今、を生き抜くアートのちから

LEARNINGラーニング

愛知と世界を知るためのリサーチ
『穴あきの風景』徳重道朗

  • 2022年
徳重 道朗
アーティストプロフィール
リサーチメンバー
菴原みなと、加藤義典、戸高菜月、雛谷優、古矢岳史、山口康夫、山本雅史
コーディネーター
小倉明紀子

  • 国際芸術祭「あいち2022」展示風景
  • 《穴あきの風景》 2022
  • 撮影: ToLoLo studio

活動記録

個人や共同体のアイデンティティの指標となりえる「風景」に着目した当プロジェクトでは、愛知県で暮らすミャンマーの人々と交流し、彼らが直面する問題や日本で生活していくなかで発見した風景を同じ土地に住む隣人として共有する方法を模索した。

活動のフェーズ1では、在日ミャンマー人の現状を知るため、聞き取り調査や交流を行った。母国の民主化活動のために募金活動を行う若者のコミュニティと名古屋市内のミャンマー式仏塔寺院「ミッタディカパゴダ」に集うコミュニティを軸に調査した。募金活動への立会いや、寺院での聞き取り、ミャンマー人主催のイベントへの参加、彼らが耕す畑への訪問などの調査・交流を重ねた。

フェーズ2では、この調査や交流をベースにしたアウトプット方法を探求した。ミャンマーでの武力弾圧が緊迫化するなかでの活動となり、アートの枠組みのなかで、隣人として何ができるかも課題となった。メンバーから提案された複数のアイデアを実行し、芸術祭会場では、それら複数の活動を展示する方向で固まっていった。

フェーズ3の実際の展示は、在日ミャンマー人とメンバーとの共同作業で作った短冊を吊るしたバナナの木(①)、ミャンマーを象徴するアイテム(②)、活動記録の映像・写真(③)、在日ミャンマー人が発見した愛知の風景の写真(④)で構成されたインスタレーションとなった。会場では、徳重とメンバーによる寄稿の他、複雑なミャンマーの現代史を解説した土佐桂子教授(東京外国語大学)の寄稿や、ミャンマー料理のレシピを掲載したハンドアウト(⑤)を配布した。また展示会場ではトークを2回実施し、プロジェクトの背景やプロセスとともに、在日ミャンマー人も登壇し、生の声を来場者に届けた。

徳重が一貫して追求した「在日ミャンマー人との関係」を重視する制作方針は、在日ミャンマー人の多くに受け入れられた。現代アートの枠組みを超え、芸術祭会期後も在日ミャンマー人との交流が続き、ミッタディカパゴダでは「穴あきの風景」を象徴する願いを吊るしたバナナの木が引き継がれている。

①短冊を吊るしたバナナの木

在日ミャンマー人とメンバーとの共同作業で作った短冊をミャンマーを象徴するバナナの木に吊るして展示。短冊は、イベント会場や寺院、募金活動の立ち合いのなかで、日本人メンバーが1枚1枚集めていった。ミャンマー人のリアルな声、願いが集まった。

②タメイン(女性の民族衣装)・鍋/ヤカン

ミャンマーでの民衆の抵抗活動を象徴するオブジェクトを掲示。タメインの下を通ると運気が落ちる、鍋やヤカンで音を立てることが魔除けになるという風習を応用し、ミャンマーでは民衆がバリケードを作り抵抗していた。タメインや鍋などの展示物はすべて在日ミャンマー人からの寄贈。タメインについての聞き取りや着付けを習う。メンバーと在日ミャンマー人が一緒に鍋を叩く活動も行った。

③活動記録の映像、写真

  • 畑で料理を習う活動の映像や写真:

    在日ミャンマー人であるオールウィンさんが中心になって耕している畑で、日本では手に入りにくい作物(バナナやローゼル、小さな玉ねぎ)が収穫されている。この畑は日本人協力者が提供しており、在日ミャンマー人と日本人コミュニティの接点となり、隣人同士の扶助(収穫物を分けたり、水などの資源や工具を共用したり)の場ともなっている。「日本にあるミャンマー人の畑」という風景が含んでいるものを、日本人参加メンバーが引き出す行為として、「収穫した作物でミャンマー人からミャンマー料理を習い、一緒に食べる」活動を行い、映像化。

