今、を生き抜くアートのちから

LEARNINGラーニング

愛知と世界を知るためのリサーチ
『監督と学ぶ』片岡真実

「愛知と世界を知るためのリサーチ」は、アーティストと参加者が芸術祭の開催地である「愛知」にまつわる様々なテーマについてリサーチを行い、私たちが現在立っている場所について明らかにしながら「世界とは何か」という謎に迫るリサーチ・プロジェクト。
『監督と学ぶ』は、本芸術祭の片岡真実芸術監督自身が「あいち2022」の開催会場である地域を中心に、専門家や地域の方々をゲストに迎え、対談形式で歴史・文化・産業など様々な側面から学ぶシリーズとして実施しました。

第1回「一宮が繊維の街になったのはなぜ?」

  • 実施日:2021年7月17日
  • 会場:国島株式会社 工場内
ゲスト
伊藤正樹(国島株式会社 相談役)

どのような歴史や社会情勢のなかで尾州で繊維業が盛んになったのか、最盛期の暮らしの様子、繊維産業が形作るまちの風景や尾州の未来などについて話を伺いました。

第1回「一宮が繊維の街になったのはなぜ?」

第2回「真清田神社のこと、教えてください」

  • 実施日:2021年7月17日
  • 会場:真清田神社
ゲスト
辰守弘(真清田神社 宮司)
塚越啓陽(真清田神社 神主)

一宮の名前の由来になったといわれる「真清田神社」を訪ね、真清田神社の成り立ちや一宮の繊維業との関わり、神社のお祭りや宝物、現代における神道の役割について話を伺いました。

第2回「真清田神社のこと、教えてください」

第3回「愛知の焼き物、1200万年」

  • 実施日:2021年8月22日
  • 会場:アートラボあいち
ゲスト
佐藤一信(愛知県陶磁美術館 副館長)

愛知県で陶芸、窯業が盛んになった地理的、歴史的背景や、瀬戸や常滑などの焼き物の成り立ちと特色、焼き物の未来について話を伺いました。

第3回「愛知の焼き物、1200万年」

第4回「猩々って何ものですか?」

  • 実施日:2021年9月12日
  • 会場:有松山車会館
ゲスト
久野充浩(笠寺猩々保存会 会長)
日比野愛(有松天満社文嶺講 広報部)

有松のまつり文化を紹介している「有松山車会館」を訪ね、有松や笠寺の猩々に囲まれながら、猩々や有松天満社の歴史や祭礼について伺いました。また、制作過程の猩々や実際に使用している材料などをお持ちいただき、作り方についても話を伺いました。

第4回「猩々って何ものですか?」

第5回「有松・鳴海絞、これまでとこれから」

  • 実施日:2021年9月12日
  • 会場:竹田家住宅 茶室 栽松庵
ゲスト
中村俶子(特定非営利活動法人コンソーシアム有松 理事長)
佐藤貴広(Enchant(インシェント)革絞りマイスター)

有松東海道を代表する建物の一つであり、有松・鳴海絞の開祖である竹田家の住宅を訪ね、有松のまちや有松・鳴海絞の歴史、絞り産業の構造、伝統を継承するために若い世代が新たな挑戦や工夫をしていることなどについて話を伺いました。

第5回「有松・鳴海絞、これまでとこれから」

第6回「土でつながる、広がる」

  • 実施日:2022年2月14日
  • 会場:旧常滑市役所
ゲスト
𠮷川正道(美術陶芸家)
小栗康寛(とこなめ陶の森資料館 学芸員)

常滑市役所の旧庁舎にある常滑市生まれの画家・陶芸家である稲葉実氏が制作した陶壁の前で、常滑の土地とやきものの歴史や窯業の発展、常滑における陶芸と現代美術の関係や、常滑造形集団の結成から現在に至る世界とのつながりなどの話を伺いました。

第6回「土でつながる、広がる」

片岡監督による振り返り
「アートを通して世界を学ぶ楽しみ」

談=片岡真実(「あいち2022」芸術監督)

今回の「あいち2022」では、展示そのものだけではなく、ラーニングプログラムにも多くの力を注ぎました。芸術監督である私自身も、「愛知と世界を知るためのリサーチ『監督と学ぶ』」というプログラムを通して、芸術祭の会場となる地域を中心に、様々な専門家や地域の方々を取材。愛知の歴史や文化、産業をリサーチし、取材動画を公開しました。

