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2025年7月15日 レポート

アーティストトークの様子(レポート)|てん てん てん Narrative of Silence

実施日時|2024年11月16日(土)15:00〜
登壇者|伊藤純・木谷優太(本展参加アーティスト)
    小笠原則彰(名古屋学芸大学メディア造形学部映像メディア学科教授)
    齋藤正和(名古屋学芸大学メディア造形学部映像メディア学科准教授) 
進 行|伏木啓(本展覧会ディレクター、名古屋学芸大学メディア造形学部映像メディア学科教授)
会場 |アートラボあいち2階
参加人数|31名
内容|展覧会のディレクターでもある伏木先生の進行のもと、参加作家の伊藤純さん、木谷優太さんが作品や制作背景について語った後、ふたりが学部時代に所属していたゼミの小笠原先生(ゼミ生|木谷さん)と齋藤先生(ゼミ生|伊藤さん)を迎え、それぞれ対談形式でトークが展開されました。


冒頭に、伏木先生より展覧会のタイトル「てん てん てん Narrative of Silence」について紹介がありました。伊藤純さん、木谷優太さんの作品が共に、作家自身の体験に基づきながらも、わかりやすい言葉や物語(Narrative)で語ることをしていないことから「Narrative of Silence」。「てん てん てん」は、言葉自体に意味はなく、音の響きや言い淀んだあとの「、、、」を想起してもらえるのではないかと考えられたそうです。


まずは木谷優太さんより、学部3年生の時に実施したゼミ展から今の作品に至るまでを、展示の記録写真などと一緒に紹介してくれました。

木谷さんは、父親の失踪という個人的な体験が基点となり、自らに起きた体験や考え方の変化などを表現するため、さまざまな表現方法を思考しながら制作しています。

父の失踪が創作の原点


《不在》2016年 映像インスタレーション
父親がいなくなった体験を初めて作品に落とし込んだ作品 

ゼミ展の出展作品《不在》は、母親の9着の服と映像によるインスタレーションです。父親の失踪から木谷さんにとってタブーな存在となってしまった父親への気持ちの現れなのか、父親の気配を消すかのようです。この時はまだ何をどう表現したらいいかわからず、もがいている状態をそのまま表現したような作品だったと紹介してくれました。

卒業制作展の《不気味なもの》は、自分の体験とは直接関係のないモチーフを取り上げたものでした。作品は、ライトボックスと30秒間の長時間露光で撮影したモノクロ写真を組み合わせた作品です。撮影された写真は、30秒の露光の間、被写体の人が約10〜15秒静止し、その後好きに動いてもらっているため、像がぼやけています。構造は、ボックス正面にバクライト(ベークライト)紙に印刷された写真が張られ、裏からLEDライトで照らしており、ライトには、数十秒間ランダムに点滅させた後、10秒間消灯するというプログラムが仕込まれています。
この作品について「写真撮影をするのに長時間露光が必要だった。写真黎明期の作品が想起され、力強さを感じるのではないかと思う。タイトル《不気味なもの》はフロイトの論文から取ったもので、この頃は小難しい本ばかり読み、概念的なことばかり考えていた時期です。」と木谷さんは回想しました。
▲参照|https://sotsuten.japandesign.ne.jp/sotsuten-report/nuas-media-2018-12/


大学卒業後は、ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校に5期生として入学します。当時開催されたグループ展では、《妹と娘》という作品を発表しています。
父親の失踪は家族内の役割を変えました。母親が父親に代わり完全に外で仕事をするようになり、木谷さんは悩んだ末に家事労働の担当となります。その選択から《妹と娘》が生まれました。「妹が小学6年生くらいの頃。自分の家事の対象が妹に限定され、妹の面倒をみている=妹が娘にもなる感覚を持った。その二重性を作品にあらわした。」と教えてくれました。
▲参照|https://makakamikakushi.com/


旧作について語る木谷さん

展示作品について
アートラボあいちの展示では、2つの作品を展示しています。《father's》、《エッセンシャルワーカー》それぞれの作品について、詳しく紹介してもらいました。

2020年に写真5枚と音声を使った《father's》を制作します。父親の私物は母親がほとんど断捨離してしまったそうですが、なぜか捨てらていなかったものがあり、そこから選んだものを被写体に撮影した作品です。今回の展示作品は、写真を10枚に増やして再構成しています。被写体となった父親の私物は、既に家にはないそうで、もう撮ることができないという切実さがあります。この作品について、木谷さんは「作品に残したことで全て終わったという感じ。けれど、本当になくなるということはない。父親の痕跡というよりは物を通して形見として残っている。そんなことを考えて制作した。」と話してくれました。