  • 募金活動への立ち会い、ミャンマー人へのインタビューの映像や写真:

    毎週末行われるナゴヤ ミャンマー ユース アソシエーションによる募金活動にメンバーが立ち会った様子や交流の記録。メンバーによるミャンマー人へのインタビューも実施。日本での生活や、ミャンマーで起こっていることが語られている。

  • 短冊収集の映像や写真:

    アウン・サン・スー・チー氏誕生日にミッタディカパゴダで実施されたイベントやスプリングフェスティバルの会場など多くの在日ミャンマー人が集う場で、メンバーにより収集された「願い事の短冊」を集める活動の様子。日本語が書けないミャンマー人にはメンバーがサポートした。日本人へのメッセージや平和への願いなどが多く寄せられた。

  • ミャンマーの歴史や現状:

    メンバーがミッタディカパゴダや畑でミャンマー人にインタビューした映像により、ミャンマーの歴史や現状、来日した事情や日本での生活や仕事など、多くのことが浮かび上がった。

④愛知の好きな風景

在日ミャンマー人から愛知の好きな風景の写真を収集。好きな理由・思い出とともに、会場に掲示した。

  • 撮影: あい撮りカメラ部 KUMAMOTOHITOSHI

⑤「穴あきの風景」ハンドアウト

アーティストと参加メンバーが協働して作成した資料を会場で配布した。活動の感想やそれぞれの発見などの他、ミャンマーの解説や、会場で上演されているミャンマー料理のレシピも掲載している。会期中約2000部を配布した。

