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2018年7月31日 その他
第3回|「アートで人が育つとは?」
2018年6月16日(土)@千種
第3回|「アートで人が育つとは?」
"大学"から学んだこと
会田)今日、ここに来る前に高校生の大学訪問に立ちあってきました。高校1年生の生徒とその先生合わせて40人くらいが、僕の上司であるメディア論の水越伸(注1)さんを尋ねて来ていて。高校生からの質問がいろいろあったんだけど、高校1年生というのもあって、大学院に入るのは就職にどう有利なのかとか、東大生はどのような能力を持っているのか、という質問が多かったんだけど、僕も水越先生も「大学のブランドは関係ないよね」と回答した。唯一、東大が良いとしたら宇宙工学や人工知能といった、めちゃめちゃお金のかかる研究に対して、国家的予算がつきやすいけれど、それ以外のアドバンテージがあるかというと、実はあんまりない、という話になって。
「教育」と一言でいっても昔は分かりやすかったと思ってたんですよね。いい学校に行けばいい先生がいて、いい研究ができて、いい会社に就職ができて。いまの高校生はキャリアパスについて考える時、東大の先生に聞いても、そんなこと言われるくらいだからすごく迷うんだろうなと。
非常に古い意味での「教育」っていうことでいうと、就職するところまで面倒見るという話だったと思う。そういう意味でいうと、今はそういったブランド力というのは相対的に弱まっている。つまり、社会全般で活躍する人の能力って、就職した後に鍛えていくことの方が重要じゃない?今となっては。
今日の高校の先生とのやりとりとかを聞きながらそんなことを考えていたのだけど。そこらへん、服部くんはどう思う?自分の大学生時代の教育が、今の仕事やキャリアについて、どう影響しているのかを聞いてみたいのだけど。
服部)現代美術を面白いって思えたのって、建築を学んでいたからなんですよね。大学の1年生の都市計画の授業で、今和次郎(注2)っていう学者が「考現学」というのをやっていたのを聞いて。その時は、名前が面白い、とか、今さんという人が「考現学」っていうのをやっているのが面白い、変な人だな、としか思わなかったんですよね。で、ある時、自分は抽象的な設計論よりも、具体的な風景みたいなものの方が好きなんだということを、「路上観察学会」などを知って分かっていくんですよ。しかも「路上観察学会」のメンバーにはアーティストがいて、そのアーティストがとてもユニークな活動を、都市や風景との出会いのなかで展開していた。ここ(美術)ではすごい「価値転倒」が起こっていると驚いた。建築の中ではそういった「価値転倒」が起こらないと当時は思っていたからね。美術っていうのは、すごく大きな「価値転倒」を起こせるもんなんだなって、結構衝撃を受けて。
会田)なるほど。
服部)でもそれは何度もいうけど建築を学んでいたからだと思うんだよね。
会田)一方では建築という揺るぎない学問、体系があって、その中で今和次郎のような価値転倒のシチュエーションをみた時に、すごくオルタナティヴを感じた、ということなのかな。
服部)路上観察学会も実は今和次郎みたいなものを引き継いでいることに気づき、さらにそんなところにアーティストである赤瀬川原平(注3)っていう人が居たというのが面白かった、というのを思ったということかな。
会田)それ以外に「教育」というキーワードで思い浮かべるのは?