もう一つの作品《エッセンシャルワーカー》は、2021年に写真と映像などで構成された個展「Essential Work」から派生したシリーズで、現在も続いている作品です。
前述のように父親の不在から、変化してしまった家庭内での役割を自らの身体を使って写し撮っています。誰かがいなくなればそれを担っていた人の分だけ役割の負担は増しますが、そこに存在する人が賄うことで生活は回っていきます。木谷さんは、「本来いなくなっては社会的に困るエッセンシャルワーカーだが、本当にいなくなれないものなのか?」と、自分の家族の失踪を容認できるか否かの葛藤から、エッセンシャルワーカー自体の必要性へも関心がおよんでいることを教えててくれました。
▲参照|https://yutakitani.theblog.me/posts/25911243


インスタレーション領域の小笠原先生との対談
木谷さんによる作品の紹介に続き、学部時代の教員だった小笠原先生を交えて、作品や制作についてさらに深掘りしていきました。

小笠原先生からは、「今回の展示作品《father's》は遺品や標本のようにみえる。《エッセンシャルワーカー》は、父の不在から生活のために必然か無意識か、ロールプレイ的に母親役をおこなうが、無表情でロールプレイに徹しているわけでもない。しかし嫌がってもいない。されど"お母さん"ではない。」と、作品に対しての考えを話してくれました。さらに、不要不急の外出自粛が叫ばれたコロナ禍では、生活するために必要な仕事である"エッセンシャルワーク"がクローズアップされたことに触れると、まさにその時期に木谷さんは自身の立場に当てはまる言葉が"エッセンシャルワーク"だと知ることになります。
「ロールプレイする対象、すなわち母親の役割を自分の身体に移し替えているのではないかと思う。写すことで 移し替えている。」と、小笠原先生は写真を写す行為と役割を移す行為に相似性を見出しました。


続いて伊藤純さんによるアーティストトークです。

伊藤さんは、日常の中で得た気づきや発見をもとに、既製品や既成の「イメージ」を「ずらす」ことで、新たな物の見方や体験を提供することをめざしてインスタレーションやアニメーションを制作しています。

イメージの「ずらし」に魅了される


《もくろみ中継》2019年 映像インスタレーション

伊藤さんはコラージュアニメーションに出会ったことをきっかけに、作品制作において「イメージをずらす」ことに興味を持ち、学部4年次に《ラベンダーが香る時》を発表します。 
そこからさらに足したり掛け合わせたりして新しいイメージを作り出す作業に面白さを感じ、卒業制作では《もくろみ中継》という作品を発表します。これは、頭に浮かんだ言葉や状況を既製品と組み合わせて映像化した作品です。この作品について伊藤さんは、「液体の貯蔵や運搬に用いられるドラム缶をカラフルに彩り、作品の一部としました。普段目に留めなかったドラム缶が、色彩や取り上げ方によってイメージが変化し、新たな魅力が生まれたように思う。」と紹介してくれました。
卒業後には就職をしますが、イメージをずらすことによる違和感を活かした表現方法や、鑑賞者に違和感を抱かせる現象への興味から作品制作を続けたいと考え、大学院に進み効果的なずらしについてさらに研究、制作をしていきました。

視覚的な「ずらし」から概念的な「ずらし」へ

次に、大学院で制作された作品を紹介していきます。

《シュガースポット》2022年 映像インスタレーション
河川や海岸の護岸に置かれたテトラポットを場所や色、大きさに変化を与え、本来無機質なものを小さくし色を着けて、普段とは異なるイメージや違和感を提供し鑑賞者を引き込む装置としています。 

《夜のニワトリ》2023年 映像インスタレーション
コラージュアニメーションを使用した映像インスタレーションです。円形のフレームをつけたモニターに、自身の夢や錯覚から浮かんだモチーフを組み合わせ新たなイメージを作り上げ、それらを繋げた映像作品で構成されます。形状の変化を用いたイメージのずらしを試みています。一般的な矩形のイメージの液晶モニターに円形の木枠を被せ外観を変化させることで、視覚体験そのものに違和感を与え、新たな感覚を引き起こすことを目指しました。

