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国際芸術祭あいち2025、テーマ:灰と薔薇のあいまに、会期:2025年9月13日(土)から11月30日(日)79日間、会場:愛知芸術文化センター/愛知県陶磁美術館/瀬戸市のまちなか国際芸術祭あいち2025、テーマ:灰と薔薇のあいまに、会期:2025年9月13日(土)から11月30日(日)79日間、会場:愛知芸術文化センター/愛知県陶磁美術館/瀬戸市のまちなか

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「あいち2025」ストーリーズ

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バゼル・アッバス & ルアン・アブ⹀ラーメ、バラリ、ハイカル、ジュルムッド

エッセイ:バゼル・アッバス & ルアン・アブ⹀ラーメ、バラリ、ハイカル、ジュルムッド 『Enemy of the Sun』

ダニエル・ブランガ・グッベイ (キュレーター/ライター)

  • コラム
  • パフォーミングアーツ

バゼル・アッバス&ルアン・アブ⹀ラーメは、ラマッラの音楽シーンで協働を始めた。アッバスはヒップホップ・コレクティブ「Ramallah Underground」の創設メンバーとして活動し、一方のアブ⹀ラーメは視覚表現を手がけていた。やがて二人は音楽家のBoikuttと「Tashweesh」を結成し、DJやVJの手法を取り入れながら、映像と音響をリアルタイムで操るライブパフォーマンスを行う。

こうしたオーディオビジュアル・パフォーマンスへの初期の取り組みが、二人の共同制作の方向性を決定づけたと言えるだろう。2008年以降、アッバス&アブ⹀ラーメは、既存の映像・音響素材と自作の素材をサンプリングし、展示場所の建築的・空間的特性に直接応答するマルチスクリーン・インスタレーションを手がけるという、独自の表現手法を確立してきた。二人の作品は、音響とパフォーマンスを政治的な語りの場として掘り下げていく。それは植民地支配がもたらした危機を生きる人々の体験、とりわけパレスチナを中心とするアラブ世界の現実と深く結び付いている。

過去10年にわたり継続しているプロジェクト「May amnesia never kiss us on the mouth」を通じて、アッバス&アブ⹀ラーメはイラク、パレスチナ、シリア、イエメン各地の風景を背に共同体の場で歌い踊る人々の姿を記録し続けてきた。これら一連の記録が投げかけるのは、身体にしみついた表現や文化的記憶の継承が、いかにして抵抗の手段となり、奪われた土地を取り戻す行為となりうるのかという問いである。ここにおいてパフォーマンスは、もはや単なる表現の一形態ではない。それは周りの風景との結びつきを再確認する手段となり、一つひとつの踊りのステップや詩が、剥奪や強制移住、抹消への抗いの身ぶりとなるのである。

こうしたリサーチから生まれたのが、マルチスクリーン・インスタレーション《Only sounds that tremble through us》をはじめとする一連のプロジェクトだ。この作品では、ラマッラを拠点とするダンサーやミュージシャンとの協働によって生み出された新たなパフォーマンス映像と共に、アーカイブ資料が多声的なドラマトゥルギーのなかに織り込まれている。幾重にも重なる声は、観客を包み込む没入的な音、動き、詩のランドスケープを作り出す。綿密なリサーチと深い情動的体験の可能性とが共存するのは、彼らの作品の特徴だ。この重層的な交錯は、絶えず分断と孤立を推し進めようとする植民地主義的状況のなかで、あえて共同性を主張する行為とも言えるだろう。

「分断」もしくは断片化は、実は彼らの作品を体験するうえで欠かせない要素であると同時に、アッバス&アブ⹀ラーメの実践においても、さまざまな次元で重要な位置を占めている。多くの場合、映像は投影される空間の建築構造によって形を歪めたり、スクリーンの前に彫刻的な遮蔽物が配置されたりして、障害にぶつかり、散らばっていく。それはまるで土地の分断や強制的なディアスポラを映し出すかのようであり、詩的な言い回しにおける崩れた構文にも似た、何か取り戻すことのできないものを想起させる。インスタレーション全体を通じて、言葉もまた断片となってスクリーンや壁面にリズムを刻み、流れに割り込み、区切りを生み出す。こうした言語の扱い方は、容易に読解や翻訳を許さない表現への彼らの一貫した関心を示すものであり、観客があいまいな領域にとどまることを促すのである。

