審査員(五十音順)

沢山遼 (美術批評家)

岡山県生まれ。武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程修了。著書に『絵画の力学』(書肆侃侃房、2020年)、共著に『絵画との契約 山田正亮再考』(松浦寿夫、中林和雄ほか著、水声社、2016年)『現代アート10講』(田中正之編著、武蔵野美術大学出版局、2017年)などがある。

 170件の応募作品から8作品を選出する選考は熾烈をきわめ、終わりが見えないようだった。
 審査はいくつかの点で困難を抱えていた。ひとつには、審査員は作品現物ではなく、提出されたプランから作品の可能性を見極めなくてはならないことである。加えて、多種多様なメディアにわたる応募作品からある特定の作品を選出することは、コンテンポラリー・アートの賞の審査にまつわる根本的な困難が存在した。たとえばそれは、これが絵画に限定された賞であれば存在しないはずの困難かもしれない。すべての応募作品が同じフォーマットをもつのであれば、そこから特定の作品を掬いだすために、すべての作品に適応可能な批評基準を準備することが可能だろう。むしろ、そこでは、骨董品の良し悪しを瞬時に判別するように、作品の優劣、完成度を直感的に判断する能力、身体的な洞察力こそが求められる。なぜその作品が優れているかは、事後的に検証することが十分に可能である。じっさい多くの場合、そこに明確な批評的根拠を与えることができる。だが、本展のように応募作品のメディアが多岐にわたる場合、さらに作品のプランしか存在しない場合、事態は複雑化し、よって、審査の過程も必然的に混迷をきわめる。よって、そこで問われるのは、作品の技術的な精度や実現可能性だけではなく、個々の作品に内在するはずの、「批評的な」と形容してもよい、作品の展開可能性、理論的な可能性だ。批評家として活動する私がそこで審査員に任命されたことの意味もおそらくはそこにあっただろう。つまり、作品に内在する批評的可能性を取り出し、そこに、なんらかの意義を与えること。このプロセスなしに、入選作品を選出することはできなかった。

 本展は、河原温の「I Got Up」をテーマに作品を応募することが条件とされた。したがって、それぞれの作品は、河原温の作品に関する批評的な応答であると言える。と同時に、河原温の作品が、本展においてさまざまな芸術上の応答関係を生み出したように、個々の作品も、未来の作家たちの作品への批評的な応答を可能にするものでなくてはならない。優れた作品とは、そのようなものだからだ。そこにはかならず、無数の批評的な可能性がある。だから、言い換えれば、今回選出されたそれぞれの作品には、それぞれ個別の、作品としての潜在的な意義、展開可能性、特異性があったということになる。
 だから、言い換えれば、今回の審査の過程は、その批評的な可能性を抽出する過程そのものだった。審査は熾烈をきわめたが、その一方、どのような混乱も、不明瞭な議論も生じなかった。それは、それぞれの審査員が、厳しく、明晰な判断力をもちいて、個々の作品の可能性の抽出に尽力した結果である。
 今回、審査員賞を受賞した三枝愛さんの作品《庭のほつれ》は、土地改良などを遠因として、幾度となく私的領域と公的領域の境界が揺れ動いた、特異な歴史をもつ自身の家の「庭」を主題としたものである。本作は、複数の領域が流動的に交差する特異な場の、その閾から滲出する複数の可能性を、彼女がもつ物質的・技術的能力を可能な限り拡張・展開してみせることによってつくりだされた。そこに立ち現れる作品=場は、複数の場を切り結ぶ、仮の焦点として展開される。崩壊し、変化し続ける現実の世界をたえず修復するように、その作品も、また変化し続けるのだろう。その過程にはきっと終わりがない。
 「私は起きた(I Got Up)」という、たった三つの単語の組み合わせによって、河原温は、芸術と生、あるいは作品をつくることと生きることを結びあわせた。三枝さんの作品から、作品をつくるのではなく、糸を紡ぐように芸術を生きることの可能性を見せていただいたことに、審査員として感謝したい。

