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「ラーニング・ラーニング」【vol.04】のレポートを公開しました
「ラーニング・ラーニング」【vol.04】 レポート
2025年3月22日(土)
【vol.04】『愛知県陶磁美術館から見つけるものづくりと自然』
ゲスト:佐藤一信(愛知県陶磁美術館館長)
「ラーニング・ラーニング」vol.04 ///
2025年に開催する国際芸術祭「あいち2025」に向け「ラーニング」が企画する、「あいち2025」に通ずるテーマを参加者とともに考え深めていく「ラーニング・ラーニング」。第4回目は、「あいち2025」の会場にもなる愛知県陶磁美術館で行われました。佐藤一信館長をゲストに、美術館の環境を丹念に観察することから瀬戸というやきものの街の原風景を見ていくことを試みました。やきものを通して自然環境を見ていくことが、人の営みを見つめることにつながっていく。世界を鮮やかに見る新しい方法を体感する回となりました。
外に出てみよう///
春らしい陽気のなか、改修中の美術館の一角でレクチャーがスタートしました。バンテリンドームナゴヤおよそ6個分の広大な敷地に建つ愛知県陶磁美術館(以下、美術館)は、陶芸館・本館・西館・南館・茶室などの建物を囲むように森が広がる、豊かな自然のなかにあります。名古屋駅からは地下鉄やリニモなどを利用しておよそ1時間弱、近隣には2005年の愛知万博会場であった愛・地球博記念公園や海上の森(かいしょのもり)があります。この場所にどうしてやきもの専門の美術館が誕生したのか。それを考える前に、まずはその「豊かな自然」や「環境」がどういったものなのか、外に出て体感するため"お散歩"に出発しました。
最初に、美術館の環境の特別さを体感できる佐藤さんとっておきの秘密の場所に向かいました。その場所では地層が一部露出し、黄土色の粘土層を見ることができました。鉄分を含んで赤茶色になった粘土は「水打土(みずうちつち)」とも呼ばれ、最高級の粘土の一つだと言います。また、佐藤さんはそこで見つけた800年ほど前に焼かれた土の塊を見せてくれました。「この辺りには5基の窯があったことがわかっています」と言う佐藤さんの背後は落ち窪んでいて、丘陵の斜面をトンネル状に掘って作られた古来の窯である窖窯(あながま)があった名残が感じられました。美術館の敷地では多数の窯跡が見つかっており、「窯の記憶Ⅰ・Ⅱ」では発掘された11世紀末から14世紀初めの窯を保存公開しています。どうしてここに複数の窯があったのか。その点については"お散歩"後のレクチャーを楽しみにすることにして、一同は敷地内の芝生エリアまで戻りました。
一息ついた後は、バラバラに、あるいは連れ立って、美術館の敷地を散策しました。散策の範囲は陶芸館から南館まで(画像1)。ラーニング・ラーニング Vol.04の開催時は改修工事中のため、陶芸館以外はまだ中に入ることはできません。参加者はバインダーにはさんだ色画用紙に言葉や絵で気づいたことや見つけたことをメモしながら、思い思いの場所をめぐりました。
(画像1)美術館ホームページ「館内ガイド」より。https://www.pref.aichi.jp/touji/user-guidance/introduction.html
丘にあがって周囲の森林をスケッチする人もいれば、野花を丁寧に観察する人も。なかには、建物の壁面に使われているタイルに注目し、それぞれのタイルを紙にかたどり、サイズや模様を比較する人もいました。佐藤さんも散策する参加者にまじり、それぞれの観察や発見の視点を楽しみ、参加者から投げられる様々な質問の一つ一つに丁寧に向き合ってくれました。
色とりどりの画用紙には、様々な発見や気づきが集まりました。屋外に設置された作品をスケッチした人もいれば、建物の構造や照明などが気になった人、木々や小花などの植物を描いた人もいました。散策中に考えたことや参加者のメモから気づいたことなどを、佐藤さんとラーニング・チームのメンバーで話し合いました。
村上慧さん(ラーニング・チーム)
「散策の時間に、もういちど秘密の場所におりてみたんです。そこで6枚の陶片を見つけました。土を焼くということは、500年とか1,000年とかの単位で残るものに変化させることなんだなぁと思って、普段は考えないような単位の時間を体感しました。そこからまた芝生エリアにあがった時に、生まれ直したというか、数千年の過去から現在に戻ってきた、タイムスリップしたような気持ちになりました。」
黑田菜月さん(ラーニング・チーム)