国際芸術祭あいち2025から委嘱された新作『Enemy of the Sun』は、こうした表現の歩みをさらに発展させ、声と身体性の重要性を浮き彫りにし、脅威にさらされた共同体による現在進行形の抵抗の証言として描き出そうとする作品だ。その中心となるのは、深刻な剥奪と絶え間ない脅威、現在も続くジェノサイドに見舞われるパレスチナの風景のなかで新たに撮影された映像である。それは分断された土地、砕かれた共同体との再びの結びつきを求める試みであり、自らの土地の上で、土地とともに生きることへの揺るぎない意志を示すものでもある。

『Enemy of the Sun』の上演場所は、名古屋で営業するナイトクラブだ。これまでの作品と同じく、会場選びは作品コンセプトの要となる。この選択は彼らの表現手法の独自性を示すと同時に、ラマッラのような状況下でナイトライフが担ってきた政治的・歴史的な役割をも浮かび上がらせる。占領によって公共空間の使用が制限されるなかで、ナイトライフは自律と反抗の拠り所として長い間機能してきたからだ。また、ナイトクラブという場の選択は、彼らのインスタレーションが持つ、つかみどころのない抵抗性をさらに際立たせる。映像そのものが空間のなかを踊り抜けるかのように、視点が固定されることを拒み、完全には捉えきれない没入的な体験を生み出していくのである。

このナイトクラブを舞台にしたパフォーマンスでは、パレスチナの現代アンダーグラウンド音楽シーンで活動する3人のアーティストによるパフォーマンスとコンサートが繰り広げられる。ハイカルは個人的なテーマと政治的なテーマを絡み合わせた作品で知られるラッパー兼電子音楽プロデューサー。ジュルムッドはプロデューサー、パーカッショニスト、音楽研究者として活動、2022年にはデビューアルバム『Tuqoos』をBilna’esからリリースした。Bilna’esはパレスチナとその周辺地域のアーティストたちを支援するレコードレーベル兼プラットフォームとして機能している。バラリはラマッラ出身のMC兼シンガーで、ヒップホップからドリル、グライム、実験音楽まで幅広いジャンルに取り組んでいる。こうしたアーティストたちの参加により、個人の表現と集合的な感情の響きが交わる地点で、「声」の果たす役割がより深く探求されることになるだろう。

アッバス&アブ⹀ラーメの作品において、音は肉体のあいだを巡っていく。観客の内で響く音は、拡張されたアーカイブの概念のなかで、感情と知識の現れとなって立ち上がる。身体はナラティブとリズムを宿し、パフォーマンスが終わった後もそれらを手放さない。観客が足を踏み入れるのは、すっかり様変わりした風景だ。ナイトクラブは要素、音、詩、映像が織りなす森と化し、空間全体に波紋のように広がりながら、その未来を共に守り続ける責任を問いかける。ナイトクラブという場に作品を設置することで、二人は快楽の空間を、記憶と政治と存在の場として読み替え、廃墟に住まうことから生まれ出る可能性について──過去への憧憬ではなく、現在への切迫感をもって──思索を促しているのである。

ダニエル・ブランガ・グッベイ

(キュレーター/ライター)

舞台芸術分野のキュレーターおよびライター。2018年よりブリュッセルのクンステンフェスティバルデザールで共同芸術監督を務める。教育活動と並行して、公共プログラムのインディペンデントキュレーターとしても活動。手がけたプログラムには、サンパウロ・ビエンナーレ(2025年予定)、「The Telepathic School」(ウラル・ビエンナーレ、エカテリンブルク、2021年)、「Yogurt and Other Spaces of Labour」(アシュカル・アルワン、ベイルート、2021年、ゼイネプ・オズと共同)、「Four Rooms」(2020年)、「Can Nature Revolt?」(マニフェスタ、パレルモ、2018年)、「The School of Exceptions」(サンタルカンジェロ、2016年)などがある。教鞭をとりながら文筆活動も続け、現在『MOUSSE』誌でパフォーマンスと振付に関するコラム「Notes on Spitting」を連載している。