今、を生き抜くアートのちから

LEARNINGラーニング

愛知と世界を知るためのリサーチ
『“ほの国”を知るためのプロジェクト』井上 唯

  • 2021–2022年
井上 唯
アーティストプロフィール
リサーチメンバー
岡本佳枝、小泉仁敬、児玉真伍、二宮由布子、伴朱音、深谷孝之、吉岡秋乃
コーディネーター
雨森信

  • 国際芸術祭「あいち2022」展示風景
  • 《“ほの国”を知るためのプロジェクト》 2022

活動記録

白枠内テキスト=井上唯

2021年11月6日(土)
キックオフミーティング+フィールドワーク

リサーチメンバーとの初顔合わせ@豊橋市大清水まなび交流館「ミナクル」。
その後、東赤沢海岸(渥美半島の外海)へ。漂着物をリサーチ・収集する。次に吉胡貝塚資料館へと移動。渥美半島、縄文時代後期晩期の三大貝塚の発掘調査、研究、展示に携わってきた増山禎之さんにお話を聞く。

これから皆でこの土地をリサーチしていくにあたって、まずは潮風と潮騒の吹き荒ぶ太平洋側の海岸に立って、荒波の打ち寄せる外海を眺めながら、古代から営まれてきた海を介した繋がりを想像するところから始めたいと考えた。また、縄文時代には太平洋岸に打ち寄せる大きな貝を採取・加工して貝輪を作り、交易品としていたと聞き、考え始めていた移動や交易という方向性に可能性を感じた。

11月13日(土)
フィールドワーク@渥美半島の内海

三河湾沿岸の馬草港周辺→泉港近くの海岸→江比間海岸を廻る。石や漂着物、流木を収集。海浜植物にも着目。

12月11日(土)
フィールドワーク@豊川流域

ゲスト講師:加藤千茶子(豊橋市自然史博物館)

豊川の河口付近から上流へ。土地や成り立ちや、河原の石の来歴を聞きながら石を観察・採集する。

石を見ていると、その多種多様な豊かさと美しさに何度も驚かされる。それらはプレートの運動や火山活動など途方もない規模と時間軸で進行していくこの星の地殻変動の記録でもある。豊川流域の石を見ていくことで、この土地の成り立ちを知っていく手がかりにしたいと考えた。

2022年1月8日(土)
勉強会「マネーワークショップ」

ファシリテーター:会田大也(「あいち2022」キュレーター(ラーニング))
会場:豊橋市大清水まなび交流館「ミナクル」

井上さんとメンバーが、原始的な物々交換から現代に至る経済活動の変遷を擬似体験し、価値交換の原理を考える。井上さんからは、会期中の発表に向けての草案として「市」のイメージが提示される。

「素材→(加工・労働)→商品」「得意なことを交換し合うのがケイザイの本質」「モノとモノの交換から、目に見えないモノの交換になると物事が一気に複雑になる」など、価値の交換や、やり取りを考えていくうえでのヒントをいただく。メンバーそれぞれの得手不得手や人となりがまた少し見えてくる。

2月12日(土)
オンラインミーティング

メンバーが気になっていること、やってみたいことを聞く。「目に見えないモノを交換する」「(海辺みたいに)佇める場所が欲しい」「会期中、流動していく展示空間」「はてしなさ、わかんなさ」「花祭のパフォーマンスを持ち込みたい」「綿や絹」などの意見が出る。また、石巻山の神社で狛犬の足元に山のように石が積まれていたことを話すと、メンバーがその理由である民話「山の背比べ」を教えてくれる。後日、展示スペースの象徴的な存在として、梯子を登って頂上で一人佇める物見台のような“海苔下駄”案を思いつく。二つを高さ違いにして石巻山と本宮山に見立て、その足元には石を積み上げて民話とも重ねた。

3月12日(土)
フィールドワーク@愛知大学

ゲスト講師:印南敏秀(愛知大学教授)

豊川河口域の浅海文化や里海と人々の暮らしについてレクチャーを受ける。大学内にある生活産業資料館も見学

「かつての三河湾は本当に豊かだった」「美味しいものから消えていく」など“食”にまつわる話が印象的。縄文時代には貝の加工場が点在し、干し貝を作って内陸と交易した。近世の農地・新田開発や埋め立てに始まり、ダムや豊川用水の開通によって渥美半島が農業大国となった一方で、三河湾がダメになっていったことを知る。