「私は身体を使って移動しながら何百年も前の時代について思いを馳せたことが印象に残りました。時間が戻ることと、降りていく感覚が重なっていくように思いました。その後(散策タイムでは)陶芸館に行ったのですが、そこでは人々が精製された粘土を使ったものづくりを行っていました。その風景を見た時、土そのものと、そこに関わる人々の営みとの繋がりを実感することができました。」
野田智子さん(ラーニング・チーム)
「佐藤さんが教えてくれた地層の粘土に触ってみて、すごく感動して。画用紙には粘土の絵を描き、"粘土の感触"とメモしました。小学生の図工の時間に触れた粘土と全然違う感触だった。そういうことを体で感じることができて本当に良かったと思いました。あと、(秘密の場所の粘土を)採取して捏ねて器を焼いてみたいなって思いました。」
佐藤さん
「(野田さんの言葉に応えて)あそこで採った土で焼いたことがあるんです(笑)。ちゃんと焼けるんですよ。散策の時に「水打土」が最高級の粘土だってお伝えしましたけど、価値の変化っていうのがあって、あそこに窯があった中世の頃は白ければ白い粘土ほど価値が高かったんですね。瀬戸の粘土はほぼ白くて、そこも他とは異なる特別なところです。だから、たぶん当時は「水打土」を使ったりしなかったんじゃないかなって思うんですよね。」
佐藤さん
「この"白い塔、仏舎利"って書いてあるこれ。これは、西館の前の池に立ってるんですけど、碍管(がいかん・昭和53年製、日本ガイシ株式会社)と言って、巨大な碍子ですね。瀬戸で一番いい土が使われているんですよね。真っ白だったでしょ。」
「あとみなさんすごいなと思ったのが、ニホンタンポポがあるってメモしてくれた人がけっこういて。この周辺はまだ西洋タンポポに入れ替わってないんですよね。さらに言うと、敷地内で見られるのはトウカイタンポポという種類だそうです。」
「照明の形に六角形が多いと気づいてくれた人もいますね。谷口吉郎さんによる設計で、六角形がベースデザインとして取り入れられているんです。南館と本館の半分は谷口さん存命中に建てられ、本館の半分は谷口さんの計画に沿って没後の平成6年に増築し、各所に谷口イズムを感じられるようになっています。*1」
*1 美術館では「オープンアーキテクチャー」プログラムを実施しており、建物のガイドツアーを楽しむことができる。
レクチャー///
レクチャーに関連する場所を示した(筆者作成)。(左)愛知県、(右)瀬戸市
特別な環境
"お散歩"の振り返りの後、佐藤さんから改めて美術館がどのような環境にあるのか紹介いただきました。レクチャーでは、美術館の環境を体感して気づいたことや発見したことが次々と裏付けられていく感覚がありました。その感覚に歓声をあげたいような気持ちになる、そんなレクチャー体験となりました。
瀬戸で生産された陶磁器を「せともの」と呼びます。この名称は、広く陶磁器を指す言葉として関東を中心に全国的に浸透しています。瀬戸でやきものの生産がはじまったのは10世紀ごろと言われ、「猿投窯(さなげよう)」の系譜を継ぎ、日本で唯一の釉薬がかかった陶器を生産していました。11世紀には釉薬技法を一端放棄し、山茶碗などを生産し、16世紀ごろ美濃焼に押されて生産が一時衰退するものの、江戸時代に尾張藩の支援を受けて再び盛行すると19世紀には磁器を生産するようになります。明治時代以降、海外への輸出が盛んになり、戦後のノベルティ(人形置物)の輸出は一大産業となりました。現在では、陶磁器のほか愛知県内で生産される建築資材や碍子(がいし)、理化学用品など多種多様な陶磁器製品などにも瀬戸の陶土が使われています。
豊富で良質な陶土がとれるからこそ、瀬戸は1,000年以上に渡ってやきものの街として息づいてきたと言えます。どのようにしてその環境が生まれたのでしょうか。
環境の形成について佐藤さんのレクチャーに触れる前に、より理解を深めるために陶土と瀬戸の土について、基本的な点を押さえておきます。
<陶土:花崗岩> <瀬戸の土> |
以上が、陶土に関わる基本的な要素です。これを頭の隅に置きつつ、瀬戸でどのように陶土が形成されたのか、みていきましょう。佐藤さんのレクチャーを以下にまとめました(画像2)。
火成岩体の形成(中生代、2億5,000万年〜6,600万年前) |
↓
東海層群の形成(中新世後期〜鮮新世〜第四紀はじめ、1,200万年〜100万年前) |
↓
「東海湖」の出現(700万年〜150万年前) |
(画像2)「花崗岩体」、「せとの沼」、「東海層群」、「東海湖」の分布域を示した(筆者作成)。
参照:展覧会図録『愛知ノート ー土・陶・風土・記憶ー』(愛知県陶磁美術館、2015年)、中津川市鉱物博物館ホームページ「美濃焼・瀬戸物と花崗岩」