服部)僕の大学は私立で人数が多かった。学生が多いから教員が教えるというより、みんな勝手にやってたんだよね。課題も誰かが教えるというよりも、同級生で学び合うという環境があったのが面白かった。あれこれ手取り足取り教えられるのではなくて、とにかく課題が出されて、それが何なのかを一から調べるところから始まって、そのプロセスの中で同級生から影響を受けたというのがある。その後も、仕事を初めてからも同世代の友人から学ぶことが多かったなと思う。大学はそういう環境を提供してくれたって感じかな。
会田)それは"学び方を学んだ"ということかもしれないね。絶対的な存在として先生が居なかったとしても、個体差はあれど同じような能力を持った同じ立場の人たちに自分の考えをぶつけてみて、その反応からもう一度リフレクションしたりとか刺激をし合って高めていく。
服部)まぁ、そうなると何学科でも良かったのかもしれないね(笑)。
会田)僕が通っていたIAMAS(注4)という学校は、24時間学校が開いていて、昼間は授業をしてるけど、夜は課題をやったりだべっていたりして、ときどき現実逃避として課題と関係ない話をしているんだけど、そういった時間の中で、同じ課題でも友達からは違う回答が出てきたりして、その辺の刺激が大きく影響していると思う。深夜1時とか3時とかに話していることが血や肉になったりしている。一つの回答へと収斂していく学びではなく、適切な落とし所をあらゆる方向から探るような学び。そういう時間や場所のことを現代的にいえば「ワークショップ=工房」というのかもしれないね。その場にいる人たちで刺激しあったり磨き合ったりする、そういう意味での「工房制度」。これは、「徒弟制度」とはちょっと違うよね。「徒弟」だと師匠と弟子の関係が必要で、ある程度の正しい答えは師匠の中にあるから。
服部)要は自分で考えること学んだということも言えるね。自分で考えて自分で動かなきゃいけないんだなって。当たり前なんだけどね。
会田)でも、水越先生が高校生に何度も言ってたのは「高校と大学の勉強は全然違うから、大学に入った時その衝撃は絶対に受ける。その前提で、今は大学に入るための勉強をやってていいんじゃないか。」って話をしていた。高校までは先生が答えを持っていて、コピーアンドペーストで勉強していくので、その辺はやっぱり大学となるとちょっと違うよね。
服部)今思うと建築の設計があまり得意でなくて、周りの人を賢いなとか面白いこと考えるな、と思ってみていた。でも、その「できなかった事」に気付けたことが良かったと思っていて。
会田)その気持ちがあったから、建築設計ではない道を探れたってことか。めちゃくちゃできてたら、今ごろ建築設計の道でやってるもんね(笑)。
服部)めちゃくちゃできなかったんだよね。できなかったことを気づけたことが良かった(笑)
会田)じゃあそれまでは自分はできるヤツって思ってたってこと?
服部)まだもうちょっと何とかなるかなと思ってた(笑)。自分で選び取った学問ってなかなか否定できないから、できないことを認めるのは結構ハードル高いよね。
会田)確かにそうだね。
服部)でもそれを認めたら楽になった。
会田)ある種の挫折も学習のプロセスだもんね。それはそうかもしれないね。僕は「飽きずにできることが才能だ」といつも思ってるんだけど、有名な人でも途中で「やーめた」って言って違う道に転向してる人って少なくはないですよね。
服部)そうだね。
会田)安藤忠雄(注5)はボクサーだったけど建築に転身したし、教育の話になるとパウロ・フレイレ(注6)は弁護士になって、法律事務所に所属して最初の一案件目が終わったらすぐに教育の道に切り替えた。いろんな人が、ある意味「業界」という中でトップを目指すのではなく、別の道を伐り開いたっていうことがある。そこらへんの話をすることって、実は高校のキャリアパス教育では不可能なんじゃないかと思ったりする。つまり、高校のキャリアパス教育で話されることっていうのは、大学の進路までしか責任持てないし、大学のキャリアカウンセリング室では一個目の就職の話までしかいかないし。人生の紆余曲折を含めてキャリアパスなんだけど、そのリアリティって高校生に伝えるのはどうしたら良いんだろうね。とりあえずいま現在の目標に向かって努力することは、「努力の方法を覚える」という意味では有益なんだけどね。
価値転倒が起きるアートの現場で作用する"何とかする力"