4月11日(月)
打ち合わせ+工場見学@有限会社エニシング

会期中に実施する「市」の時に、井上さんとメンバーが着用するオリジナルの帆前掛けを作ることになり、40~50年前に使われていた帆前掛けを復活させた工場を訪ねる。

戦後に豊橋で盛んに製造された帆前掛け。豊橋市に現存する工場の古いシャトル織機にはトヨタ製やスズキ製もあり、この地域を支える自動車産業の始まりが、自動織機だったことを物語っている。“ほの国”の由来をもとに帆前掛けを製作し、「市」の際に私たちが着用することで、ほの国を宣伝(=共有・伝播)していくことができると考えた。

4月12日(火)
フィールドワーク@豊橋市周辺

案内人:稲吉オサム(陶芸家)

古窯趾跡を巡り、土を採集して、成形の実験をする。

薮の中にひっそり存在する中世の古窯跡では、ドーム状の穴窯の一部がその姿を留め、周囲に割れた山茶碗や陶片が散乱していて興奮する。切り立った崖で粘土を採取。地層の一部が粘土層になっていて、この土地の成り立ちと直結していることを実感。また丘陵地で発掘調査中の穴窯跡に遭遇し、かつての光景が偲ばれる。足元には、風雨で流れ出した土が天日乾燥されて陶片ならぬ「土片」が出来ている。後日、その土片に渥美焼で使われていた紋様や、平安時代の歌僧が窯業の盛んなこの地を訪れた際に詠んだといわれる歌を線刻して焼いてみた。

4月15日(金)
フィールドワーク@安久美神戸神明社

鬼祭りの飾り結びについて、神主さん(平石雅康氏)と氏子町会のみなさんより話を聞く。

鬼祭り行列の中心的な存在である「おふなしろ(御船代)」を知る。船にシシガシラ(獅子頭)が鎮座し、その後尾には水や川の流れを思わせる薄青色の布が垂れ下がっていて、伊勢神宮や海の繋がりを想起させる。結びの話では「口伝と相伝で受け継がれてきたなかで、なぜそうするかなど色々な記憶が曖昧になっていく」という言葉が印象的。祭祀などの伝承の仕方と、現代的な記憶や記録方法の違いを感じる。

5月17日(火)
フィールドワーク@北設楽郡東栄町

案内人:味岡伸太郎(アーティスト、編集者、デザイナー、タイポグラファー、春夏秋冬叢書出版社)

花祭会館を見学後、奥三河花祭りの「切り草」の作り方を習いに古戸会館へ。

明治に入り、神仏混淆の花祭が禁止されるなか、一部の集落では祭祀で使われる道具や飾りの色を陰陽道の五色から白一色に変える(=神道にする)ことで祭りが存続された。色にも様々な情報や物語が含まれているのだと再認識。祭祀の際に神様の依代(よりしろ)となる「切り草」も、集落によって色や形などに違いがある。小刀で重ねた紙に切り目を入れ、折り、しごいて作っていくが、平面の紙に切れ込みを入れて展開していくだけで、これだけのバリエーションを生み出し、神々に捧げてきた人間の信仰心とモノに込める想いに感心する。

5月24日(火)
フィールドワーク@豊橋市内各所

案内人:豊橋民話保存会 内浦有美、小栁津糺

メンバーのコーディネートで民話にまつわる土地(石巻山、石巻神社、三ツ口池、嵩山の蛇穴、老津、車神社)を巡って民話を聞く。

風景を見渡しながら、風や鳥の声、生活音をBGMに“民話”に耳を傾けることで、時間軸のレイヤーや新たな土地同士の繋がり、距離感などが見えてきて、自分の身体を通して土地が立体的に立ち上がってくるような感覚を覚える。また、語り手たちの話ぶりや視点、語る内容が違うことに気づき、改めて「人」という個人の身体を介して伝言ゲームのように紡がれてきたものだと感じる。畑ばかりの印象だった土地が、かつては船が行き交う大津(湊)であり繁華街だったと知って驚く。埋め立てや移動手段の変化による風景の変化の大きさを実感。

6月4日(土)
フィールドワーク@渥美半島

案内人:林重雄(ビーチコマー/漂着物学会)

伊古部西海岸(砂丘)→赤羽根海岸→西ノ浜を巡って観察し、漂着物や石、流木などを収集する。

海岸に高さ20mくらいの砂丘が出現している。赤羽根ではハシボソミズナギドリの骨を発見。タスマニアで秋冬に大量に繁殖し、太平洋を北上しベーリング海へと長い旅をする渡鳥。淘汰されて強い種が残っていくそう。西ノ浜では、ハマゴウの上にオレンジ色の繊細な漁網が広がっていると思ったら、寄生植物のアメリカネナシカズラが巻きついていた。北米からの外来植物で、穀物や砂防用植物の種子に混じってやってきたらしく最近問題に。直線的な地下茎がまさにNetworkのようで、今回の移動や繋がりなどのテーマを体現するのに適していると感じる。試しにハマゴウから引き離して持って帰るが、やはり枯れてしまった。