美術館の展覧会でも国際芸術祭でも、コンセプトを立てた時点ですべてを理解しているわけではなく、展覧会を作りながらそのコンセプトについて自ら学び続けています。コロナ禍での海外調査が不可能だった「あいち2022」では、各地域のキュレトリアル・アドバイザーにコンセプトへの応答を依頼し、結果的に参加アーティストの約8割は私が新たに出会った人となりました。現在、世界には300近い芸術祭があるなか、今回、芸術監督のオファーを受けた時はすでにコロナ禍中。前回の出来事も考慮すれば、芸術そのもの、あるいは芸術祭の存在意義をあらためて問わざるを得ず、その意味でも監督である私自身が愛知という土地について知ることは不可欠だと考えていました。

私は愛知出身で、大学まで愛知で過ごしました。ただ、私もそうですが、住民であっても身近な土地について必ずしも詳しいわけではない。『監督と学ぶ』は愛知について私が学ぶ機会であり、同時に芸術祭の潜在的な観客が学ぶ機会でした。芸術監督を務めた2018年の「第21回シドニー・ビエンナーレ」でも、シドニーに住んでいる過去のビエンナーレ関係者に公開で話を聞くシリーズを行っていて、その経験も念頭にありました。

展覧会の制作過程での学びについて話すと、「片岡さんも知らないことがあるんですね」という反応を返されることがあります。世界は知らないことに溢れているわけで、先述の通り展覧会づくりは学びの連続。私にとって現代アートは学びの場そのものです。アートは芸術的な探求の場でもあるけれど、それを通して世界を知ることができる機会でもある。例えば、インドの作家との仕事を通して、インドの歴史や宗教、社会や経済などを知るわけです。

なぜ、アートにとって「知ること」が重要なのでしょうか。アートの理解が、直感と知識から成るとすれば、前者だけではもったいないと考えているからです。視覚的な情報を入口に、その背景を知ることで鑑賞の厚みは豊かになる。これは例えばワインでも同じですよね。ひとくち飲んで産地や収穫年を当てられる凄腕のソムリエのように、直接的な味覚に、多くのワインを飲んだ経験や、それらの背景についての知識が加わることで、より複雑な味わいを感じられるようになる。この「複雑さ」がとても重要で、それがわかると、鑑賞も解剖のしがいがあると思います。

今回の「あいち2022」でも、見た目だけでなく様々な背景や意味を踏まえたうえで、隣り合うアーティストの作品同士、各会場、芸術祭全体……と、フラクタル構造のように意味の連続性を持たせています。その編み込まれたコンテクストを解きほぐしながら、「芸術祭」全体のドラマを楽しむことになるわけです。

こうした複雑性を味わう鑑賞やラーニングは、館長を務める森美術館の活動も含め、今後より力を入れていきたいと考えています。学校の美術・図工の授業はアートメイキング、すなわち制作がメインですが、今後ますます複雑になっていく世界を生きるなかで、アートを通してその複雑性を解きほぐすような鑑賞を学ぶ機会があってもいい。例えば、自分と他者はなぜ違うのか、あるいは人類はどんな点でつながっているのか。アートからは、多様性も普遍性も学べます。ラーニングを重要視するのは、ただアートの観客を増やすためではなく、それぞれの人生を豊かにするうえでも、アートは有効だからです。

『監督と学ぶ』では、そうした「世界を知ることの楽しみ」を観客のみなさんと共有したいと思いました。私が「知識」を面白いと思うのは、人に教えても自分からはなくならないこと。ものやお金のように、人にあげたからと言って失われず、むしろ自分のなかにより刷り込まれて、強化されるような面がある。対話を経ることで、さらに様々なものとの接続点も増え、「こんな話もあるよ」と違う知識も得ることができる。そこが知識の素晴らしいところで、ならばどんどんシェアした方がいい。

「あいち2022」のラーニングでは、そうした知識のシェアの力を参加者から感じました。もともと「あいち」はボランティアの登録者数が多いのが特徴ですが、会期中に展示会場に行くと、熱心にプログラムに取り組む市民のみなさんの姿がありました。そこには、あらためて愛知について知ることを自分が楽しむと同時に、学んだ知識を人に話せるようになる喜びもあったのではないか。そしてそれが、「愛知という土地に住んでいるんだ」というローカルプライドにもつながっていたのではないか、と思います。こうして、愛知に住む方たちが、様々な地域のアーティストに触発されながら、世界と、あらためて愛知について知る機会があったことは、とても意味があったと感じています。

よく知っていると感じる土地や人、ものであっても、自分の知識や置かれた状況、時代が変われば、見えるものが違ってくる。一度得た知識も、こうして新しい知識、異なる状況と結合することで、新たな輝きを放ち、また違う地平を拓くことがあるわけですから。そうした意味でも、知らないことを知っていくラーニングという営みには、非常に大きな楽しみがあると思います。

(構成=杉原環樹)