会田)その意味では今回、この展覧会に関わってくれる人を集めたいと思ったりするわけですが、ここで何か展覧会づくりを学んだからって、すぐにキュレーターになれるっていうわけではないかもしれないですよね。でも、このプロセスを経験したことで身に付いた「能力」みたいなものが、違う業界で存分に発揮されることがあると思っていて。多分その能力って「現場力」、「なんとかすること」だと思うのだけれども。僕はこの「なんとかすること」って、とても重要だと思っていて、「責任」と同じ言葉だと思っている。「なんとかすること」ってどこの業界に行ってもきっと必要なことだったりする。なんとかする力が高い、優れたアーティストって多いじゃないですか、最後になんとかクオリティを担保するみたいな。逆にそれがあるからこそやっていけるっていうか。
服部)そうだね。
会田)どんなに逆境で、シチュエーションが悪かったとしても、展覧会の会場さえ用意してくれればなんとかするっていう人の力ってあるな、と。この人きっと違う業界にいってもなんとかしていくんだろうな、っていうことがみえる。
自分が大学生の時って、世の中にこんなに色んな仕事があることも知らなかったし、マイナビやリクナビの中から選択することが仕事の選択だって思ってきたのだけど、この仕事に就くためにこの資格を取得してっていう、ロジカルに設計されていないことだって世間には沢山ある。つまり社会はもっと混沌としている。だからまずは実務的なところでなんとかする能力を身につける意味で、アートの現場みたいな世界に飛び込んでみるっていうのはおすすめ。
ここからが本質で、それは多分、アートという評価が不定形な世界の中で、良いものと悪いものの差が分かってきたりとか、圧倒的な違いがでてくるような状況があって、評価が定まってない中において、何が良いのかを考えながら結果を出していくっていうことは、すごく難しい話だと思うんですよ。サイエンスという立場とは全く逆だから。サイエンスは、まずはじめに絶対的な評価を決めて、その評価の中でどう勝負するかっていうことが次のステップなわけですよね。例えばビジネスでも、売上とか利益とか絶対的な評価軸があって、その評価軸を最大化いていくために手段を選ばないで邁進していくことが正しい態度ではある。けれど、20年ほど前から企業の社会的責任(CSR)といわれるようになり、儲けたいという理由で利益をあげるのではなく、企業が社会的な責任を果たす意味での「良い行い」を継続させていくことで社会に貢献し、企業の信頼を得ていくっていう世の中になってきているんですよね。
一方で、会社の利益を最大化するために、力の強い株主に配当を配っていくのを良しとするルールの中、自己利益しか考えないような株主に支配された企業というのは、リーマンショック後に次々と倒産していく。
分かりやすい指標に標準を定めて頑張っていくことは一見悪いことではなさそうにみえるけれど、トータルでみた時にどっちの方がサスティナブルかというと、やっぱり良い行いをしようとか、責任を持った行動をしましょうという理念を謳っている方が、実は息が長いことができるかもしれないなぁと思っていて。そういう企業ばっかりだといいなーと思いつつ、実際はそうでもないなと思ったり。ここら辺は難しいところですが。
いい指標って考えていくのって難しいし、いい指標って実は見つからなかったりするので、指標や答えの無い疑問の中で、何が「良い振る舞いか」っていうのを選択していく能力、それがきっとアートの現場で求められるわけですよ。
服部)今話を聞いていて思い出したのだけど、アートっていいなって思ったのって、その自由さというか、その余白が広いことで。建築のような応用芸術はクライアントが居てできるものだし、色々な条件をクリアしないといけない。
会田)そもそも建築って言うのは、倒れちゃいけないし、床が抜けてはいけない。
服部)それに対して、場合によっては床が抜けてもいいかもしれないという許容がアートにはあるっていう。通常正義とされているものが、転倒してもいい可能性があるっていうのが、アートのいいところだなと。自分の倫理観や価値観がグラッっとなる経験、揺るがされる経験ってそんなに無いものだから。。
職能って、自分で築いていかなければならないもので、確固たる方法論とかスコアを何点かとったらとか、そういうものでもない。本来言語もそうなんだけど、なぜかスコア化されている。資格とか点数で測れないところの指標を、自分で判断しなければならないのが面白いところだと思うんだよね。一番難しいところでもあるけど。
会田)教えてもらってわかることと、自分で気付いた!って思う瞬間の差って、世の中的には見過ごされてしまっているのかもしれないね。自分だけの大発見って、だいたい他人からするともう発見してるよって一笑に付されるんだけど、でも自分による気付きってのは、他人が気付いていようがいまいが大事さは変わらない気がしていて。自分なりの論理が組み立てられた上で発見だ!となったなら、それはもう自分のものになったわけだよね。
価値軸を自分で生み出す/繋がらない点と点をつなげる