新藤淳 (国立西洋美術館主任研究員)

広島県生まれ。美術史、美術批評。共著書に『版画の写像学』(ありな書房)、『ウィーン 総合芸術に宿る夢』(竹林舎)、『ドイツ・ルネサンスの挑戦』(東京美術)など。展覧会企画(共同キュレーションを含む)に「かたちは、うつる」(2009年)、「フェルディナント・ホドラー展」(2014-15年)、「No Museum, No Life?-これからの美術館事典」(2015年)、「クラーナハ展 ―500 年後の誘惑」(2016-17年)、特別展示「リヒター|クールベ」(2018-19年)、「山形で考える西洋美術|高岡で考える西洋美術──〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき」(2021年)など。

 それらの郵便物は、ある女性が事前に送り・・・・・、われわれ関係者があらかじめ受けとっていた計画・・・・・・・・・・・・・・プラン・・・とは、まるで異質な布置をなしていた。遠くから一枚ずつ、個々にちがった時差をもっていくつかの宛先・・・・・・・へと届けられた葉書たち。これらが子どもの背丈を意識した台などに複数の高低や向きで並べられ、ときに表を、ときに裏を見せながら置かれている。さまざまな郵便局で押された消印が示す日付や文字、送り手であるアーティスト自身が貼った切手の枚数や絵柄などは、なんら一様ではない。また、どの葉書の裏面にも同じ素材の薄い布が層状に縫いつけられているものの、一枚ごとに一定ならざる引っ掻き痕が残されている。さらに葉書の宛先は、プライヴァシー保護のため、一律の大きさに裁断されたキャンバスによってほとんどが覆い隠されているが、その規格化された寸法に収まりきらず、住所の一部や固有名などを不規則に露出している・・・・・・ものも少なくない。たとえば、“Taiwan”といった地名、“K. Miyauchi”という人名を。

 宮内由梨の《A RED LIFE》――それはその単数形の題名が示唆するとおり、ひとりの人間の一度きりでしかあれない生の時間の不可逆性を体現しつつ、彼女が日々刻々と傷つけていった葉書たち・・・・・・・・・・・の無数の集積である。宮内は2017年のロンドン滞在中、持病のアトピー性皮膚炎を再発させてなにも手につかなくなり、掻くことしかできない日々を過ごしたと明かす。だが、彼女はおそらく、剥がれ落ちては塵となる皮膚のごとく瑞々しさを失いながら過ぎてゆく時間をなんとか転化し、日ごとに同一ではない・・・・・・・・・・掻く行為の力やリズムだけでも自分の心身とは別の記憶媒体に外化して保存/送信しておこうとしたのだろう。2018年より一日一枚、宮内は葉書の裏面に縫い込んだ二層の綿布を「その日からだを掻く」のと同様の強さで引っ掻き、日本のある街に棲まう母へと、ただ私的に送りはじめたという。
 けれども当初案では、いまや約1,130枚におよぶ葉書の裏面の布――いや、事実上は傷ついた表皮・・・・・・だけを観客に見せつけることを、宮内は目論んでいた。しかも時系列順に上へ、そう、ひたすら上へと羅列して壁に貼り、高さ7メートルにいたる「傷」のモニュメントというべきものを立ちあげることを。率直に書くが、わたしは審査過程でこの案を入選作に推す向きに強く抗った。アトピーはギリシア語の「アトポス ἄτοπος」 に由来する概念、すなわち「否定」 の接頭辞“a-”と「場」 を意味する“topos”とを結合させた言葉を語源とする疾患である。そのため特定の場に定位されないメール・アートとしての《A RED LIFE》は、まさに「アトピック=非場所的」 なものだという主旨のことを述べた審査員のひとりにわたしは、宮内の展示案はむしろ肝心の否定の契機たる“a-”を欠いたまま「トポス」を無自覚に切り拓いて作品を屹立させようとするものであり、アトピーおよび郵便の“atopic”なありかたをかえって構造的に完全に裏ぎっていると反論した。この考えに妥協の余地はない。
 ところが、くりかえせば結果として問題の葉書たちは、予定のプランとはまったく別様に展示された――どうやら計画外・・・のひとびととの事後的な接触や通信を経て。あなたは気がついただろうか、長い時のなかで宮内が送りつづけた葉書はそのじつ、母という単一の宛先へではなく、愛するひとたち・・――溢れだした「台湾」の地名が暗号化していたもの――に向けられていたことを。宛先は、もとより複数だった・・・・・・・・・のだ。そもそも河原温の《I Got Up》を意識していたのでも、この2022年の公募展や観客への開示のために制作されたのでもなかった宮内の葉書たちは、しかし宛先の複数性ゆえに・・・・・・・・・今回の展示行為をつうじた再-作品化を可能とし、それこそ異他なるものへの生き直し・・・・を遂げえていた。そして落選を望んだわたしがあれらの葉書を遅れて受けとれた・・・・・・・・のは、たとえば東浩紀がデリダから抽出した言葉でいうなら「誤配」の可能性ゆえである。《A RED LIFE》――われわれには届かなかったかもしれない・・・・・・・・・・・・愛の葉書たち。もはや拾いあげずにいられるはずもなかった。
 このような事前プランからの別なる生き直しを果たせそうな潜在可能性をはらんでいるように思えた応募案は、入選作となったものたち以外にも少なからずあった。ここであえて、ほかの入選作に触れず、宮内の作品についてのみ記したのは、この公募展でそうした可能性をあらためて思い知らされたからである。