活動日程

  • 第1回:キックオフミーティング
    これまでの活動、作品紹介、プロジェクト説明
    参加者の自己紹介、プロジェクトの進め方などの相談

    日時|2021年12月12日(日)16:30~18:30
    会場|アートラボあいち

  • 第2回:リサーチメンバーによるミャンマーに関するレクチャー、情報共有、今後の相談など

    日時|2022年1月9日(日)12:00~17:00
    会場|アートラボあいち

  • 第3回:ミーティング
    活動について、交流会の内容について、募金活動立ち会い、募金活動に参加していたミャンマー人との交流会

    日時|2022年3月6日(日)13:00~19:00
    会場|アートラボあいち、名古屋駅前

  • 第4回:「revolution with art」の見学

    日時|2022年3月27日(日)13:00~19:30
    会場|中川文化小劇場

  • 第5回:ミーティング
    これまでの活動振り返り、交流会の内容について、募金活動立ち会い、募金活動に参加していたミャンマー人への聞き取りの会

    日時|2022年4月10日(日)13:00~19:00
    会場|アートラボあいち、名古屋駅前

  • 第6回:ミャンマー人への聞き取り調査、振り返り会

    日時|2022年4月24日(日)13:30~19:00
    会場|ミッタディカパゴダ

  • 第7回:リサーチ活動の振り返り

    日時|2022年5月7日(土)20:00~22:00
    会場|オンライン

  • 第8回:ミャンマー人たちがミャンマーの野菜を育てている畑でのリサーチおよびミーティング

    日時|2022年5月15日(日)11:00~19:00
    会場|瀬戸市

  • 第9回:スプリング フェスティバル(ミャンマーフェスティバル)でのリサーチ、短冊の収集

    日時|2022年5月22日(日)13:00~17:00
    会場|久屋大通公園

  • 第10回:今後の活動・展示のためのミーティング、募金活動の撮影

    日時|2022年6月5日(日)13:00~17:00
    会場|アートラボあいち、名古屋駅前

  • 第11回:アウン・サン・スー・チー氏誕生日の集会でのリサーチ、短冊の収集

    日時|2022年6月19日(日)11:00~19:00
    会場|ミッタディカパゴダ

  • 第12回:ミャンマー料理店でのリサーチ

    日時|2022年6月24日(金)20:00~21:00
    会場|トゥゲチン

  • 第13回:ミャンマー料理店でのリサーチ

    日時|2022年6月25日(土)20:00~21:00
    会場|トゥゲチン

  • 第14回:畑での収穫とミャンマー料理を習う活動

    日時|2022年7月3日(日)10:00~16:00
    会場|瀬戸市

  • 第15回:オンラインミーティング

    日時|2022年7月14日(木)19:00~21:00
    会場|オンライン

  • 第16回:ミャンマー料理店でのリサーチ

    日時|2022年7月16日(土)20:00~21:00
    会場|トゥゲチン

  • 第17回:ミャンマー人へのインタビューおよびタメインの着付けを習う・ミャンマー人と一緒に鍋をたたく

    日時|2022年7月18日(月)14:00~16:00
    会場|アートラボあいち

  • 第18回:ミャンマー語の歌を習い、一緒に歌う活動

    日時|2022年7月21日(木)20:00~22:00
    会場|トゥゲチン

  • 第19回:トークのためのミーティング

    日時|2022年8月25日(木)20:00~22:00
    会場|オンライン

  • 第20回:トークのためのミーティング、ミャンマー人への聞き取り

    日時|2022年9月1日(木)20:00~22:00
    会場|オンライン

  • 第21回:「穴あきの風景 トークセッション」
    徳重によるプロジェクトの説明のほか、在日ミャンマー人のミョーティハン氏をゲストにミャンマーの現状を伝える。ミューティハン氏の自作の詩を含め抵抗運動から生まれたミャンマーの詩も紹介

    日時|2022年9月4日(日)14:00~15:30
    会場|愛知芸術文化センター8階 ラーニングルーム

  • 第22回:トークのためのミーティング

    日時|2022年9月12日(月)20:00~22:00
    会場|オンライン

  • 第23回:「穴あきの風景 トークセッション」
    徳重とリサーチメンバーがプロジェクトについて語る。在愛知ミャンマー人をゲストに迎え、日本での暮らしや、ミャンマーの現状なども伝える。

    日時|2022年9月19日(月)14:00~16:00
    会場|愛知芸術文化センター8階 ラーニングルーム

  • 第24回:シュエ ウッ モン(参加アーティスト・ミャンマー生まれ)とメンバーとの交流会(通訳:土佐桂子)

    日時|2022年10月10日(月・祝)13:30~14:30
    会場|愛知芸術文化センター8階

プロジェクトメンバーアンケート

リサーチをするうえでミャンマーという国についてや国内の状況を知るほど恐さや衝撃が伴いつつ、芸術祭で我々が何をどのように伝えるべきなのかという不安も抱えながらプログラムに参加していたように思う。ミャンマーの方々が集まる瀬戸の畑への訪問も名古屋駅前での募金活動への参加も全く新しい経験だった。側から見たら“そこにある畑”でも、“そこにある畑”は母国に暮らす人々のためにどうにか力になりたいと願う人たちのためのコミュニティにもなっていて、ミャンマーにつながっている風景とも言えた。募金活動では目の前を通り過ぎる人の視線や言葉の冷たさに驚いた。自分の普段の行動を改めて考えさせられる経験にもなった。(戸高菜月)

活動のスタート時点ではミャンマーとアフガニスタンから愛知に来られている方を調査対象にする計画でしたが、残念ながらアフガニスタンの方とは交流できませんでした。もし対象が二ヶ国だったら、愛知で暮らすマイノリティの方から見た愛知の景色、良さ、悪さをもっと深掘りできたのかもしれない……。仕方ないのかもしれないのですが、ミャンマーの方だけになったことで、ミャンマー本国で起きている政治的な状況に焦点を当てざるを得なかったように思います。展示に民族衣装のスカートや鍋がありましたが、これは愛知の風景とは言えなかったかもしれません。
たまたま私自身、昨年6月から仕事の関係で、人口が1600万人でそのなかに日本人が約200人しかいない都市に滞在していました。愛知在住のミャンマー人よりもずっとマイノリティと言えます。その体験もあって(?)、調査できなかった、より少数で愛知に暮らすアフガニスタンの方が愛知をどう見てるのかを、活動を終えた後も折に触れて想像することがあります。(山口康夫)

今回のリサーチプロジェクトで私はミャンマー出身の人々の独特の文化について様々なことを学びました。ミャンマーの人々は故郷を離れた異国の地でも互いに助け合い、信仰を守り、柔和さのなかに芯の強さを持っていました。
そうやっていろいろと学べたことをプロジェクト活動の成果としてどうやって作品としてまとめていくのか最初は全くの手探り状態でした。特に現代アートとしてどのように表現すべきなのか、正解がないなかで時間に追われながらも作り上げていかねばならないことが難しかったように思います。
そのように苦労して作り上げた作品を大勢の方々に観てもらって私が確信したのは、アートには力があるということです。私たちの作品に関心を持ってもらった新聞社やテレビ局からは取材があり、また同じ国際芸術祭のミャンマー出身のアーティストの方とも交流することができました。
大きな池に小石を投げ込むと波紋ができるように私たちのプロジェクトによって世の中を少しでも変えることができれば幸いです。
ကျေးဇူးတင်ပါတယ်(加藤義典)