会田)発信者のメッセージを正しく受け取ることが、スムーズなコミュニケーションと言われているけど、アートにおいては誤解したり誤読したりすることが創造性とされている。誤解することで面白いことが起こるという意味なんだけど、特に海外で仕事するとそういうことが起きやすくて。先日英語圏の人と話していて、「artificial=人工的な」という単語の冒頭に「art」って入っていることについて、「art」が入ることで「art=芸術=人間由来の行為」ということだねって話をしたら、英語圏の人が「ああ!そういうことか!」となった。つまり、彼の中では「art」と「artificial」が全く繋がっていなかったんだよね。それは誤読とは違うけれど、英語が母語でない人だからこそ、それを指摘できることがあるなと。
人から習うのではなくて、自分で気づくとか、自分独自で理解していくってこと。世の中にはたくさんの情報があるし、忙しなく生活が過ぎていくから、人に手っ取り早く聞きたいっていうことがあるんだけど、自分なりの解釈でつくりあげていく楽しさがアートと教育の間にはあるなって思う。めちゃくちゃ時間効率が悪いってことでもありますけどね。
服部)そうだね。
会田)従来型の教育は、先生が価値軸の設定をして、その価値軸の中でどう高得点を狙うかと思いがちだった。でも、実際アートの場合は、その価値軸自体を自分で生み出しなさい、という課題を与えられているようなもの。自分で生み出した価値軸の中でさらにそれを評価していくし、評価がそぐわないなと思ったら新しい価値軸をもう一回考え直さないといけない。で、価値軸をそうやって新規につくっていくうちに従来あった価値軸が小さくなって背景に消えていくというか。あれって大したことなかったんだな、と思ったりする。仕事としてアートと関わることについて、思うことってあるかな。
服部)僕は気付いたらその仕事が残っていたという感じ。自分の嫌なことをやらないようにしていくと、できることが残っていたというところで(笑)。やり続けているってことは嫌じゃなかったという。なので、すごく受け身なのかもしれない。キュレーターをやりたかったというよりも、くる球を打ち返し続けていたら、渡される仕事が「キュレーター」と説明がつくことが多かった。
このやり方はすごく建築的で同時に当たり前の方法だと思っているんだけど、やって来る依頼をまず咀嚼して、それがどのような状況で、どのような文脈で、どのような人から投げられたのかを考える。与条件がどんなものかということを整理して、それを手がかりにかたち(構造)をつくりあげていく。そんな流れでプロジェクトを起こしているわけだけど、フレームのつくり方として建築の設計の感覚に近いのかなと思っています。もちろんこれは内容の話ではなくて、構造のつくり方の話だけど。
会田)依頼があって回答するのに、一番に「合理的」というのがあるとするよね。例えばゼネコン系の人たちは、思想とか面白いとかを理由に設計するのではなくて、合理的であることを理由に設計していくので、似たようなものになりやすいともいえると思うんだけど。服部くんの場合はいい球を打ち返すのに、消去法的に選択していくというよりは、ポジティヴにこうしたらもっと面白くなるみたいな攻め気な気持ちはあるの?
服部)攻め気な気持ち、、、。結構僕は直感を大事にしているのかもね。ロジックだけでは組み立てていなくて、こうなったら面白そうだなっていうその直感を信じている。これとこれが重なることで起こる化学反応を見てみたいなとか、そういう未知の状況に対する純粋な欲求は結構強いかもしれない。合理的な最短経路をつくるというより、むしろ無駄を打ってみるというか。。
会田)それはある種、論理のジャンプをしてるってことだよね。理屈では説明できない、ワープの出入り口の結び付け方をしてるところがある。
服部)そうかな。僕はアーティスト・イン・レジデンス(注7)に関わったのが大きかったと思っていて。アーティストが作品をつくっているのをみていると、多くの作家がその人なりの論理に則って制作しているわけだけど、実はそのロジックは他者からみると矛盾とか破綻も抱え込んでいて、でもそういう説明を超えた複雑さを内包し、なんとか折り合いをつけつつ、生み出されるものには不思議な魅力があるんだよね。
会田)こことここ繋がるんだっていうリープ(跳躍)する瞬間があるんですよね。
服部)その飛躍の瞬間をレジデンスに関わることで度々目の当たりにしていて、そういう状況をもう少し多くの人に共有できたらいいなと思ったりして。本当は繋がっていないかもしれないのに、さも繋がっているように信じられる力。それがアートに関わる人たちの面白いところなんじゃないかな。
会田)それをちょっと取り込んでみようと?