6月11日(土)、7月2日(土)
ワークショップ@豊橋市民俗資料収蔵室

作業場として使わせてもらえることになった豊橋市民俗資料収蔵室にて、地域の人に向けたワークショップを実施。

8月20日(土)、8月21日(日)、 9月24日(土)、9月25日(日)
ワークショップ “ほの国”市を開きます @愛知芸術文化センター8階 ラーニングルーム

会期中、展示会場にて市をたて、活動を通して習得した技術や“ほの国”のことを伝授する代わりに、来場者から住んでいる土地について教えてもらうなど、コミュニケーションを取りながら、お金を介さない原始的な価値の交換を試みた。

プロジェクトメンバーアンケート

『“ほの国”を知るためのプロジェクト』では、主に豊橋から長野県を結ぶ伊那街道、別所街道について調べてきた。設楽町津具に向かう道中に、道標や石仏、常夜灯などは目にしていたが、陸路や水路での交易については、知らないことばかり。調べるなかで、時代の変化、人々の生活の変化を知ることができたし、街道には建物や石垣、石畳など、当時の様子をうかがえるものが残っていることは、とても印象的だった。また、作品を交えながら来館者と地元(海外も含む)に残る大男の民話やお祭りなどの話を聞けたのは、とても有意義だった。住んでいる東三河について、まだ知らないことがたくさんある。引き続きリサーチを続けていきたいと思うプロジェクトであった。(岡本佳枝)

今回の芸術祭においては、三河は展示会場に選ばれず、何かしらPRができる機会があれば良いのに……と思っていたところ、地元を含む東三河のリサーチプログラムがあることを知り応募させていただきました。
今回リサーチプログラムに参加して、なかなか知る機会のない地元の文化を学ぶことができ、とても良い体験になりました。リサーチの成果が展示となり、県内外のたくさんの人たちに観ていただけました。さらにはワークショップを通じ、来場者とモノや情報の交換行為を行うことで対面での交流の重要性への気付きも得ました。
こういった地域のリサーチは一過性のものとならず、芸術祭の経過とともに蓄積されていくものとなっていくと良いと思いました。(児玉真伍)

“ほの国”への引っ越しが決まったタイミングで偶然プロジェクトを知り、すぐに参加を決めました。10代を過ごした“ほの国”を歴史、植物、気候などなるべく多くの視点で知りたいと思っていましたし、今回はさらにアーティストの視点も身近で感じられるとっても良い機会だと思ったからです。
普段は行くことのない場所で、会うことのないゲスト、違う興味を持ったメンバーのみなさんとリサーチをおこない、『「ほの国」の風景』だと思っていたことは世界との関わりのなかから生まれた景色だということを感じました。
プロジェクトが終わった後、渥美半島の海岸で、近所の人たちが夕日を眺めるために作った手作りの場所を偶然見つけました。夕暮れになると農家、釣り人、何をしてるかわからない人が集まってきてみかんやビールを片手におしゃべりをして、日が沈むと「ほんなら、また明日!」と解散する不思議な場所です。プロジェクトに参加してからこのような「市(?)」が目につくようになりました。アーティストの井上さんの物ごとへの驚き方「はいはいはい! へ〜!」も口癖になってしまいました。
今、私は「ほの国」にあるスーパーマーケットで働いています。どうしたら素敵な交換や交易が生まれる「市」になるかを考えています。(無記名)

アーティストの振り返り
「ここからがスタート」

談=井上唯

《“ほの国”を知るためのプロジェクト》は、愛知県東部の東三河地域(ほの国、穂国)をリサーチするプロジェクトで、同地が昔から交易や交通の結節点・要衝であることから着想しました。国際芸術祭も、外からアーティストや観客がやって来て、人・もの・文化が行き交う場所ですから、意味的にも重なります。そこで交換・交易の場である「市」をひらくことで、様々なものが出会う場所/meeting pointであることを表現できるのではないか、と考えたんです。

プロジェクトメンバーは「ほの国」についてのリサーチを重ねて、地域の資源などを採取して交易品を作り、その背後にある昔からの知恵や土地の成り立ちを来場者に向けて語る。その代わりに、外からやって来た人にはその人に関わりのある土地のことを教えてもらう。そういうプロジェクトです。

私は、人の営みや、移動や定住など土地と人の関係に興味があって作品をつくっているのですが、いざ作品化していくと、リサーチで得た豊かなものの多くが見えなくなるのが惜しくもあって。ですが、「市」のような仕組みがあれば、メンバーごとに持っている情報やいろんな物語を、お客さんと直接やりとりできます。