Photo: Nobuhiro Shimura

竹村京 (アーティスト)

東京都生まれ。1998年東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業、2002年同大学大学院美術研究科修了。2000年ポーラ美術振興財団在外研修員としてベルリンに滞在。代表作に、壊れた日用品を薄い化学繊維で包み、その割れ目や傷跡を絹糸で縫い直す「修復シリーズ」や、主に写真やドローイングの上に刺繍を施した白布を重ねた平面のインスタレーション作品がある。近年の主な展覧会に「How Can It Be Recovered?」(メイトランド・リージョナル・アート・ギャラリー、2020年)、「長島有里枝×竹村京 まえ と いま」(群馬県立近代美術館、2019年)、「どの瞬間が一番ワクワクする?」(ポーラ美術館、神奈川、2018年)、ほか。第15回シドニー・ビエンナーレ(2006年)、横浜トリエンナーレ(2020年)にも参加するなど、国内外で活動する。

 今回のアーツチャレンジ2022、河原温のI Got Upという具体的なテーマを掲げた公募に対して今を生きる若い作家たちがどのような問いかけをしてくるかが楽しみな企画でした。今の閉塞感ある社会の中で他者と繋がれる可能性を示唆し、何か人々にまだ今日も生きていけるな ! と思わせる河原温作品の持つ普遍的かつ愛あるメッセージをどう解釈されたのか。
 大多数の方々は“生きなおす空間”のタイトルの方により重きを置かれたように感じる作品内容で、選出に時間がかかりました。応募された作家の方々、現場に行けていない状態で希望の場所を決めるのは難しかったのではないかと思われますが、これからの時代、変容し続けるコロナと共存する中で自分の作品を展示するのにふさわしい場所を具体的に想定するのは必要なトレーニングかもしれません。

