アーカイブ
Archives

2026年7月30日 レポート

Share/ Cultivate / Continueー共有すること・耕すこと・続けること −シャルジャ・ビエンナーレ16 キュレータープログラムの報告会−レポート

日時|2025年6月29日(日)14~17時
会場|アートラボあいち2階
ゲスト|池田佳穂(インディペンデント・キュレーター)
聞き手|村上慧、黑田菜月、野田智子、浅野翔、辻琢磨(国際芸術祭「あいち2025」ラーニングチーム)
参加者|37名

インディペンデント・キュレーターとして活動している池田佳穂さんが、唯一の日本人キュレーターとして招聘された「シャルジャ・ビエンナーレ」のキュレータープログラムについて、報告会を開催しました。

はじめに池田さんの自己紹介、次にシャルジャ・ビエンナーレ16の概要や、参加されたキュレータープログラムについての報告、その後、座談会形式で「あいち2025」ラーニングチームとの意見交換、最後に参加者との質疑応答がありました。


池田さんは、広告代理店に勤めたのち、インディペンデント・キュレーターの小澤慶介氏の元や森美術館でアシスタントとして経験を積み、2023年春にキュレーターとして独立しました。森美術館ではChim↑Pom展や六本木クロッシングなどで、展覧会とラーニングプログラムに携わり、独立後は、滋賀県にある共同スタジオ 山中suplexでプログラムディレクター、BUGアートセンター、神戸六甲ミーツ・アート、歌舞伎町で開催された「BENTEN 2024」などでキュレーション活動をされています。

IMG_0962.JPG

自主運営の空間が日常の文化インフラをつくる

2016年から関わっている高円寺での自主運営による活動「素人の乱」*1での実践は、池田さんにとってのターニングポイントになりました。
東京・高円寺を拠点とする「素人の乱」は、リサイクルショップ、バー、アートギャラリー、ラジオプログラムなどの運営を通じて、地域の人びとをも巻き込んだ文化的エコシステムを形成しています。さらにはこうした活動への参加者・賛同者たちが自ら文化的イベントの企画運営をしています。
池田さんは素人の乱の繋がりで、バー(池田BAR)を運営したり、ラジオプログラム、高円寺の再開発反対デモや、東・東南アジア各地のコミュニティの連帯を目的としたフェスティバル「NO LIMIT」 などの活動に携わります。
こうした日常と文化活動が密接につながった地域社会を生み出す実践が、自立性や日常に根ざした文化自生を考えるという池田さんの活動の原点となります。

*1_素人の乱 

展覧会は、共有地となりえる場

池田さんのキュレーションの原点は、2017年から3年間受講したインドネシアでのキュラトリアルプログラムにあります。スラバヤのキュレーターから教わった言葉「Art Exhibition as a Social Playground/社会的な遊び場としての展覧会」は、池田さんのキュレーションに対する考え方の核心を捉えた言葉だと言います。つまり、展覧会は単に作品を見せる場ではなく、人々が集まり、学び、共に実験する環境であり、単なる「場」ではなく、コモン・プレイス(共有地)として捉えるべきだという考え方です。キュラトリアルプログラムでは、展覧会の概念にとどまらず、集まる人々やコミュニティ自体もキュレーションの一部であると学び、社会全体を視野に入れたキュレーションのあり方を体験したそうです。

これらを基軸に、池田さんは、制度や国境の内外を問わず、社会に接続する形でのキュレーションやディレクション、ラーニングプログラムの設計に積極的に取り組んできました。
山中suplexでは、経験やノウハウが交差する場として、国内外のアート団体を招聘した国際シンポジウムや、アーティスト・イン・レジデンスとラーニングを組み合わせたプログラム、公募型のリサーチトリップ(インドネシア、インドなど)を企画しています。森美術館では、Chim↑Pom展において偶発性やハプニングをあらかじめ設計に組み込み、多くの運営上の条件や制約がある美術館内においても、可能な限りイベントを実施しました。 また、BUGアートセンターでは、オルタナティブスクールの企画や、作家や作品の背景を理解した上で作品を購入するワークショップを通じ、学びそのものがキュレーションの実践になりうることを示すとともに、ラーニングとアートマーケットの新しい関係性も探求しています。