ここまで伊藤さんは、「モチーフに対して変化を与える」方法として「ずらし」を行ってきましたが、視覚的な変化を発展させ、より概念的なアプローチや解釈の幅を広げる方向へ試みを進めていきます。
モチーフそのものが維持する環境やその文脈の扱い方、解釈を新たにすること、モノの実用性を無視してオブジェとして見てみるなど、「モチーフから浮かび上がるイメージのずらしを行う」ことで、新鮮かつ独自の違和感を生み出すことができるのではという考察から制作したのが、展覧会の2作品になります。


展示作品とこれから
アートラボあいちの展示では、《Archive》と、《Crisp air》の2作品を展示しています。それぞれの作品について、詳しく紹介してもらいました。

《Archive》は、時間をテーマにしているコラージュアニメーション作品です。ファミレスでパフェを食べた時に、グラスの中にみえるアイスやチョコ、シリアルが重なっている様子に蓄積されていく時間を感じ、「時間を見ている。食べる行為は時間を食べている。」ということに気づき、作品制作へと繋がっていきました。パフェと同様に、さまざまな層を持つモノや風景をモチーフとしたコラージュアニメーションを一緒に並べることで日常にある美しい集積的な時間を感じてもらうことを目指したとのことです。
アニメーションの中では、パフェを食べる手の動きやバウムクーヘンが重なっていく様子など、動きのあるオブジェクトが一定速度で動いています。この速度は、鑑賞者の事物に対する体感時間をずらすことを意識し、日常感じる速度とは異なる速さに設定されています。「全編を通した変則的な連続する動きが、奇妙さや気味の悪さを生み、アニメーションにおける違和感の表現を追求できたと思う。」と伊藤さんは話してくれました。


《Crisp air》は、伊藤さんの経験から、事物に対する印象の変化を扱った作品です。大学院の修了制作をさらに発展させたインスタレーション作品となっています。
展示空間には、夏の市民プールの心象風景が描写されています。手前の展示室には、円形フレームがついたモニターが壁2台と床に飛び石のように3台配置され、続く奥の展示室にも床に同様のモニター2台とプールの監視台が置かれています。円形のフレームの中では、ゆっくりと雲が流れる青空が映し出されています。傍にあるプールの監視台はその形を縁取るように電飾が施され輝いています。


《Crisp air》2024年、映像インスタレーション

この作品は、伊藤さんの思い浮かべるプールのイメージから作品が構成されています。背の高いプールの監視台は、「小さな頃は上から見張られているという意識から緊張感と、アルバイトの概念がなかったので、そこにいる人はとんでもない偉い人が座っている特等席だと思っていた。」そこから成長して改めて監視台をみた時、「自分もあそこに座ることができる。」と気づきます。小さい頃に抱いていた脅威や緊張感、特別感などがスッと消え、自分の中でのプールのイメージが変化した経験を元に制作したと教えてくれました。監視台は透明の塩ビパイプで骨組みを作り、その中に白色のLEDテープライトを通しています。安っぽいイメージがあるLEDライトを使用することで、抱いていた監視台の崇高なイメージが世俗的なものへと変換することができると考え構成したとのことです。


《Crisp air》 2023年 映像インスタレーション、 修士卒業制作展

修了制作では、監視台からの目線に怯んで自由に動けなかった自分を、中に空気が入っていて収縮し生きているようにしたもので表現し、監視台の印象の変化を配置の高低差をつくって表現していました。今回は、抱いていた感覚が払拭された監視台と自分をどちらが上、下ではなく、ふたつのイメージが元の位置に戻ったと考え直し、高低差を排除し全体の印象がフラットになるよう、また心地よい空間にすることをより追求したそうです。

伊藤さんは、「現在は既にあるものに対する気づきを支点に、どのような発想を元にイメージのずらしを行うかという「ずらしの実行に至るまでのアプローチ」を大切にしている。このような制作のきっかけを掴むために、ふだんから見慣れた事象を当たり前とせず、改めて再考してみることで、新しい発見や視点が生まれて鑑賞者に新たなものの見方を提供できると考え制作している。」とこれからの展望も語ってくれました。