服部)そうは思ってないかな。そのアーティストたちの思考の仕方をとても「自由だな」と感じた。絶対的に安全な土台をぎっちり組み立てていかなくても実は建物は建っちゃうんだっていうのを見せられたというのは結構面白かった。
会田)じゃぁそのアーティスト・イン・レジデンスで働いていた頃は、まだキュレーターというよりも、レジデンスの職員という感じで作家のサポートをするというイメージだったんですかね?
服部)最初はそうだったし、今もその感覚は残っていると思う。作品をつくる人がいて、その人がしたいことを一緒に実現するというぐらいだったんだと思う。そもそも、僕のもともとのモチベーションはアートに関わりたいというよりも、東京じゃない都市に住んでみたかったというのが大きくて、日本中どこにでもある文化施設で働けば、異なった土地の暮らしが体験できるかなくらいに思って、たまたま秋吉台国際芸術村(注8)で働くことになった。
会田)じゃあそこから、レジデンスにくる作家の新作を一緒につくるというのではなくて、実際に展覧会をつくっていく、いわゆる「キュレーション」に仕事が移っていったのには大きな理由があったのかな?与えられる仕事のフレームの中でやっていた感じ?その中に特別な意思のようなものがあった?
服部)展覧会をつくりたいということよりも、見たことないものが見たい、経験したい、というのが大きかった。自分ひとりで何かをゼロからつくり出す能力というのはないなと感じていた時に、身近にものをつくっている人たちがいて、それがとても魅力的で、その人たちがやっていることの面白さをどうやったら他者と共有できるのか、というのを考えていったら、結果的に展覧会やプロジェクトをつくる側になっていった。
会田)なるほど。他者に伝えるという意味で言うと、MAC(注9)をやっていた当時、やっちゃったことを既成事実化していくことが面白いと言っていたよね。
服部)ああ、言ってたね。
会田)実際に起きていたことは大したことなくて、すごくしょぼいことなんだけど、編集してウェブサイトに載せて、連続して既成事実化させていくことでそれが紡がれていく。そうすると一つの道筋にみえていく。ある種のコンテクスト化というか。当時MACのブログ記事はお互いにテキストを書いてもすぐにアップしないで、かならず校正をし合ってからアップする、というルールでかなり本気で楽しんでやってたもんね(笑)。
服部)本気で楽しむっていうのも重要だね。楽しいってとても豊かなことだし、あれって遊びだよね。遊びが原点にある。
会田)与えられた価値軸も、なにも分からないのにやれているっていうのは、それが楽しい遊びだからでしょ。それはすごいことだよね。そう考えてみると今やっている仕事も遊びの延長のようで。楽しいからやれるということがようやくお金になり始めているということかもしれないですね。
けど、一時期、「こんなに仕事してるのになんでこんなにお金がないんだ!」って服部くん言ってたもんね。
服部). . . .今でもそう思うけどね(笑)
誰もが持っているクリエイティヴィティ=状況に対する応答の仕方==創造性
会田)僕がアートに関わり始めたのは、IAMAS在学中に運良くアーティストとしてデビューすることができて、卒業の時にアーティストとしてやっていく方向もあったんだけど、これで食べていくのって無理なんじゃないかって、当時感じていて。つまり、自分の内発的な思いに対して作品をつくっていくのは楽しいけど、いろんな条件とかテーマを与えられてつくることは僕にはできないと。しかも連続で来る依頼に対して、自分の中で「言いたいこと」というのはそんなに量産出来ないと感じていたんだよね。もし、できたとしても人を凌駕するものはつくれないなと思って。逆にその時に考えたのは、できない時に断れる必要がある、できない時にできないと言えなきゃまずいな、と。できない時にでもできます、と言ってつくり続けられる力がある種のプロフェッショナリズムなんだけど、作品制作については自分はそれは無理だと思ったんだよ。
プロの職業としてアーティストになるのは自分では難しいと思った時に、じゃぁ次に何をしたいか考えた結果、僕はアートが好きというよりも、仕事としては面白い人がいる業界にいきたかったのでゲーム業界にいけたらなと考えてた。その理由は、当時のゲーム業界には面白い人がいっぱいいて、比較的自由な雰囲気が残っていたから。けれど、業界が産業化していった時にマーケティング重視になり、面白いゲームよりも売れるゲームを開発するようになっていく過渡期ではあったね。