シャルジャ・ビエンナーレ16

キュレータープログラムが実施されたシャルジャ・ビエンナーレ16(以降、SB16)は、UAE(アラブ首長国連邦)の首長国のひとつであるシャルジャで開催される、西アジア最大規模の国際芸術祭です。1993年に始まり、2025年で16回目を迎え、国際芸術祭「あいち2025」の芸術監督であるフール・アル・カシミ氏が、2002年よりディレクターの一人を務めています。
特色は、グローバルサウスの現代美術をフューチャーし、社会的・政治的なテーマを扱う作品を中心に、土地の歴史やコミュニティにも注目している点が挙げられます。
2025年のテーマは「to carry(運ぶ)」*2です。「何を運ぶのか」「どのように運ぶのか」という多様な問いを軸に、5名の女性キュレーターがキュレーションを行い、200名以上の作家による650点以上の作品が、17か所の会場で展開されました。展覧会は、従来の形式的な方法にとどまらず、同じ空間に複数のキュレーターの視点による物語が構成される、変化や対話を取り入れた実験的な場として設計されました。

作品の特徴
 ・記憶、先祖、歴史をストーリーテリングする作品
 ・市民の声や抵抗活動の声を掘り起こす作品
 ・先住民やグローバルサウスの視座を用いた作品
 ・環境や自然とテクノロジーが交差する作品

*2_Sharjah Biennial 16: to carry

制度的・官僚的なインフラを、キュレーターがいかに柔らかなインフラへと編み直すことができるのか

池田さんが参加されたキュレータープログラムはSB16のキュレーターであるアリア・スワスティカ(インドネシア)とオン・ジョリーン(マレーシア)のディレクションによるものです。この企画の契機となったのは、本展の制作にあたり、多様な背景や文脈をもつ5名のキュレーターがコレクティブにキュレーションを行うという、ユニークな手法とその過程を、次世代のキュレーターへ継承していくことに意義があると考えたこと、さらに、プログラムの参加者同士の間に生まれるネットワークがSB16のテーマへとつながると考えられたためです。参加者は日本、北アフリカ、西アジア、東南アジアの各国から集まり、参加者の9割5分が女性でした。

プログラムのテーマは「Unpacking Infrastructure: to carry(インフラを解きほぐす:運ぶために)」。SB16のテーマ「to carry(運ぶ)」という視点から、制度的・官僚的なインフラを、キュレーターがいかに柔らかなインフラへと編み直すことができるのかを議論する内容です。プログラムでは、朝8時から夜8時過ぎまでのスケジュールの中、用意された多様な問いに対して対話と議論を重ねることで、「キュレーションの過程とは、"集合的な道さがし(wayfinding)"である」という考えにたどり着くことが目指されていました。さらに、そこで話し合い、共有したことを、それぞれの文脈でどのように継続し、シェアしていけるかについても議論が行われました。

具体的には、従来のインフラとは植民地における暴力の支配でもあるという理解を含め、制度や巨大なシステムといった"硬いインフラ"からの解放と、文化や記憶、言語などを運ぶ役割を担う"柔らかいインフラ(Soft Infrastructure)"の重要性がクローズアップされました。

知識、記憶、関係性、ケア、といった人間的な基盤の再発見についての議論や、キュレーターは単なる展示の企画者ではなく、「文化の運び手」として人々の記憶や物語をつなぐ存在であること、また「学び」そのものをインフラと捉える意義も議論されたそうです。

さらに、シャルジャ美術財団のラーニングチームによる長期的な取り組みも紹介されました。これは、映画鑑賞や、基本的なアートスキルを無償で提供するプログラム、アートブックフェア、誰でも利用できるオープンライブラリーなどを通じて、地域社会と持続的につながる実践です。こうした活動は、物理的なインフラだけではなく、関係性や学びを土台とする新たな文化的インフラのあり方を示しています。

