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2020年8月15日 レポート
アーティストトークの様子|ら抜きの仕草
アーティスト|谷澤紗和子、近藤佳那子、後藤あこ
愛知県芸術大学主催、大崎のぶゆきさん企画の「ら抜きの仕草」では、新型コロナウイルス感染拡大防止のためイベントは行わず、アーティストトークを収めた映像をアートラボあいち2階で会期中上映しました。今回はその動画から内容を抜粋し、レポートにまとめました。
下記URLにて、動画をご覧いただけます。
愛知芸大芸術講座 次世代教育シリーズ
「ら抜きの仕草」アーティストトーク(22分13秒)
【講師】谷澤紗和子、近藤佳那子、後藤あこ(出品作家)
まずは、ゲストアーティストとして参加した谷澤紗和子さんからのトークです。本展では、「弱者」や「女性」をテーマにした切り紙を中心とした作品を発表しました。トークは《NO》という作品の紹介から始まりました。
谷澤:この《NO》という作品は、オノ・ヨーコとジョンレノンの出会いのきっかけとなった《YES》という作品にインスピレーションを受け制作しました。今の時代、私たちには「NO」という言葉が「YES」と同じ、あるいはそれ以上に大切であると考えています。ここで言う「私たち」とは、女性や、マイノリティなどの「弱い立場」に立たされている人たちのことで、その人たちが発する「NO」をテーマに切り紙で表現しました。
《くそやろう》という作品は、トーン・ポリシングという言葉からインスピレーションを受け制作した作品です。このトーン・ポリシングとは、弱い立場に立たされている人たちが声をあげた時に、その内容ではなく、言い方や言葉にフォーカスされることで、発言がずらされ、訴えている側が逆に避難を受けてしまうことです。そのようなことが少なからず起きていると思います。しかし、その時発せられた言葉は、痛みや抑圧を伴った複雑なもので、ようやく口から出てきたものだったりします。そうした言葉をひらがなで書き、一本の線ではなく幾重もの線を重複することで文字を浮かび上がらせています。
私はこれまでも切り紙を使った作品をたくさん制作してきましたが、切り紙は東アジアにおいて、中国から朝鮮半島に伝わって日本に入ってきました。これは、「西洋における白人男性の価値観を中心に作られてきた美術」のカテゴリの外にあるような表現だと思って、自分が何かを表現する上でしっくりくると感じ、制作を続けてきました。今回の作品はそれに加え、社会的弱者、女性、マイノリティをテーマに据えて制作しました。
今回の「ら抜きの仕草」は、「価値観をもっとアップデートしていこうよ」ということだと思いました。個人的な話になると、二年前に子どもを出産し社会的に母という立場になった時、社会と母になった自分との関係に疑問に持つことがたくさん出てきました。それと共に、社会における女性の立場や、アート業界における女性アーティストの立場が以前より気になることが多くなってきました。昨年のあいちトリエンナーレでは参加作家のジェンダーバランスの平等が掲げられましたが、それにとても希望を持つことが出来たと同時に、そこまでしないと男女平等が達成されないアート業界や社会のあり方に対しての疑問は拭えませんでした。そうした疑問や考えを自分の作品のテーマとして持っておかないと、やってられないなという気持ちがありました。女性のことだけではなく、社会において弱い立場に立たされている人達のことも視野に入れて作品を制作していきたい、また社会との関係性も持っていきたいと思います。
次に、近藤佳那子さんのトークです。近藤さんは主に絵画を中心に制作しており、本展では自分自身の生活サイクルを投影した、反復するイメージを絵画作品で発表しました。
近藤:私の作品は反復するイメージを用いて制作しています。そのイメージは繰り返すことで進んでいく時間や、その時に同時に生まれる無駄というものをすごく愛しく感じていて、それらを絵にしたいと考えモチーフにしていることが多いです。白いキャンバスが埋まっていく様子を見ながら地と図の関係であったりだとか、空間があるようにみえる・みえない、絵具が付いている・付いていない、などといった二次元が持つおもしろさに魅力を感じながら制作しています。