 黒木さんが想定されていた2階フォーラム付近は朝の人通りの多いところで、彼女の音の作品“Wake-up Call”にふさわしいと思われたのですが、実際朝その場所に行ってみるとうるさすぎるとのことで、静かな中庭に面したガラスのベンチの下に移動となりましたが、ちょっと休憩に緑でも見ながら座った時、偶然 “もしもし おはよう! ”という声が響くのは今想像しても素敵だなと思います。相手に実際電話した時間に音を流すという、作品の中心軸を実際の“時間”に設定したこと、直接的では無い“I Got Up”への共感が感じられました。
 河原温のハガキ構成に合わせてインターネット上で出てくる情報に即した社会的背景と芸術文化センターの窓から見える風景をトリミングした小栢さんの作品はハガキという当時のコミュニケーションツールにQRコードを加えることで今の時代設定に変更した使い方をされていましたが、机の上で考えたことを具現化させるだけではなく、あの場に行って作品の前に立った人の視点も考慮に入れられるようになったらあの場を選んだ意味、I Got Upの“I”がより見えてきたのではないでしょうか。
 宮内さんは、河原温のハガキを人に送るという行為が過去から積み重ねていた自分の作品と今回の公募を通して重なって幸運だったと話されていましたが、募集の段階ではハガキの差出し人の面を見せず、何百枚ものハガキの表面を覆う大量の引っかき傷の集積が前面に出た見せ方で、一通ずつ送られたハガキであるという事実が伝わらないものでした。が、実際の展示では見にくる方々の背丈まで想定した様々な高さの棚にハガキを裏表で並べたことにより、アトピーという社会の身近な問題を他者に丁寧に伝えようとするインスタレーションが魅力的でした。
 私道さんの“父親になったのはいつ?”、河原温が男性であること、このコロナ下で家庭に居る時間を考えた時、女性の立場から“父親”を知ろうとする行為は注目すべき点でしたので興味深く拝見しました。“ 父親”のセリフを女性、若い男性にも読ませることで他者を感じさせる構成になっていましたが、役になりきるのではなく、俳優が紙に書かれたセリフをそのまま読むという演出が作品の本質を見えにくくしているように思えました。演出家から美術作品としてのインスタレーションが初めての試みだったとのこと、今回のアーツチャレンジをきっかけに展開されることを楽しみにしております。
 三枝さんの作品は彼女の育った土地との関係を写真に撮り、土地から出た桜で紙を染め、文章に残し、と様々な表現を用い地道にしかし脈々と伝わった技法を用いて個人史の残し方を模索するという方法論、河原温の作家としての日常の在り方、ハガキを友人に書くというアーティストとして生きた軌跡を思わせ、三枝さんはこういう日常を送りながら意思を持って毎日Got Upしているだろうし、これからも続けていくだろうと思えましたもので、審査員賞に選ばせていただきました。

 皆さん実際の展示がこちらが想定したよりもはるかに素敵なものになっていたのはキュレーションして下さった鵜尾さんの力技です。選ばれた作家の皆さん、今からこんな作家思いのキュレーターにお会いできてラッキーでしたね。

中村史子 (愛知県美術館主任学芸員、国際芸術祭「あいち2022」キュレーター)

愛知県生まれ。東海圏から関西圏を拠点に活動。専門は視覚文化、写真、コンテンポラリーアート。2007年より愛知県美術館に勤務。美術館で担当した主な展覧会に「放課後のはらっぱ」(2009年)、「魔術/美術」(2012年)、「これからの写真」(2014年)がある。また、美術館では若手作家を個展形式で紹介するシリーズ「APMoA Project, ARCH」(2012-2017年)を立ち上げる。2015年より日本と東南アジアのキュレーターが協働で調査、展覧会企画を行う美術プロジェクト「Condition Report」(国際交流基金主催)に参加し、2017年にはタイのチェンマイにてグループ展「Play in the Flow」を企画、実施する。2021年より国際芸術祭「あいち2022」キュレーターを務める。

 過去最大の応募数となった今回のアーツチャレンジでは、展示プランにどれほど挑戦的な姿勢が見えるかを重視して審査を行った。確かな表現力や技術力、多くの展示経験を持つ方も少なくないが、それに囚われず、それまでの作家活動を振り切るようなジャンプ力を感じさせるプランを優先した。反対に言えば、このルールを課すことで、ようやく8組選ぶことが出来たというのが正直な実感だ。