Share, Cultivate, Continue ー共有すること、耕すこと、続けること

この3つの言葉は池田さんがキュレーションにおいて大切にしている要素であり、SB16のキュレータープログラムで池田さんが発表したプレゼンテーションの最後の問いかけにもなっています。

草の根で培った自身の経験を、いかに制度の中へ持ち込み、そこで何ができるのか、さらに制度そのものを再構築できる可能性について、常に考えているそうです。キュレーションとは、作品や何かを見せるだけではなく、何を持続させ、何を可能にしていくのかを、アーティストや来場者とともに考える営みであるといいます。これは、池田さんのキュレーションにおける方法論であり、指針そのものだと語られました。

ーー以下に、池田さんが報告会で紹介された「SB16 キュレータープログラム」の中で運営チームから参加者に提示された問いをご紹介します。ーー


[提示された問いの例(初日)]

What infrastructures have shaped your practice- not only the visible or material ones, but also the invisible ones: kinship, memory, language, care?
あなたの実践を形づくってきたインフラには、どのようなものがありますか?目に見える物質的なものだけでなく、親密な人間関係、記憶、言語、ケアの営みといった目に見えないインフラも含まれているでしょうか?

Can we think of infrastructures as cultural systems - including storytelling, mutual aid, women's knowledge, or Indigenous ways of carrying knowledge?
インフラを、「文化的なシステム」として捉えることはできるでしょうか?物語の語り継ぎ、相互扶助、女性の知恵、先住民族による知恵の継承などもインフラのひとつと考えることができるかもしれません。

What do we inherit, and what do we resist,when we engage with" infrastructure"in our contexts- whether in art,institutions, informal networks, or state-driven development?
私たちは、美術館のような制度、非公式なネットワーク、国家主導の開発といったそれぞれの文脈で「インフラ」と向き合うとき、何を受け継ぎ、何に抗っているのでしょうか?

What would a n unruly or decolonial infrastructure look like? How might we curate toward it?
「管理されていない」あるいは「脱植民地主義的な」インフラとは、どのようなものになるのでしょうか? そして、私たちはそれに向けてどのようにキュレーションすることができるのでしょうか?


[ラーニングに関わる問いの例]
Learning as Infrastructure: Extending the Biennial
学びをインフラとして考える:ビエンナーレを広げる

In what ways can learning and education programmes act as infrastructures in their own right, rather than auxiliary to exhibitions?
エデュケーションやラーニングプログラムは、展覧会の補助的な存在ではなく、それ自体がインフラとしてどのように機能しうるでしょうか?

What forms of knowledge--tacit,informal,intergenerational - can learning programmes foreground that exhibitions might not?
暗黙知や非公式な知識、世代を超えて受け継がれる知恵といった、展覧会では前面に出しにくい知のあり方を、ラーニングのプログラムはどのように焦点を当てることができるでしょうか?

How can curators use learning as a way to shape and carry forward new ways of working?
キュレーターは、ラーニングを通じて新しい取り組み方をつくり、未来へとつなげていくために、どのように実践できるでしょうか?

ーーーーーーーーー
ちなみに今回の報告会の会場は、池田さんの計らいで、SB16でのキュレータープログラムと同じような設えに整えられていました。模造紙が置かれた大きなテーブルがいくつか並べられ、参加者は5〜6名ずつ着席。それぞれが話を聴きながら、用意された付箋にメモを書いて模造紙に貼ったり、お菓子をつまんだりと、リラックスした雰囲気の中で会は進んでいきました。