私たちが参加したラーニング・プログラムでは、普段は見過ごしてしまう事象に目を向けることで浮かび上がってくる風景をリサーチしようと、東海圏に暮らすミャンマー人との接触を試み、交流を深めてきた。その過程と成果は会場で展示作品として紹介した通りだ。
では、探し求めた「穴あきの風景」は一体どこにあったのだろうか。振り返ると、ずっと愛知の風景に隠れた「異質」を探す旅だったような気がする。しかし、本当はもっとありふれたところに存在するものだったのではないかと今は感じている。
制作の最終盤、リサーチを通じて出会ったミャンマーの人々から「好きな愛知の風景」を募り、20人から写真とそのエピソードが寄せられた。香嵐渓や乳岩峡、名古屋港水族館に明治村。来日したばかりの頃の切ない思いが蘇る川沿い、亡き夫の面影の残る海辺の神社、いつもの散歩道……。
私たちの日常と彼らの日常は、当たり前だが、クロスしていた。自分たちだけのものと思っていた風景は、彼らの風景でもあるということ。《穴あきの風景》は彼らではなく、我々の側が作り出す景色なのかもしれない。(雛谷優)

入管や技能実習制度の問題がある以上、日本で暮らす外国人のなかには現状の暮らしに不満や怒りを抱えている人も多いと思う。だからこのプロジェクトでミャンマーの人々に出会ったときも、人を人としてまともに扱えてもいない国の人間が「日本に来たきっかけは何か」「日本での生活はどうか」と聞くこと自体どうなのか、どんな前置きが必要でどんな顔して聞けばよいのかわからず、ずっともごもごしていたような気がする。いざ話を聞いてみると、不満も怒りもほとんど出てこないばかりか「日本は住みやすい」とさえ聞くことがあり、そう聞けば聞くほど、日本での暮らしがどうという以上にミャンマーで暮らせないことの異常さが際立って感じられた。「ミャンマーじゃない場所」の一箇所である日本の名古屋がミャンマーの人々にどう見えているのかを通して、ミャンマーで暮らしていたら見られていたはずの風景やそれを見られなくさせているものについて、想像し続けたい。(菴原みなと)

2023年2月1日(水)。ミャンマーでのクーデターからちょうど2年、名古屋市内にある在東海ミャンマー人たちの心のよりどころになっているパゴタ(仏塔)の前で短冊に平和への思いを書いてバナナの木に吊るすというニュースを見る。「えっ? これラーニング・プロジェクトで展示したやつやん!」。昨年の10月10日に姿を消した展示物が忽然とパゴダの前に佇んでいる。今回のプロジェクトのタイトルは《穴あきの風景》、アートとして作られた作品が時間や場所を超えて一つの穴を埋めた。そうやってどこかの誰かが穴を埋めて世界中の<穴あき>は少しずつ形を変えながら適正に収まろうとする。徳重さんのセンスに完全に脱帽しました。(山本雅史)

私は芸術関係に携わったことがなく、リサーチプログラムの活動はすべて新鮮でとても有意義な時間となりました。
また機会がありましたら是非、参加させて頂きたく宜しくお願い致します。
ありがとうございました。(古矢岳史)

アーティストの振り返り
「私(たち)はミャンマーを語ることができるか?」

談=徳重道朗

今回のテーマは最初からミャンマー人の方々だけに絞っていたわけではなくて、ホームレス、被差別部落出身者、在日外国人など、国際芸術祭の観客として想定されているかどうかわからない人たち、(適切な言葉ではないかもしれないけれど)疎外されている人たちといかに関わるかをテーマにしたかったというのがあります。ミャンマー人の方々は接触できる可能性が高かったから、プロジェクト参加メンバー募集告知の要項のなかに入れていて、メンバーの方々が集まってからすり合わせていったという次第です。