もちろん芸術祭にやって来る観客の大半は、プロジェクトの情報を知らずに訪れますから、「市」でやろうとしていることを説明するのはすごく難しい。そこで、ひとまずは「どこから来ましたか?」といった雑談から始めるかたちに落ち着いたのですが、むしろそのことによって、参加して何かを作って、という一般的なワークショップとは違うものになった気がしています。

当初は「市」を中心とした構成を考えていたのですが、芸術祭期間中に市を開催する日が4日間程度しかなく、また会期中にどんどん交換をしていくと、最後のほうでは見られるものがなくなってしまいます。それもあって、リサーチのなかで整理してきた資料や文章や、プロセスのなかで生じたアイデアを、展示としても見せることにしました。とはいえ、ここまでは「市」、ここからは「展示」と明確に分けず、全体で見せていけたらと。

まだまだ知らないことだらけで、掘っていくごとに新たな発見があってそれがアイデアにつながるため、展示作業と並行しながら最後までリサーチも続けていて。ここで終わりということがなくて、だからこそ今後も続けていきたいプロジェクトになりました。今後はそれぞれの興味や機会ごとにさらに深く掘っていきたい。ここからがスタート地点、始まり、という風に思っています。

個人的には、自分の生まれ育った土地をあらためて知っていく絶好の機会になりました。大人になって離れて暮らすようになりましたが、自分の身体が持っている土地の情報の多さを実感したし、リサーチによってそれらがつながっていくことに喜びを感じました。例えば、土地の風の強さ、陽射しの強さ、豊川用水ができる以前/以降で変わった風景だとか……。

祖母から、昔やっていた海苔の養殖の話を聞いていました。冬はすごく手が冷たいから海苔を採りに行くのが嫌だったとか(笑)。母からは、海苔養殖を行っていた頃の内海はきれいだったのに、工業地帯のための埋め立てで土地の権利や養殖の利権を売ってしまったときに子ども心に「なんでそんなことをするの?」と思ったと、あらためて聞いたり。

人が移動して土地に根付くことへの興味から、開拓民としてこの地に来た祖父たち家族の歴史もあらためて面白かったですね。今回の展示では触れられなかったんですが、家族の人生を掘り下げていくことで、歴史や世界の流れとつながっていく面白さも感じました。

リサーチをともなうプロジェクトを行なっているものの、基本的に自分は黙々と手を動かすことが性に合っている人間で、シャイなんですよ(笑)。だから唐突に見知らぬ人に連絡をして会いに行くとか、かなり勇気がいるのですが、「リサーチプロジェクト」であるということが自分の背中を押してくれる、という感じでしたね。

また、今回参加してくれたメンバーが多様な顔ぶれで、名古屋や西尾に住んでいる人、東三河で生まれ育った人、大人になって戻ってきた人、仕事で移り住んできた人などが様々に混ざり合っているのもよかった。職業もいろいろで、劇場や文化財保護に関わっている人もいれば、会社に勤めながら個人でアートセンターをやっている人、渥美半島で面白い取り組みをしているスーパーで働く人もいたりして(笑)。メンバーのなかにはものづくりが得意な人や、思考に風穴を開けてくれる人、コミュニケーションを取るのが好きな人などがいて、それぞれの人の得意分野に合わせて、役割を委ねることができたのもよかったです。

私一人では考えられないことも、メンバーがいることで大きく広がっていく感覚があり、それが芸術祭終了後も続けていきたいと思った理由の一つです。それはリサーチでお世話になったみなさんとの関わりもそうで、今後も継続的にプロジェクトを転がしていくことで、いつか何かの形で還元できるといいなと思っています。

積極的に「市」に参加してくれた方がいて、その人が教えてくれることでプロジェクトが深化するような感覚があったのですが、とくに印象に残っているのが、2016年のトリエンナーレで芸術監督だった港千尋さんのテキストです。

そのなかで港さんは「虹が立つところには、市を立てなければならない」と書いていて、すごく面白いなと思ったのですが、その後に歴史学者の網野善彦さんたちが編集した著作のなかで「中世の日本において、虹は世俗と天界を結ぶ架け橋であり、その境界領域に立つ市での交換行為そのものが神を喜ばせた」と書いてあることを知ったんですね。それは今回のプロジェクトの大事な部分に触れている気がしていて、次に市をやるときには、何らかの方法で虹をかけたいと考えるようになりました。そういう風にいろんなことがつながっていくのも、みんなでやる面白さ、わくわくだなあ、と思っています。

(構成=島貫泰介)