IMG_1137.JPG


「あいち2025」ラーニングチームとの意見交換

報告会の後、「あいち2025」ラーニングチーム(以下:LT)との意見交換が行われました。そのやり取りを抜粋して紹介します。

IMG_1044.JPG

IMG_1051.JPG

◉キュレータープログラムについて
LT/話し合いの中で難しかったことは何か?
池田/植民地問題など、歴史的に搾取されてきた国や地域から参加している人たちは、そのバックグラウンドを切り離して考えることはできない。搾取した側、された側という立場で話し合いがされた場面では、自分の意見を述べるのが難しかった。逆に"柔らかいインフラ(Soft Infrastructure)"についての議論では皆の視座が合致した。

LT/どんなキュレーターが参加していたのか?他の国の池田さんのような活動歴の人たち?
池田/例えば東南アジアでは、シンガポール、インドネシアなどアートシーンの基盤ができている国もあれば、人が集まることや展示が困難なミャンマー、カンボジアのように知識を共有する場がない国など。このようなある意味インフラが弱い地域では、リーディングセンターを開催する、展示が難しいのならパフォーマティブ(Performative )なものを扱うなどメデイアを工夫するなどの事例を紹介していた。状況に対するカウンター的なキュラトリアルの実践をチューニングしていて、自分の状況と比較すると非常に参考になることばかりだった。

◉インフラとしてのラーニングプログラムをいかに継続していくか
池田/ラーニングプログラムは展覧会の補完的な存在ではなく、それ自体がひとつのインフラとして機能しうるとしたら、芸術祭を拡張、継続させていくのにどのようなかたちが考えられるか?「あいち2025」のラーニングの実践と結びつくものがあればお聞きしたい。

LT/あいちのラーニングプログラムのひとつであるボランティアの活動では、次回までの空白期間に小さいながら複数のアクティブなボランティアたちのネットワークやコミュニティが継続され、次へとつながっている。
LT/モチベーションさえあれば制度関係なく継続できると思う。2019年から続く対話型鑑賞ツアーは、ボランティアの文化として会田大也さん(2019年&2022年ラーニングキュレーター、2025年対話型鑑賞ツアーボランティア監修)にはこれからも関わってもらって継続されていくといいと思う。
池田/柔らかいインフラとして、人が継続していくことで次へのバトンも渡せると思うが、お話を聞いて、あいちはボランティアの小さなコミュニティが生まれ、そこにはプレイヤーもいて、自主的な動きの芽がたくさんありそうな地域だと思う。

LT/シャルジャでは、同じチームが継続してラーニングプログラムをやっているのか?
池田:シャルジャ美術財団(Sharjah Art Foundation)には地域向けのラーニングプログラムを実施している人たちがおり、ワークショップルームのような場で日常的な交流が育まれている。そこで学んだ人が後に同財団に入り、キュレーターとしてプログラムに参加していたことに、人の繋がりや営みの継続を感じた。

LT/ラーニングの実践を通して自身にも学びがある一方で、他者に学びの機会を提供できるのかという逡巡がある。池田さんには葛藤やジレンマはあるか?
池田/エデュケーションとラーニングは違う。ラーニングの考えや設えとして、参加者を含めた水平的な関係のもと、それぞれの背景を尊重し、異なる価値観を見つめ合える場をどう設えるかを意識している。しかし、その実現は条件や状況によって毎回異なり容易ではない。その過程で、私自身も学び続けている。
私の実践からお話しすると、シャルジャのキュレータープログラムで発表した、バグスクールの例がある。BUGアートセンターで開催された展覧会「バグスクール2024: 野性の都市」*3 では会期の32日中31回行ったラーニングプログラムを通して、参加者に作品の購入体験が生まれた。作家を知る機会が生活の糧や作品購入へとつながり、交流の継続が新たな循環を生み出した。この経験から、ラーニングプログラムはひとつのインフラになり得ると考えている。

*3_【鑑賞×体験×購入】のアートプロジェクト「バグスクール」

LT/芸術祭から個人の日常へと続くラーニングのアプローチには、個人の視点や視野に影響を及ぼすような可能性を感じる。ラーニングを身体化させられたらすごいことだと思う。
LT/この視点は、「ラーニング・ラーニング」(「あいち2025」のラーニングプログラム)のコンセプトとしても当初から共有されており、とても共感した。プログラムが単なるレクチャーの場にとどまらず、学ぶ態度を知る場所として機能し、それぞれの日常のなかで身体化された態度と向き合う契機となればよいと思う。