ラーニング・プログラムとしての試行錯誤の過程も貴重な体験で、「ふだん作家がしていることをメンバーと共有」して欲しいとの要望がキュレーターの山本さんからありましたが、参加型プロジェクトの実施が今回初めてということもあり、着地点が見出せず苦心しました。メンバーの参加の意図が不確定ななか、それを組み込みながらプロジェクトを進めることの難しさがありました。たとえばミャンマー人と関わるという目的があって、では出会ってから彼らのなかで何かが変わったかというと、そのようには見えませんでした。

メンバーがこう変わってほしいというイメージをあらかじめ抱いていたわけではないのですが、せっかくミャンマー人と出会っているのだからメンバーがそこから何かを考えてくれるといいな、と思うことはありました。すでに知っていることから外に出て、新たに何かを学んだということはなかったのかな……。わからないですけどね。

プロジェクトの進行中、彼らの考えを吸い上げることがあまりできなかった点は、反省点のひとつです。各人が表明する術を持てなかったのかもしれないし、こちらのやり方が良くなかったのかもしれないですね。参加メンバーのいるプロジェクトは初めてだからお互い手探りで、大変でした。

そんな困難のなか、ゴールが全く見えていないまま始めて、みんなでゴールを探すことこそがプロジェクトの目標になっていきました。世界と向き合うときは誰でもいつも手探りです。パッケージ化されたもののなかで「ここからここまでやりましょう」というふうになっているわけではない。僕も、そしておそらくメンバーも、「ラーニングってなんだろう?」とその都度突きつけられました。普段の制作ならふわっとしたままスタートして徐々に形にしていくけれども、今回はそれになんの意味があるのかを問われながら進めなければならないのが大変でした。

今でもミャンマーの方々との交流は続いています。展覧会のためだけに彼らと付き合うつもりなら最初からやらないほうがいいと考えていました。彼らと長く交流を持つという覚悟をまず持つ必要がありました。具体的に展示につながるかはわからないけれども、今はコミュニティの会合に出席したり、街頭での募金活動に参加したりしています。我々と関わっても、彼らからしたら何もプラスになっていないと考えているので、今後は彼らにお礼をしていこうと思います。

というのも、実は結構ショックだったのが、ミャンマー人たちが展示にそれほど興味を持ってくれなかったんですね。ラーニングにおいて、普段縁のない他者と関わることで何かを学んでいくのって大切なことだと思うんですよね。だから、アートに全く興味のない人たちに「何それ」のような反応をされた時にどう答えるのかは課題としてあります。

アートと政治活動との共通点と相違点について問われることがありますが、そもそも彼らに対して日本人にできることはごく限られています。なかには議会に嘆願署名を出す人たちもいるし、活動と聞くとそのようなアクションを思い浮かべますが、アートの輪郭がはっきりしないように、活動のありかたも幅広いと思います。アートと活動は違うところもあれば重なる部分もあるのかなと。

アートとして社会活動に加わることの利点のひとつに、アーカイブ化されやすいことが挙げられると思います。今回のような記録集にまとめられることで、何年かのちに振り替えられるかもしれないわけです。たとえばジャーナリズムは先鋭的だけれども、特にウェブメディアはどんどん過去に埋もれていってしまう。でもアートならアーカイブになって掘り起こされる可能性が出てきます。アートに価値があるとしたらそこだと考えています。

[構成者追記(2023年2月22日)]
展示会場にはバナナの人工樹木を設置し、軍事政権からの解放や平和を願う在日ミャンマー人たちのメッセージを記した短冊が吊るされた。会期終了後に徳重が名古屋のパゴダ(仏塔)に運んだこの木に関しては、共同通信が2023年2月1日付の電子記事で報道した。徳重とミャンマー人コミュニティとの交流は現在も続いている。

(聞き手・構成=安井海洋)

[ラーニングチーム追記]
本稿「私(たち)はミャンマーを語ることができるか?」は、2022年12月29日に実施した徳重道朗さんへのインタビューをもとに構成していますが、徳重さんから校正の戻しをいただく前の、2023年2月26日に、徳重さんが急逝されました。ラーニングアーカイブ制作チーム内での協議の結果、本稿はご遺族の了解を得たうえで、ご本人の未校正のまま、公開させていただきます。徳重道朗さんのご冥福をお祈り申し上げます。