インスタレーション領域の齋藤先生との対談
伊藤さんによる作品紹介に続き、学部時代の教員だった齋藤先生を交えて、作品や制作についてさらに深掘りしていきました。

齋藤先生は、伊藤さんの作品について「監視台から見られている、パフェが時間の重なりであるなど、伊藤さん独自のモノに対するイメージの解釈や視点があり、はたから聞くとまさに「、、、(てんてんてん)」となることもあるけれど、伊藤さんの中には明確なロジックがある。しかしそれは他人にはわからない。」「例えば、修了制作展の《Crisp air》では、身動きできない自分や見られ(監視され)て苦しくなるイメージを、ケージ(檻)や、その中にある収縮するレジャーシートという記号で表した。見た人は、記号だけでは物語を簡単に立ち上げられないかもしれないが、彼女の中にはちゃんとその物語がある。」と伊藤さんの作品について話してくれました。
さらに、木谷さんの作品とも親和性がある「不在」というキーワードでも作品をみることができることを指摘してくれました。「今回の展示では、円盤状のプール(空)の数は増えたものの、過去作にあったケージ(檻)やレジャーシートが無くなっており、より人の気配が薄くなり、不在が際立っていることから、モノとの関係性が際立っていた修了展と比べ、すごく静かな時間の流れや止まった時間を感じた。」「ケージやシート、色や要素を無くしたという決定的な理由はあるのか?」という感想と伊藤さんへの問いが投げかけられました。

伊藤さんは、大きな理由として展示場所の空間の違いをあげました。修了展では、愛知県美術館ギャラリーということもあり、天井がとても高い場所での展示でした。そのため天井の高さを生かして配置の高低差や関係性を大事にしました。アートラボあいちは空間の広さや、作品が二つの区切られた展示室に広がり、辿っていくと奥の小さい部屋に監視台があることで、より特別なものに見えてしまう可能性や、さらに監視台より上にモノを配置すると窮屈さが増し、表現したいことと違う方向に監視台が際立ってしまうと思ったことから、今回は横の空間を生かし、心地良さやモチーフの関係性をフラットな状態にすることを意識したそうです。

さらに齋藤先生から作品の変化についての質問が続きます。「今回、広いスペースの中で作品が空間的に広がって、修了展のキッチュさより時間が際立つ作品になっていたと思う。以前はポップさ、ある種のずらしと思われるユーモアが全面に出ていた。大学院時代の《シュガースポット》までは、その傾向がみえるが、《Archive》など修士2年ころから変わった気がする。表現したいものが変わったのか、手法が見つかったなど明確な理由があるのか?」

この問いかけに、伊藤さんは「視覚的な変化を探求し、鑑賞者には視覚的に楽しんでもらおうと思い制作していたが、自分にはテーマがある作品であっても鑑賞者にはそれが伝わらなかった。そんな中、シンプルに何が起こっているかわかる作品が、周りの人にも好評だった。そこで、伝わりやすい作品を制作することを進めていけば、より良いずらしや違和感が提示できるのではと思った。視覚的なものを一旦やめ、コンセプトを詰めて詰めて制作したのが《Archive》になる。日常の当たり前の事象のスピードをずらすという、視覚ではないところに至ったのが分岐点になったと思う。」と答えていました。

「層状のモチーフが選ばれ、動きはゆっくりという共通項の設定により、類似性を感じてずっと見ることができる。見ているものはイメージだけれど、そこに流れる時間を感じる。改めて以前の作品も「時間」で捉え直すことができるのではないかと思った。」と齋藤先生は過去作の新たな側面を提示してくれました。

最後に、「今後どう作品を発展させていく?」という問いには、
伊藤さんは、「《Archive》のようなコラージュ作品をコツコツと、また大きなインスタレーションを自分の力で作っていきたい。」と答えていました。

おふたりのトークを伺い、木谷さんの作品は、時が止まり静かに佇んでクールな手触りがしますが、内包されている葛藤を知ると、途端に写真が微熱を帯び、続いている日常に思いが巡りました。伊藤さんの《Archive》からは、イメージの層以外に、背景に流れていた「カチカチ」音にも時間の層を感じました。また時を同じくして開催されていた豊田市美術館の「しないでおく、こと。」展(注1)のコンセプトがオーバーラップし、「物語ることをしない」態度にはそれぞれ意志があり可能性に満ちているなと思いました。


注1)豊田市美術館で開催された企画展『しないでおく、こと。― 芸術と生のアナキズム』(2024年10月12日〜2025年2月16日)
https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/anarchism_and_art

                                                   (レポート|城所豊美)