 例えば、私道かぴは、これまで舞台制作を手がけており、いわゆる造形美術の展示で作品を制作、発表するのは、今回が初めてである。しかしながら、場所と時間が限定される舞台ではなく、通勤者含む不特定多数の人が行き来する公共空間での映像上映という形式は、「父親性」を問う作品作りにおいて必然性が感じられた。加えて、ある人間が人生のあるタイミングで「父親」になること自体、一種の演技だと言える。その経験を当事者でない役者に演じさせ、演じることについても考察させる本作は、演出経験を多数持つ私道だからこそ可能となったのではないか。
 また、挑戦的という点では、黒木結の作品も印象に残る。友人にかけたモーニングコールの音声が流れる本作は、視覚的な鑑賞対象がない上、音声が再生される回数も極めて限定的である。私を含め複数の審査員から「展覧会の開場時間中に何度も音声を流して、お客さんが鑑賞できる機会を増やさなかったのは何故か」という質問があったように記憶する。しかし、友人へのモーニングコールという事実を作品化にあたり保持することが黒木にとっては重要なのだろう。作品としての強度という課題はあるものの、友人との関係をただの作品素材にしない、作品をスペクタクルやサービスへと横滑りさせないという彼女の明確な指針は、一つの挑戦だと感じた。
 加えて、テーマとの呼応という点で、宮内由梨の作品についても述べたい。宮内は、河原温「I Got Up」シリーズが公募テーマとして示される前から、河原同様に、自分の心身の状況を葉書の郵送によって伝えてきたと言う。公募テーマという的を目掛けて展示プランを練る作家が多い中、河原温を意識しないまま「I Got Up」シリーズと通じる行為を長年続けてきた彼女の営為は、表現活動と自身の生存を同期させたもので、一種の真実があると思われた。
 なお、私が少し驚いたのは、展示で出る廃棄物を減らしたいと言う入選作家が複数いた点だ。中でも、展示資材の廃棄について最も意識的に作品へと取り込んでいたのは、三枝愛だろう。私が見る限り、三枝は展示のための新たな資材の使い捨てを避け、すでに身近にあるもの、会場に備え付けられたものを主に使って展示を構成していた。さらに三枝は、今回の展示物も、会期後には次の表現へと有機的に繋がるよう計画しているようだ。こうした制作・展示プロセスが、彼女の表現を貫く「事物の保存と変化」という主題を、理念でなく実践として補完しているのは言うまでもない。
 そして三枝のように、展示の前後を含めた振る舞いや時間の経過、事物の変化をひと続きとして捉え、展示とそれ以外の部分の齟齬を減らそうという姿勢は、実は他の入選作家にも通底していたように私は考える。自然環境の素晴らしさを謳いながら環境負荷が高い展示。非常に美的ながら制作過程に倫理的問題がある展示。こうした矛盾を避けようという意識を、複数の作家から看取した。言い換えるならば、作品や展覧会という枠組みに拘らず、表現行為と自分自身の生の原則をできる限り理想的な形で同一化しようということなのだろう。その難しさは容易に想像できる。しかし、若い作り手が、その困難なミッションに挑もうとしている様に、私も揺さぶられるところがあった。審査員として一方的にプランや作品を評価するのではなく、作家たちの考えや行為の一端に触れ、私もまた、自分一人では見えなかった地平を見ることができた。それが本当に幸運だったと感じている。

特別審査員


4名の審査員に加え、国際芸術祭「あいち2022」芸術監督の片岡真実が特別審査員として応募書類の通覧を行いました。

Photo: Ito Akinori

片岡真実 (国際芸術祭「あいち2022」芸術監督 /森美術館館長/国際美術館会議(CIMAM)会長)

ニッセイ基礎研究所都市開発部、東京オペラシティアートギャラリー・チーフキュレーターを経て、2003年より森美術館。2020年より同館館長。
2007~2009年はヘイワード・ギャラリー(ロンドン)にて、インターナショナル・キュレーターを兼務。第9回光州ビエンナーレ(2012年)共同芸術監督、第21回シドニー・ビエンナーレ芸術監督(2018年)。2014年から国際美術館会議(CIMAM)理事を務め、2020年より会長(~2022年)。

※肩書は2022年3月時点