池田さんとラーニングチームとの意見交換では、ラーニングプログラムをどのようにしたら柔らかなインフラへと落とし込めるか、それをいかに継続していくかについて、それぞれの経験や視座、実践の紹介などを交えながら活発な議論が交わされました。


質疑応答の一部を紹介

IMG_1069.JPG

Q/UAE(アラブ首長国連邦)という国で、現代アートはどのように展開できているのか?また、SB16のキュレーターがなぜ女性ばかりなのか知りたい。
池田/アート・ドバイなどにみられるアートマーケットの拡大と世界的存在感が増している。シャルジャは、彼らの失われた歴史や堅守してきたものを語る手段としてアートを選んでいる。今回の女性のみのキュレーターチームは、アートを女性にただ委ねるということではなく、男性中心社会へのカウンターとしての意味もあるかもしれない。

Q/愛知には高円寺のようなところがないのでは?どこでならできるか?
LT/あいトリの会場だった長者町では、アートと地元との繋がりから継続した形が、Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]になった。オルタナティブのスペースでは、岩倉市や瀬戸市での活動がみえる。Barrack(Art Space & Cafe Barrack、美術家の近藤佳那子と古畑大気によるアートユニットおよびスペース。美術と人、まちが繋がる実験の場。国際芸術祭「あいち2025」参加作家)の実践は面白く、人が集まる場所として機能していると思う。
池田:自分たちの知らない街で活動を立ち上げるのも面白いと思う。

Q/池田さんの中ではキュレーターとラーニングは近い存在に思える。ソフトインフラを構成するのに何が必要か? 届ける相手をどれくらいイメージしているか?
池田/大きな組織では役割が分担され、展示をつくるのがキュレーターで展開するのがラーニングというように、協働連携ができれば良いと思う。しかし、インディペンドで取り組む際は区別せず両方をやっている。
ソフトインフラを構成する際は、自由であるための設え、ハプニングや偶発生も取り込むことができるように基盤づくりや人選を含めて、ルール設計はしっかり行うことが必要。
届ける相手のイメージとしては、どうすればその人が社会と接続できるかを目標にやっている。

Q/場所をつくってから何をするのか考えようとしているが、参考になるものはあるか?
池田/国内では例があまりないかもしれない。日本のアートスペースがインドネシアのスタイルを取り入れ、失敗している事例がある。大事なことは、その地域、そこにいる人といかに関わっていくか。山中suplexで行われているシェアミーティングでの実践が参考になると思う。

Q/助成金に頼らない資金の調達はどうしているのか?
池田/高円寺ではクラウドファンディングや関連グッズを売ったり、ユニークなイベントを開催するなどして得た収益を資金にする。地域の店の人たちが関わり、協力してくれるのは大きい。

Q/そのめちゃくちゃ面白いイベントのアイディアは誰が出すのか?
池田/飲みながらアイディアが浮かんだり、(高円寺の)ラジオで募集した葉書からインスピレーションが沸いたりもする。日常的に他者と交流できるインフラをつくることはとても大事だと思う。


おわりに

池田さんのお話は示唆に富み、とても刺激を受けました。私自身の活動(あいちトリエンナーレのラーニングプログラムから生まれた自主活動)に引き寄せ、考えながら拝聴していました。人と人とのコミュニケーションや能動的な行動、そして豊かなアイデアの積み重ねがソフトインフラを形づくるという視点、さらにラーニングの考えや設えとして語られた「水平的な関係性のもとで、それぞれの背景を尊重し異なる価値観を見つめる」という言葉にも深く共感しました。それは、広い視野で鑑みれば、日常生活においても意識していきたい姿勢であると感じられる報告会でした。             

レポート|城所豊美