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2017年10月2日 パブリック・プログラム

レポート|オープン・ディスカッション「ドクメンタ、ミュンスター彫刻プロジェクト、ヴェネチア・ビエンナーレについて話し合う」①

8月24日(木)19時よりアートラボあいちにて、現在ヨーロッパで開催されている主要な芸術祭についてのオープン・ディスカッション(公開意見交換会)を開催しました。2017年は、ドクメンタ、ミュンスター彫刻プロジェクト、ヴェネチア・ビエンナーレなどが重なる、10年に一度の重要な節目となる年です。愛知県界隈でも、すでに多くのアート関係者がこれらの芸術祭を訪れており、訪れた皆さんは、様々な意見を持っているだろうということで、これら芸術祭を訪問された方々と意見を交わす会を開催しました。ディスカッションでは、たくさん貴重な意見を聞くことができ、興味深い話題も多かったので、文字お越しに近いかたちでレポートをまとめました。レポートとしては、かなり長いものとなってしまいましたが、ご了承いただければと思います。

まずは、ミニレクチャーのレポートです。ディスカッションとはページを分けて掲載したいと思います。

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飯田志保子さんによるヴェネチアビエンナーレ、ドクメンタ、ミュンスター彫刻プロジェクトについての概要レクチャーが行われた。

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ヴェネチアビエンナーレ

当時の国王とマルゲリータ王妃の銀婚式に由来する1895年にはじまった。しかし銀婚式に由来するという一言だけで言ってしまうと、祭典、祝祭モードばかりだと読めてしまうことが確かであるが実際はそんなにノー天気なものではない。1930年代以降はムッソリーニ率いるファシスト政権下になり政治的に暗い時代背景があり、戦争等で過去に計5回中止になっている回もある。

1890年代後半、ヴェネチアは思想によって落ちぶれてしまっていたため、欧米で当時ブームになっていた万博に変わる形で意思改正を狙ったのがビエンナーレであり、イタリア美術の再建を図るものだということも事実としてある。加えて15世紀以降にフィレンツェやローマに対する対抗的な位置にヴェネチアがあったということも重要とし、16世紀になって絵画がイタリアに合流してくると、例えばラファエロとミケランジェロに対するヴェナチアだとティチアーノというマスターがいる、といったある種他の都市に対する対抗的なヴェネチアの美術を確立しようという背景もあり、そこにはフランス印象派やウィーン分離派に遅れをとったと考えているイタリアの近代主義者たちの焦りがあったと言う。

トーマス・マンが「ヴェニスに死す」を書いたのが1912年、さかのぼってヴェネチアでニーチェが遊んでいたのが1880年代。これがヴェニスでビエンナーレがはじまる直前の状況であり、要するにビエンナーレが始まったのはヴェニスがデカダンスの時期にあったころで、ヴェニスの商人みたいな人たちが背徳と悪徳と美徳と混同させていて、だからこそローマにもフィレンツェにもない、悪魔的な知性が当時のヴェネチアにはある。

決して銀婚式に由来してますと一言で片付けられるようなお気楽な背景ではなかったということを飯田さんはここで強く主張した。

日本はヴェネチアビエンナーレでどうだったかというと、1897年の第二回に日本政府がイタリア政府からの要請を受けて工芸品を出展する。現在は外務省が窓口になっており、外務省の下で国際交流基金がコミッショナーを選定し、コミッショナーがアーティストを選定するというやり方になっているが、一番最初に出品した当時は日本政府は農商務省で、日本の文化の輸出のような意図があったと思われる。

日本が初めて日本館としてパビリオンを建てたとき、当時イタリア政府に残っていた最後の敷地の一つだった場所に出品しないかと日本に声がかかり、ジャルディーニというメインの庭園の中にパビリオンを建てることができた。ただし当時の日本はお金がなかったため全て政府の資金ではなく、ブリヂストンの石橋財団からの寄付をあわせて、1956年にやっと竣工できたという。