瀬戸一帯に形成された豊かな陶土層は、様々な条件が重なって奇跡的に存在していることがわかりました。もし東海湖堆積盆地の砂礫層がなかったら陶土層は剥き出しの状態で、侵食されてなくなっていたかもしれません。また火山活動がもし別の場所で起こっていれば、花崗岩は全く違うところで形成され、陶土の素がそもそもなかったかもしれません。窪地が沼になってゆっくりと時間をかけて砂や粘土が堆積したことも、良質な目の細かい粘土が形成されたことに影響しています。かつて起こった自然環境の移り変わりのどれか一つが少しでも違えば、「陶都瀬戸」は生まれなかったと言えます。瀬戸の環境の持つ特別さ、稀有さは、スライドを一つ一つ指し示しながら説明する佐藤さんの真剣な様子からも伝わってきました。
やきものの里山
瀬戸の土がどうできたのかを考えることで、瀬戸の自然環境がとても特別であったことがみえてきました。では、人が登場し、やきものの生産に携わるようになってから、どのように自然環境は変化したのでしょうか。美術館の敷地に生育する植物に改めて目をむけてみると、散策で参加者がみつけたトウカイタンポポをはじめ、シデコブシやフモトミズナラなど、この地域特有の植物があるほか、最も多く見られるのはアカマツで、ニセアカシアやヤシャブシといった外来種も見られます。「多種多様な」と一言でまとめてしまうのは簡単ですが、その一つ一つについて「どうしてここで育っているのか?」を考えていくと、自然だけでなく人の営みもみえてきます。
自然環境は一般的に図1のような遷移をたどります。背の低い植物からだんたんと背の高い木々が生育し、日陰でも成長する陰樹林が優勢になり、照葉樹林が生育するとそれ以降ほかの植生に遷移しなくなる「極相」を迎えます。極相になるまでは150〜200年ほどかかると言われていて、美術館周辺の環境も12世紀には極相を迎えていたそうです。しかし、美術館の敷地でみられる植物にはアカマツやコナラなどが多く、これらは「雑木林」の植生です。このように極相から一段階以上退行した状態を「退行遷移」と呼び、やきものの窯場があったことがこの退行遷移を引き起こしていると佐藤さんは指摘します。
(図1)植生遷移の図(筆者作成)。レクチャースライド、平成7年版環境白書第3章3節2項参照。
やきものには土、火、水、木が欠かせません。木は薪材になるだけでなく、釉薬としてもその灰が利用されます(灰釉)。美術館周辺の自然環境が極相を迎えた頃、そこには多くの窯場がありました。窯場が操業していたおよそ200年間、そして窯場が移ったあとも燃料として木を切り出してきました。その営みが景観や環境を変えていきました。伐採されても、環境に適したアカマツやコナラなどは生き残ってきました。これらの木々がいまも美術館で多く見られるのはその名残と言えます。
現在も美術館周辺は雑木林のままです。なかなか極相に近づかない理由は砂礫層にあると言います。美術館周辺は花崗岩がもとになった砂と小さめの石ころから成る砂礫層が厚く堆積していて、植物に必要な栄養分が少なく植物の育成に向いていません。そのため、大木が育ちにくかったと考えられます。明治期には乱伐が行われ禿山化が進み、土砂の流出を防ぐために痩せた土地でも育ちやすいニセアカシアが持ち込まれ、他にも多くの外来種が植えられました。美術館の雑木林に外来種が見られるのはこのためです。
アカマツや外来種の植生がやきものに関連している一方で、この土地に特有の固有種は砂礫層に関連しています。フモトミズナラやシデコブシは砂礫層とそこにできた湿地に生息し、東海丘陵要素植物と呼ばれています。美術館の近くにある海上の森や万博記念公園の森でも同じように固有種を見ることができますが、反対に外来種を見ることはできません。固有種と外来種が混在している美術館の雑木林こそが「やきものの里山」であり、この土地の人々の営みとやきものとの関係、そして自然の営みや生物多様性を感じることができると佐藤さんは考えています。「自然はどこも同じだと思う人もいます。でも、ちゃんと見ていくと、全然違う緑が見えていることに気づくんです。」という佐藤さんの言葉が印象的でした。
ラーニング・ラーニングvol.02でも触れられていた、人の営みが自然に影響を与えその自然がまた人に影響を与える、それぞれの営みを分けて考えるのではなく一連のつながりとして考える「Doing forest(森する)」が、やきものを軸とすることでよりクリアに見通されたように感じました。
丹念に見つめること
