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国際芸術祭あいち2025、テーマ:灰と薔薇のあいまに、会期:2025年9月13日(土)から11月30日(日)79日間、会場:愛知芸術文化センター/愛知県陶磁美術館/瀬戸市のまちなか国際芸術祭あいち2025、テーマ:灰と薔薇のあいまに、会期:2025年9月13日(土)から11月30日(日)79日間、会場:愛知芸術文化センター/愛知県陶磁美術館/瀬戸市のまちなか

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「あいち2025」ストーリーズ

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マユンキキ⁺

クㇱテマッとたたく少年

山川冬樹 (美術家/ホーメイ歌手)

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誰しも一冊や二冊、こどもの頃に読んで大きな影響を受けた絵本があるだろう。私にも大切な一冊がある。それは『たたく』という谷川俊太郎の文と今井弓子の絵による絵本で、たかしという名のやんちゃな少年が、ひたすら色んなものをたたきまくる、という内容だ。たかしは家中のものをたたいては壊し、お母さんにお尻をたたかれ、ベソをかきながらもたたくことを通じて世界を識っていく。

絵本のなかにこんなくだりがある──おいしゃさまは むねを たたいて からだのなかを しらべる──すいかは そっと たたいてうれぐあいを しらべる──そう、「たたく」とは能動的な行為のようでいて、実は受動的な行為でもある。例えばドラマーがドラムを演奏しているとき、それは一見能動的にドラムをたたいているようでいて、実際のところ彼は瞬間々々で打面の具合を確かめつつ、それに呼応しながら、楽器に潜在する音を引き出しているのだ。

今回上演される『クㇱテ』に私は出演こそしないが、マユンキキと私とは音楽を一緒に演奏してきた仲間である。想えば彼女が歌う傍らで、私はちょうどこの絵本に出てくるたかしのように、ありとあらゆるものをたたいてきた。そうやって彼女や観客や演奏している空間自体から、少々やんちゃな方法で反響を引き出しながら、一緒に音楽と呼ばれるものが生まれる瞬間を共有してきたつもりである。そう、いつだって音楽は「歌うこと」と「たたくこと」からはじまるのだ。

ある日、私は某プロジェクトで諏訪地域を調査する機会を得て、いろいろと考えをめぐらせていた。諏訪湖には三一本もの川が流れ込んでいるが、そこから流れ出すのは天竜川だけである。「暴れ天竜」の異名をとるこの川は、断崖絶壁が連なる峡谷をつくり出し、そのあまりの険しさから近代に至っても誰一人として開発の手をつけることができなかったという。そこに一人のアイヌが現れて、人々の悲願だった鉄道開通を成し遂げたという伝説のことを私は思い出していた。その人の名は川村カ子ト。測量士にして旭川アイヌのリーダーであり、マユンキキの祖父である。

マユンキキに「天竜峡には行ったことある?」と聞いてみると「まだない」という。これはたたくといい音がするぞ、と思った。音楽家とはいい音が鳴りそうなものが目の前にあると、どうしてもその響きを確かめずにはいられない生き物である。私は絵本に出てくるたかしのように、どんな反響が返ってくるだろうとワクワクしながら、マユンキキを“三信鉄道(現JR飯田線)で行く、二泊三日・天竜峡の旅”へと誘ってみたのだった。

案の定、川村カ子トの孫の突然の来訪に天龍村は大騒ぎになった。「あのカ子トさんのお孫さんかね!?」と、出会う人のみんなが目を丸くして驚嘆し、瞬く間に情報は村中に知れ渡り、いく先々で手厚くもてなされ、山深い峡谷にマユンキキを歓迎する熱い声が響きわたった。孫の来訪を喜ぶ村の人々の声は、遠くカンナモシㇼにいるカ子トさんのところまで届いているだろうか…そんな想像とともに旅を終え、三信鉄道を南へ下り、私たちは豊橋駅で別れた。しかしその後もマユンキキの旅は続いている。そして生まれたのが本作だ。タイトルの『クㇱテ』とはアイヌ語で「~を通らせる」という意味だそうだが、図らずもマユンキキを天竜峡へと「通らせる」きっかけをつくったという点で、かくいう私も自分を本作に携わる「マユンキキ⁺」のメンバーの一人だと思っている。

マユンキキは祖父とは異なる時代に異なる方法で、ある場所に何かを「通らせる」ために全身全霊をかけてきた「クㇱテマッ(通らせる女)」だ。私たちは誰も独りでは生きられない。だから彼女は人と人の間に橋をかけ、異なる者同士の間に穴を穿ち、道を通して仲間をつくり、その仲間たちとともに音楽を演奏してきた。さらに彼女は北海道の植民地化(つまり俗にいう“開拓”)の過程で、和人に奪われた自らの母語を、二〇代になってからコツコツと学び直してきた。己のルーツを手探りで辿り、厚く固い岩盤を掘り進めるようにして取り戻された家族のことばが、大小すべての「どうしようもなさ」をかなぐり捨てて歌となり、彼女の声道を通り抜けるとき、その歌声はカ子トが切り拓いた道のように、道なき場所で道となるだろう。その道を「マユンキキ⁺」のメンバーとともに旅するために、本公演『クㇱテ』は用意されている。さぁ、お乗り遅れなきよう。出発進行!

山川冬樹

(美術家/ホーメイ歌手)

美術家/ホーメイ歌手。現代美術、音楽、舞台芸術の境界を超えて活動。頭蓋骨を叩いた際に生じる振動、心臓の鼓動をテクノロジーによって音や光に拡張するパフォーマンスや、南シベリアの伝統歌唱「ホーメイ」を得意とし、これまでに16カ国で公演を行う。あいちトリエンナーレ2010のパフォーミング・アーツ部門に作品『Pneumonia』で参加。現在、秋田公立美術大学准教授。