ヴェネチアビエンナーレの特徴は国別参加、ナショナルパビリオンというカタチをとっているということと、受賞の制度があるということ。賞にもいくつか種類があり、金獅子賞、アーティスト個人に送られる生涯貢献への金獅子賞などがある。

表立ってトピックスになるのはナショナルパビリオンと今年は誰が賞をとったか。

基本的には各国がコミッショナーやキュレーターを選び、彼らが、テーマやコンセプト、アーティストを選出していき、自国のパビリオンで展示をするという構成がメインとなっており、ジャルディーニに建物を持っていない国は市内の空いているところを借りて展覧会をするというやり方をしている。毎年参加する国は若干微動するため、ジャルディーニに固定した建物を持っている国だけが毎年参加し続けるということでもない。

ちなみにサンパウロとバングラデシュのビエンナーレも同じ様な制度にしているのだが、サンパウロは近年国別の参加方式を取りやめてドクメンタのようにヘッドがいて、その人がディレクションをする芸術監督方式に方針を変えたという情報が入ってきている。

今回のヴェネチアビエンナーレはポンピドゥーセンターのチーフキュレーターのクリスティーヌ・マセルが全体の総合企画展のキュレーションをしており、「VIVA ARTE VIVA」芸術万歳という実直なタイトルとなっている。クリスティーヌ・マセルが何を目指したかというと、ヒューマニズムによってインスパイアされるもの。プレスリリースに書かれていたヒューマニズムというのは決して人間中心主義ではないということを強調している。それが何を意味するかというと芸術的な行為というのは同時に抵抗の行為であり、解放の行為であり、寛容の行為であると言っている。人間が中心で世界を支配するという垂直の上下の方向ではなく、今の世の中でたくさん危機的な状況は起こっているからこその抵抗と解放と寛容の精神を持った行為が目指されている。そういう意味でのヒューマニズムだった。

こういったキュレーションの意図のもと、今回のビエンナーレには120人のアーティストが51カ国から参加をしていて、うち103名が初参加、歴代の中では初参加の割合が多い。しかもその中で女性作家と先住民の作家が多いというのも特徴的である。これらを長い直線型のコースで九章だてにしてグルーピングして見せており、アーティストと本という章から始まり、伝統などいくつかのグループに割っていくつくりをしていた。これはジャルディーニにナショナルパビリオンがあるため、国別を超越する思いである種のビエンナーレ内抵抗というか、それを超える、トランスするものをつくろうといった意図で、アルセナーレでトランスパビリオンという言い方をしていた。

一方ジャルディーニの建物を持っている館と市内に建物を借りてやっている館、合わせて国別参加は正式には87カ国となっている。今年の金獅子賞はドイツ館のアンネ・イムホフ。日本館は岩崎貴宏さんだった。

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ドクメンタ

1955年にドイツのカッセル市ではじまった。これはナチの「退廃芸術」として迫害された前衛芸術の名誉回復が目的とされ、地元の作家であり建築家であり教師のアルノルト・ボーデが提唱し、はじめは絵画であったり自分たちの身近な美術を取り扱ってたそうだが2回目から国際展として方針を変更した。

どちらかというと現代美術の先端の動向を一堂に会して見せる、ただ社会的に網羅するのではなくて西洋のものを見せていく。

第4回目の1968年以降は物故作家は除くいう方針になり、生きている同時代の作家のみが参加するというカタチに縛りを設けることによって、より同時代性を反映させるようになる。その後、第5回目からはハラルド・ゼーマンがディレクターを務め、以降現代まで芸術監督制が導入されていく。

