができることがおもしろくて。さまざまな解釈があることがおもしろいと感じる。

  • 「つくる側」になってみたいと思ったから。

  • 自分なりに進めることができるものだから。他の人と同じペースであることや、同じことをする必要がないから。

  • 知的好奇心が刺激され、満足させられるから。

  • 最初は流れでなんとなく制作していたが、作品を鑑賞するようになって、意識的になった。

受講生M
 作品を鑑賞する空間で人がどう動くのか、振る舞うのかに興味があった。3回目の森さんのレクチャーでは、批評的な鑑賞や、快楽的な鑑賞の考え方など、わたしたちが「作品をどうみているのか」ということを解釈するための視点を投げかけてくれた。作品をみているのか、展覧会全体なのか、それともキャプションをみているのか、そしてそれらをみたとき、わたしたちはどんな鑑賞体験をしているのか、興味が増した。とくにキャプションをつけるか否か、どのようなキャプションが適切か、ネタバレになるのかどうかといった話に強い興味を持った。最近の美術館ではキャプションをつけない風潮があるように思うが、クレームもあると聞く。キャプションがあること、あるいはないことによってどのように鑑賞体験に影響が出るのかが気になった。また、森さんが紹介してくれたケンダル・ウォルトンに関心があったので、本を読んでみようと思っている。

Mから受講生たちへのQuestion「キャプションは必要だと思う?」

  • 素材や技法、作家の背景、その時の時代の状況などを知りたいと思うので、キャプションは必要。

  • キャプションをあまり意識したことはない。あったらいいなとは思う。

  • 作品をみてから、キャプションをみたいと思う。

  • 欲しい人はみることができるような選択制があってもいいと思う。

  • 作品をみると、案外気になることが多いので、キャプションが作品のすぐ横にあったほうがいいと思う。

  • キャプションが作品の回答となってしまうのは違うと思うが、全くなしにすると考えるとっかかりもなくなってしまうことがあるとも思う。

  • キャプションがないと自分の経験値だけでしか作品と向き合えないので、考える幅を広げるためにあるといいと思う。

  • あると読まないといけないというプレッシャーを感じる。

Mから受講生たちへのQuestion「自分の作品にキャプションはほしい?」

  • 自分の作品にもつけてほしい。

  • どちらでもいい。自分はタイトルをみれば作品がわかるようにつくっているつもり。知りたい人がいたら伝えられるような手段をとっておけばいいと思う。

  • 自分の作品のすぐ横にはなくていいが、リーフレットとして配布できたらいいと思う。作品だけをみてほしいという気持ちがある。

  • 自分の作品を言語化することが難しいので、つくりたくないが、森さんのレクチャーでは「それは逃げ」と言われてドキッとした。

  • 作品の枠を決めたりすることにもなるので、キャプションをつけることはハードルが高く感じる。

  • 懇切丁寧に説明する必要はないと思っている。

受講生D
 昔アーティストの人に「今後作家活動を続けていくなら、自分の立ち位置をつかんでおくといいよ」と言われたことがあった。あまりピンときていなかったが、今回の講座をとおして具体的に考えることができたと思っている。自分がいまどのような状況にあるのか、意識的になることの必要性を実感した。たとえば、1回目の杉浦さんのレクチャーでの自身の作家としての扱われ方の話など、コンセプトを明らかにしておくこと以外にも、作家として気を配らなければいけない部分がたくさんあることに気づいた。また、高校生を対象にドローイングのレクチャーをする機会があるが、杉浦さんの漫画を利用したレクチャーなど、レクチャーをする側の視点からも気づくことがあった。

受講生からのQuestion「ドローイング、エスキース、素描、デッサン、、、何がちがうの?」

実際に展覧会で目にした作品としてのドローイングや、資料としての素描やエスキースの提示のされ方についてや、自分自身がどのように使い分けているのかについて話し合いました。明確な定義は出ませんでしたが、こうした「そもそも」ということを気兼ねなく話すことができる空気感ができていました。

受講生K
 自分の感覚として違和感を大事にしていきたいと考えている。それを自分が感じるだけに留めず、作品として他者と共有する際にどう理解してもらえるのかについて気づくことがあった。1回目の杉浦さんは、いかに楽しくおもしろく生きるかということを貫いていると感じた。そのおもしろさや楽しさを他者とどう共有するのか、というところでSNSや展覧会などの手法を選んでいた。4回目の服部さんは、先入観がある前提で、そこから感じる違和感を大事にし、そこから脱却したり、違和感を解消したりといった態度でいることを示してくれた。
 最近は、制作側だけではなく、展覧会を企画する側になることも増えた。今年の11月にも名古屋市内で展覧会を企画する予定がある。3回目の森さんは、鑑賞者にとっての「達成」とはなにか?ということを投げかけてくれた。自分が企画する展覧会における鑑賞者の達成について考えていくことが大事だと思った。その点を明確にすることで、たとえばキャプションなどでの情報提供の仕方にも影響がでるだろう。
 ほかには、自身が翻訳の仕事をしていることもあって、自分が発する言葉を探る大事さが、杉浦さんや桒名さんが指摘していたように自作を語ることやコンセプトを伝えることにもリンクすると気づいた。