でもたまたまYCAMに来ないかと声がかかり、その中でも「教育普及」という自分でもやったことない部署の担当になった。当時はワークショップもダサいと思っていたし、自分の仕事じゃないなと思っていた。でも、ワークショップを研究するようになって、事例をみてみるとことごとく面白くなくて、これなら僕にできることがあるかもしれないと思ってやるようになったんですね。
僕は積極的な意味では、これを何とかしてやりたい、実現したいと思って学生時代からやってこの道に進んできた、というよりは、ラッキーな境遇の中でやっているところはあるかもしれない。内発的な欲望には信憑性なんてなくて、逆に才能が生かせる場所というのは、外的要因からやってくるってほうが真実なんじゃないかと思ってることはあるね。
あと、業界としてのアートというのはあんまり好きじゃないかも。地方に遊びに行った時に美術館とかいくのも選択肢の一つだけど、どちらかと言ったらその場所でしかみられないものを見たりとか食べたりとか風習風俗に触れたりなど、アートと言われているものではないものに触れる方が楽しいなという気はしてますね。
服部)今聞いてて思ったんだけど、魅力的でたのしい「場」をつくることに対しての興味はずっとあったかもしれない。そういう意味でYCAMという場所はいい場所だなと思ってた。何かが生まれるかもしれない、というワクワクする場所を近くで見られたのは僕の中で大きいかもしれない。それを内部ではなくて近くの外側から見られたっていうことが重要だった。それと自分たちでつくったMACというのが立ち上がって、自分たちでもできる、っていうことが小さいけど原動力となっている。いい時間やいい空間って建築家がかっこいい建物をつくっただけでは成立しない。それを徹底的に使い倒すことが重要だと思う。僕はその使い倒すことができる場所や、そのための時間をつくることをずっとやりたいんだと思う。その行為やソフトな意味での「場」づくりはキュレーションと近いことなのかもしれないね。
会田)そうだね。あとは「キュレーション」と「アーティスト」がはっきり分かれていることは、日本の背景があるからなのかもしれないとは思うね。キュレーターであってもアーティストであっても生み出しているという行為は変わらないとも言える。YCAMでは業務としておこなっていたので、自分たちで開発したワークショップは自分の作品とは言い切れない部分はあるけれど、ある作家に「会田さん、これ作品としてやっているでしょ?」と言われて、自分ではそう思わないようにしていたけど、そう見えてしまっているんだったら、そうかもしれないなと。自分としては作品とは言わないけれど、他人からそう認められるのは、悪いことじゃないよね。
服部)何をもって定義するかだよね。
会田)オリジナリティや独自性のある行為が生み出されていって、他ではみたこともないことがつくれていくことは嬉しい。そういう気持ちがあることはアーティスト気質と言えるのかもしれないね。
クリエイティビティに大きく作用するのは「自信」なのかなと思っていて。クリエイティビティを発揮した時に「これダメだよ」と言われたらもう発想しなくなるよな、と。僕はクリエイティビティの定義を少し独自に考えていて、見たことのないシチュエーションだったとしても、勇気を持って深い洞察力で観察した上で予測を立て、一歩踏み出せる力、それを僕は創造性と呼びたいなと思ってるんだよね。センス良くまとめるとか、アウトプットが綺麗とかそういうことではなく、「状況に対する応答の仕方」を僕はクリエイティビティだと考えている。そういう意味でいうと、アートそのものではないけど、服部くんがやっていることはすごくクリエイティビティが高いことだと思っているし、こういう応答の仕方、その力で色々なプロジェクトをやってるんだっていうことにびっくりする。それは経験に由来されていることも大きいのかな。やり抜いてきたことが大きな自信になって、次に繋がっていく次の判断を鈍らせないように確固たるものにしていくけれども、例えば、何かやった企画を徹底的に批判されたら大きく自信を失うと思うんですよね。自分の直感が働かなくなる。信じる力を失わされるという...。