美術館では、愛・地球博記念公園内にある愛知県児童総合センター(以下、センター)と連携した土のプログラムを実施しています。そのうちのひとつ「あなをほる」は、谷川俊太郎の絵本『あな』(福音館書店、1983年)を土台にしています。プログラムでは小学4年生から中学生までのこどもたちが、2日間かけてセンターの敷地内に人一人がすっぽり入れる穴を掘ります。シャベルなどを使って掘り進めるのですが、美術館と同じくセンターも砂礫層にあり、掘るのは一苦労です。硬い石と格闘しながら掘っていると、砂礫層の中にぽっかりと粘土が出てくることがあります。数万年の時間をかけて砂礫層の一部が風化して粘土になっていく、その営みを子どもたちに伝えることができる機会になっていると佐藤さんは言います。
また、佐藤さんは「マル秘」とシールをつけた秘密の資料も見せてくれました。様々な資料の一つに、木片がありました。木節粘土には炭化した植物が混ざっていますが、化石や遺体(化石になる一歩手前の状態)として採出される植物の種類を調べることで当時の環境を推察できます。過去の木片から、瀬戸で陶土層が形成された頃、この地域が亜熱帯気候であったことがわかっています。高温多湿で降水量が多く、多種多様な植物が生育し、沼や湿地も広範囲に分布していました。そこでは藻が繁り、バクテリアも多く存在していました。その一部は鉄を酸化・溶脱(溶解成分を運ぶ働き)する性質を持ち、その働きによって鉄が取り除かれた白い土が多く形成されました。瀬戸の土が白い理由はこんなところからもみえてきます。
土や植物を丹念に見つめることで、いまにつながる瀬戸の自然環境と人の営みが鮮やかに浮かび上がってきます。佐藤さんが語る環境や植生の話は、すべてやきものにつながっていきます。植物を見ていけば、やきものとともにある人々の営みがみえてきます。土を見ていけば、数千万年前の壮大な環境を想像することができ、あるいは土と人の関わりが生み出した原風景を鮮明に思い描くこともできます。佐藤さんのレクチャーは、何度も目が開くような、感動的な体験となりました。やきものを軸とした自然環境を見つめる視点を佐藤さんを通して体験できたということのほかに、"お散歩"を通して、地形や地層、粘土の感触、植物の様子などを体感していたことが、この感動体験をもたらしていたと言えます。「環境を体感していたからこそ、レクチャーの体験も単に聞くということ以上だった」と言う辻さんの言葉に大いに共感しました。
さいごに///
散策や休憩時、そしてレクチャーが終わってからも佐藤さんの周りには常に人だかりができていました。質問だけでなく、見つけたことや気づいたことなど、まるで子どものように「わたしも」「次はわたし」と佐藤さんに話しかける様子がみられました。その一つ一つに丁寧に向き合い、一緒に驚いたり、不思議がったり、心から楽しんでくれる佐藤さんの姿勢がまた次の質問や会話を生んでいました。佐藤さんの眼を通して、やきものを軸とした世界の見方に触れることができました。そこで浮かび上がってきた世界の姿、瀬戸の姿に感動したこの体験は、しばらく忘れることができなさそうです。
2025年4月1日に本館がリニューアルオープンし、縄文時代から現代まで、日本を中心に世界中のやきものを網羅した展示をまた見ることができるようになりました。「やきものを通して世界を見ること」は、今度は展示を通して自分自身で積み重ねていきたいと思います。また、2026年1月に、南館を改装してオープンする「デザインあいち」では、美術館の自然環境を紹介し、今回のレクチャーで触れられたような土、やきもの、人の営みについて考える展示や企画が催される予定だそうです。愛・地球博(愛知万博)から20年たったいま、改めてこの地の「自然の叡智」について体感し考えることができる場所になることが予感され、ワクワクともソワソワともした気持ちが盛り上がってきます。「あいち2025」では、現代アーティストの作品だけでなく、美術館のコレクションにも触れて、瀬戸の原風景にも思いを馳せることができればと思いました。
(レポート:松村淳子)
(写真:三浦 知也)
<参考>
愛知県陶磁美術館ホームページ
展覧会図録『愛知ノート ー土・陶・風土・記憶ー』愛知県陶磁美術館、2015年
愛知県陶磁美術館Facebook
愛知県陶磁美術館Instagram
旅する、千年、六古窯「瀬戸」
愛知県児童総合センター「ACCC2024第1回 あなをほる」
愛知県児童総合センター「あそびワンダーブック 1996-2022 あなをほる」
中津川市鉱物博物館ホームページ「美濃焼・瀬戸物と花崗岩」
目代邦康、笹岡美穂『地層のきほん』誠文堂新光社、2018年
『改訂版 フォトサイエンス 地学図録』数研出版、2018年