受講者A
 ①制作を続けること、②マネジメント(運営)をすることの2つの視点から学びがあったと思う。②については、博物館実習に行ったこともあって社会教育的な視点とレクチャーの内容をあわせて考えることができた。3回目の森さんは、作者または鑑賞者のどちらを中心に据えるかで鑑賞の捉え方が変わってくるといった見方や、子どもの鑑賞についても考えを示してくれた。2回目の桒名さんのレクチャーでは、「保存」が常に作品と関係していることや、保存の目的意識をどう考えるのかといったことについて、気づくことがあった。
 ①の制作に関しては、現在大学院2年生であり、卒業を控えこれから本格的に考えないといけない時期になっている。1回目の杉浦さんは、自分の状況や環境にあわせて制作を続けていることを話してくれた。それまでは、大学を卒業したら機材などの関係で制作の規模が小さくなってしまうといったネガティヴな感覚を持っていたが、杉浦さんの話を聞いて、今、大学にいるからこそできる制作をやりきることと、卒業後もその時の自分の状況や環境に合わせてできることがある、というポジティヴな感覚に変わった。
 レクチャーでは、とくに4回目の服部さんの話を受けてみんなでディスカッションしたことが印象的だった。それまで自分はコミュニティというものに疑問を感じていた。それは、自分がコミュニティのなかで消費されるようなイメージがあったからだが、服部さんのレクチャーからは、つながることや逆に離れることもコミュニティの営みとして気づくことができ、自分のスタンスを大切にすることや、杉浦さんのように必要なときには対抗するという信念を持つことが必要だと感じた。

受講生U
 レクチャーをとおして、自分の中にあったマイナスなものを考え直すきっかけを得ることができたと思う。1回目の杉浦さんのレクチャーでは、0歳からアートとの関わりも含めて紹介してくれたことで、アーティストとして活動していく前の様子を知ることができたことがとてもよかった。つまり、美術・アートの前にどんなことがあったのかということを知ったことで、自分自身はどうであったかを振り返ることもできた。ずっと継続してきたこともあれば、途絶えてしまったこともあるが、それらがいまカタチとなって自分の作品や活動にあらわれているのではないかと捉えることができ、制作のアプローチに活かしていけそうだと思った。
 4回目の服部さんのレクチャーからは、環境も大事になってくることに気づくことができた。服部さんからは共生について、共に生きることについての話があったが、実感は得られなかった。そのあとの受講生とのディスカッションで気づくこともあったが、実感はまだできていない。レクチャーやディスカッションをとおして、気づいたことや考えたことは多かったが、今度はそれらを実際に自分で体験して実感を積み重ねていきたいと考えている。

受講生Y
 「枠組み」について考えることが多かった。3回目の森さんは、冒頭で「美術以外で美しいと感じるものはなんですか」と質問を投げかけてくれた。盛り付けられたご飯や、自然、スーパーでのカゴ詰め、タイムマネジメントがうまくいった時の自分などが出てきた。自分はこのとき「植物」だと感じていた。植物をテーマにした展覧会は過去にもあり、すでに植物は美術の領域にあるのかもしれず、美術か否かについて考えた時に、自分の美術に対する認識や枠組みの設定が、凝り固まったものだったことに気づいた。これが大きな収穫だった。枠組みというフレームを外すことを考えるとき、必然的に自分の中にあるフレームについて考えることになる。それはすなわち、関係しているものや繋がっているもの、あるいは差異などを考えることになっていると思った。

受講生S
 作家として自分がどう生きていくか、どうしたら継続していくことができるのかを考えるために今回の講座に参加した。1回目の杉浦さんは、作家として軽く見られないことについて紹介してくれたが、作家としての自認の強さを感じ、自分が納得したパフォーマンスができるように自分を保つことを意識させられた。それは、美術という世界の外で自分がどう捉えられるのかに意識を向けることだと思う。
 2回目の桒名さんのレクチャーを受けて、自分で作品を保存することや、自分の作品が「あり続けること」に意識がなかったことに気づいた。自分が制作でよく使用するFRPについては保存に関しての心配があまりなかったことを知ることができた。制作のために素材研究を行うが、それが制作だけでなく保存などにもつながり貢献できることがあるとわかったことも収穫だった。
 3回目の森さんのレクチャーからは、作品の評価軸やどのように鑑賞されるのかといったことをつかむことができた。普段、自分は彫刻作品を制作しているが、彫刻という表現のなかで、自分がどう評価されているのか意識することができ、自作を発表する際にも活かせるような気づきが多かった。
 4回目の服部さんから「美術は時代を映す鏡」と言われたが、1回目の杉浦さんのレクチャーの時にすでに感じていたことだった。美術は生きるためには関係のないものだと言われることもあるが、時代の記憶・記録として作品が存在するという考えもあって良いのではないかと思った。
 レクチャーをとおして、継続するために新しい挑戦が必要なことを実感した。一つの場所で継続していくことを考えていたが、たとえば服部さんのレクチャーなどを受けて、今はどんどんと新しい場所に行って経験を積み、長期的にみたときにそれが自分の生き方や制作に活かされてくると考えることができるようになった。

さいごに
 講座に参加した動機はそれぞれですが、レクチャーだけでなく受講生同士のディスカッションでも大いに刺激を受け、あるいは与え合って、考えが広がったり深まったり、気づくことが多かったことがよくわかりました。とくに、考えたことや気づいたことを今この場限のものにせず、これからの自分の生き方や制作、活動とつなげて捉えている様子がみられ、今回の連続講座で得たものがどのように彼らのこれからに活かされていくのか、とても楽しみになりました。

(レポート|松村淳子)