服部)建築もアトリエ系だと月収はすごく低くて、多くの人がそれに耐えられず、しっかりした家賃を払ってそれなりの家で暮らせるように会社に入っていくんだけど、アートやっている人に出会うと、一般的な収入によって一般的な暮らしを営むよりは、普通の家賃を払うシステム自体を疑ったり、自分なりの生活コストのかけ方を独自に考えていて、生活を築くことに対する意識の持ち方が豊かだなあと思ったんだよね。同時に、別に一般的な収入とか気にしなくても、なんとかなるんだなと思わされて、ある意味目から鱗だった。。
会田)ああ、なるほど。
服部)山口という地方で、アートだけでなく、のんびり生活する人々に出会ったのも大きかったと思う。生活コストがそもそも高くない山口だと、大した収入がなくてもとりあえず生きていけるという気楽さもあったし。なんかみんなのんびりしていて、そんなに仕事なくても生きていけるじゃんて感覚があって、それってすごく強いなって。型にはまった就職をしなくても、豊かに生きていく方法っていっぱいあるってことを見せつけられた。オルタナティブな生き方を色々思い知らされたんだよね。
会田)いい大学に行ったり建築学科で勉強していると、初任給や10年後の年収とか比較できて分かるわけだよね。そうなると就職はゼネコンかなとか国交省とかかなと。けど、そういう「ある意味では古い価値軸」を相対化できたってことだよね。
服部)そうそう。それはすごい経験だよね。
会田)あんなに固執していた収入というものがこんなに遠い背景になっていくんだなって。
服部)僕は、ある型にはまったまま必死で働いて、上昇志向で生きていくというのは無理だなって思ってしまい、そういうレールから外側に飛び出したいっていうのはあって、おそらく東京ではない場所に住みたいとか最初は考えたんだけど、、実際にそういう場所にいって住んでみると僕なんかよりもっと自由に生きている人がいっぱいいるってことに気付いた。みんなすごいなって、なんとかなるんだなって思えた時にすごく楽になったし、あんまり考えても仕方ないと思えた。
会田)(笑)収入以上に大事なことを気付かせてくれたってことかな。
服部)そう。価値観ってもっと多様であるべきだし、そもそも自分の知っている枠組みを超えてみると、既に多様な現実はあるってことを、アートは気付かせてくれるよね。アーティストとか自由業の人は生き方を自分で設計しているよね、それがすごく重要なんだと思う。豊かさの定義を自分で考えている。僕は山口や青森に暮らさなかったら、そこに気付かなかったと思う。
会田)自分なりの豊かさ。自分の中の豊かさの定義を他人の尺度ではなくて自分の尺度として持っている。アーティストと付き合っていると、それと真剣に向き合わざるをえないですよね。そういった意味で、このプログラムを通して、参加者達にとって少しでも自分の人生の価値基準を考えるきっかけになるといいなと思います。人生の価値基準を考えること自体、そもそもあまりない機会なので、手をうごかしたりいろんな人と関わったりしながらじっくりと考えてみる時間になるとよいですね。
注1)水越伸(みずこししん)メディア論・東京大学情報学環・学際情報学符教授。ワークショップの手法を用いて、メディアと社会の関係を解きほぐしている。
注2)今和次郎(こんわじろう) 建築家、民俗学研究者。現代の社会現象を場所・時間を定めて一斉に調査・研究し、世相や風俗を分析・解説しようとする学問「考現学」を提唱した。服部は国際芸術センター青森(ACAC)にて「考現学」を引用した展覧会『再考現学 / Re-Modernologio』(2011)を企画している。
注3)赤瀬川原平(あかせがわげんぺい)美術家、小説家。「考現学」の影響を受けたとされる「路上観察学会」をイラストレーターの南伸坊、建築家の藤森照信、編集者の松田哲夫らと共に発足した。
注4)岐阜県が2001年に開学した大学院大学。正式名は「情報科学芸術大学院大学[IAMAS]」会田の出身校でもある。
注5)安藤忠雄(あんどうただお)建築家。
注6)パウロ・フレイレ ブラジルの教育学者。
注7)アーティストや批評家、研究者やキュレーターなどがある土地に招聘され、ある期間滞在し作品制作やリサーチなどをおこなう施設、またそれらの活動を支援する制度。
注8)1998年より山口県の国定公園「秋吉台」内に建設された滞在型芸術文化施設。服部は2006年より3年間アーティスト・イン・レジデンス事業を主に担当した。http://aiav.jp/
注9)Maemachi Art Center (MAC) 服部が2007年に友人らと共に住んでいた一軒家を半公共空間的にアートスペースとして開き、様々なイベントを開催。時代によって住人(運営者自身)が流転、交流していくことが大きな特徴。