モチーフに関して言えば、何かしらの行為をしている女の子が繰り返し登場し、そこに風景を重ねています。その女の子には自分自身が投影されていることが多いです。今回展示した一番大きい作品は、昨年制作した作品を描いていた時の自分の生活サイクルを繋げるために、加筆しました。新たにキャンバスを継ぎ足して加筆した理由は2つあり、日々の繰り返しの先に今があると自分自身で実感するため。もう一つは、新型コロナウイルスというすごく大きな出来事が起きたことにより、自分の力では制御できない悲惨なことがたくさん起きてしまいました。今まで以上に自分自身の生活をなるべくポジティブに肯定していけるような絵を描かなければならないという危機感を感じ、新作として繰り返し描く絵を制作しました。今回の展覧会の導入にもあるように私にとっての「ニュートラル」とは、繰り返し続ける事に対し、無駄だと思うことや、中途半端だと思うことを肯定し、自分自身を受け入れながら、環境に卑屈にならずに自立して生活していくことだと考えました。これは自分の内面から出てくる欲求であると考えています。仕事についても同様です。私はカフェギャラリーを運営していて週の半分をそこで働き、もう半分を制作するという生活を続けています。絵を描く私とご飯を作る私、女性であることなど、自分を構成する全ての要素を受け入れる事が、次へと軽やかにアウトプットしていくためにとても重要な意味を持っています。それがひいては自分にとっての美術や生き方を肯定することに繋がっていると考えていて、そうあろうとすることが自分にとっての「ニュートラル」であり「ら抜きの仕草」であると思います。
次に後藤あこさんのトークです。後藤さんは主に彫刻やインスタレーションを制作しており、本展ではストーリーの表と裏に着目した作品を発表しました。
後藤:私の両親は劇団に勤めていて、幼い頃から作られたストーリーやストーリーをつくる過程を見てきました。その中で、ストーリーだけでは100%信用できず、それだけではダメだという考えになりました。例えば、私の母が舞台に立って役者として誰かを演じている時、それは母であって母ではないとか、役者だけどどこかで母を感じる、というようなストーリーの裏と表を考えるようになりました。また舞台袖から見る風景は舞台美術の構造が見えたり、役者の素の顔が見えたり、また舞台を見て感動しているお客さんの顔も見えている状態で、私はそれを「現実と虚構のマーブル模様」と呼び、そこを目指して制作しています。今回発表した《3度目の出発》は舞台美術の書割をモチーフに制作しました。書割は通常見えてはいけない裏側にあるものです。見えてしまうと虚構から現実に引き戻してしまうことになります。それをあえて正面に向け、ストーリー側を鏡に写して虚像化してしまうという作品です。手前にある構造物がないと自立すらできないストーリーということと、ストーリーの正体を見せたいと思い制作しました。《完璧な対話》という作品は、編集者として働いていた時に、インタビューをしている方へ「話すポーズをしてください」とポージングをお願いしたのですが、その様子がキャラクター化され過ぎたり、より本物らしくなってしまったりすることや日常より良いものにみえてしまうということがすごく気になっていました。具象彫刻はそこにあるだけでストーリーをはらんでしまうものだと思っています。それにポーズが加わることで、私自身は作品にストーリーの設定はしていないのですが鑑賞者はストーリーをつくり出してしまう、具象彫刻ならではのことをやりたいと思っています。ただ先ほどの《3度目の出発》という作品にもあるようにストーリーの虚無性というの同時に見せたいので、裏側が空っぽになる陶の特性を活かして、対話している対面から見ると中身が空っぽに見えるように制作しました。
今回の展覧会に出展するにあたり、自分がどういう立場で出品すればよいのかとても悩みました。自分の作品はジェンダーの問題や女性についての作品ではないので、どういう姿勢で向き合えばよいのか考えてました。その内に、もし参加作家がジェンダーの問題ばかり扱っている作家だったら、それはそれですごく不自然ではないかと感じました。女性だからといってジェンダー問題を作品に取り入れなければならないということは全くないし、そういう問題に触れている作家もいれば、そうでない作家もいることの方が「ニュートラル」であると自分の中で納得がいったので、いつも通りの作品をつくろうという考えで参加しました。
昨年のあいちトリエンナーレの調査からみえる女性比率の少なさであったり、強い言葉でいうと差別であったり、アート業界に限った話ではありませんが、様々な問題があると思います。アート業界の方が遅れているなと感じたので早く改善されれば良いなと思いました。女性作家として活動している事と、女性である事を両立していく中で、卒業したての頃や会社員の頃はすごく焦っていました。しかし、会社員の頃に出会った人に、女性のキャリアや目標はもっと長いスパンで考えにといけない、と言ってくださった方がいて気持ち的に楽に制作できるようになりました。
抑圧された言葉や社会との関係、自分の生活サイクルを肯定していき次へ繋げること、ありのままで自分本来の制作をしていく姿勢、今回の「ら抜きの仕草」を通して見えてくる今の社会を、改めて突きつけられたれたアーティストトークでした。
(レポート|岡本涼伽)