ミュンスター彫刻プロジェクト

1977年にはじまった。1973年に起こったジョージ・リッキーの作品キネティック・スカルプチャーの野外展示に対し市民の間の反対運動に端を発する。これに関してウィキペディアで調べてみると、日本のウィキペディアではヘンリー・ムーアとジョージ・リッキーと両方がでてくる。他の検索サイトも見てみてもやはり両方の作家が出てきて由来が混乱するが、結局どこが大本かというとジョージ・リッキーの方である。これはウィキペディアで英語版、ドイツ語版と遡っていくと分かることだし、ミュンスター彫刻プロジェクトのウェブサイトを遡って見るというのが一番正確なのだが、ミュンスターのウェブサイトは見づらい構造になっているので、自身が調べて行く中で使えそうだと思ったのが、少し遠回りではあるがミュンスターの昔のウェブサイトの残っている作品の作家解説の部分の、ジョージ・リッキーの作品の場所に近いところの作家のページを見ていくと、そこにキネスティック・スカルプチャーのことが少しでてくる。やはり主催者がつくっているオフィシャルウェブサイトの情報が、一番信頼のおけるものだと思う。

背景として市民の間で揺るぎない議論がおこったということもあり、そもそもいきなり野外彫刻を置くのではなくて、まずは20世紀の彫刻のあり方を紹介する教育的なアプローチをした方が良いだろうと当時のヴェストファーレン州立美術館キュレーターのクラウス・ブスマンが企画をはじめた。

一回目は展覧会のプロジェクトの一環として企画されたため、ミュンスター彫刻プロジェクトというものが最初からあったわけではなく、あくまで展覧会の一環だった。それをカスパー・ケーニッヒが管理するようになってから今回まで、ミュンスター彫刻プロジェクトとして独立して、大きく拡大していったという風に理解した方が良い。

立ち上げてから現在までカスパー・ケーニヒがずっとディレクションをし続けていて、ひとりの人がずっとやり続けているというのも、ヴェニスやドクメンタのケースとは違う特徴である。10年に一回なので今年で5回目になる。

途中補足としてミュンスター彫刻プロジェクトについて服部さんから、たまたまキュレーターの人と会って話をする機会があり、特に一回目から10年に一度という風に決まっていたわけでは無くて曖昧だったようだ。結果的に10年に一回ということになっているが、2、3回目ぐらいまではそれも怪しかった。という話があった。

あれだけの大がかりな規模のプロジェクトなのでどこで断ち切れても不思議ではない。最近の美術手帖のかないみきさんのカスパー・クーニヒのインタビューのコーナーに書かれていたことの一説に、10年に一度で定着したから、氏としてはある種の成功ととらえていて、もっと5年に一回ぐらいに短くして回数を増やして欲しいという要請があったそうだ。それに対してカスパー・クーニヒは10年に一回で良いし、時間をかけてやることに意義があるものだからそんなことはやらない。と書かれていた。

ミュンスターの特徴を改めてまとめると、公共空間におけるその場でしかできない、その場にしかありえないサイトスペシフィックな要素を吟味している。それに加えて愛知でもよくやっているが、アーティストが事前に来て、その場所のことを調査したうえで、どうやって実現するかをやっていく。普通のビエンナーレよりも10年に一回なので、かける期間が長いというのは明らかなのだが、一回でタイミングが合わず、20年越しに実現する作品もあるという。

もう一つの特徴が、ヴェニスやドクメンタよりは規模が小さいが、それだけ時間をかけているかいもあってか、個々のプロジェクトの独自性や作品の質の高さが評価をされている。近年ではミュンスター各地を舞台にした移動作品やパフォーマンス、マーケットや開放した形式の作品も増えている。今年も電車で行けるぐらいの距離の近隣の市と提携をして二都市開催をしていた。

最後にヴェニス、ドクメンタ、ミュンスター以外の各国の芸術祭についてと、それぞれどこが主催をしているのか等の照会があり、様々な芸術祭の名前をあげていくなかで飯田さんは、ヴェニス、ドクメンタ、ミュンスターの3つを世界三大芸術祭ということに対して違和感があると話した。

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続く、ディスカッションのレポートは別のページに掲載いたします。